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京都市の基本構想・基本計画(資料編)/京都市基本構想等審議会/第9回 教育・人づくり部会

ページ番号35869

2001年2月1日

21世紀・京都のグランドビジョン 京都市基本構想等審議会 記録/第9回 教育・人づくり部会

日 時 : 平成12年6月2日(金) 午後3時30分~5時30分

 

場 所 : ホテルフジタ京都「比叡の間」

 

議 事 :

(1) テーマ別討論「学校教育」について     

(2) その他

 

出席者 :

◎金井 秀子(京都教育大学名誉教授,京都文教短期大学児童教育学科教授) 

川阪 宏子(市民公募委員) 

北川 龍市(京都市日本保育協会会長,京都市社会福祉協議会会長) 

佐々 満郎(京都府私立中・高等学校長会事務局長) 

佐々木博邦(市民公募委員)

○シュペネマン・クラウス(同志社大学文学部教授) 

庄村 正男(京都市PTA連絡協議会元会長) 

八田 英二(大学コンソーシアム京都理事長) 

韓  銀順(京都市生涯学習総合センター講師) 

山本 壮太(NHK京都放送局長)                               

 

以上10名 

◎…部会長     (50音順/敬称略) 

○…副部会長

 

 

1 開 会

金井部会長

  第9回「教育・人づくり」部会を開催させていただく。

  ――(部会審議の進め方について再説明)――

  なお,前回のテーマ「子育て支援」に関して川阪委員からご意見をいただいており,席上に配布している。

 

 

2 議事 

(1) テーマ別討論「学校教育」について

金井部会長

  それでは議事に入りたい。

  ――(資料の構成について再説明)――

  最初に,事務局から資料の内容を説明いただきたい。

 

教育委員会(花嶋総務部長)

  ――(資料「基本計画検討資料「学校教育」」に基づき説明)――

 

佐々委員

  私立中・高等学校長会事務局長の立場から文部省や京都市の施策や取組を見ると,公立の学校についてはさまざまな取組をされているが,私立の学校には何も問題がないのかという疑問を持つ。京都市の場合,現実に幼稚園児の9割,高校生の4割が私立の学校で学んでいる実態があるのだから,財政的に補助金と生徒の父兄からの授業料などの枠内で運営している私学についての施策も考えていただきたい。

 

北川龍市委員

  京都市は子どもの問題に精力的に取り組んでいるが,この審議会の答申がどこで生かされていくのか,具体的にどういうものをつくろうとしているのかが見えない。昨今の青少年の問題は,少子化,共働きで親が子どもと接する機会を持てない社会情勢の中で,幼いころに仲間づくりや子ども社会の構築ができていないことに起因している。子ども同士が切磋琢磨する環境が欠けており,その部分をどうするかを考えなければならない。「三つ子の魂百まで」と言われるが,今は幼稚園や保育園が就学前までの子どもの社会構築の場を提供している。

  20年ほど前に地域に本屋がなかったため,子どもたちにいい本を読ませたいと母親たちがボランティアで集まり,学校の敷地内の区役所の出張施設を借りて土曜の午後に文庫を開いた。隣近所の人が面倒を見ているので行きやすく相談しやすい,子ども同士で遊べるので,子どもたちが大勢集まった。母親にとっては近所の子どもを世話する喜びがある。その活動は現在も続いているが,学校で学べない地域での人と人の触れ合いが必要ではないか。

  学区や町内で気軽に話し合える場づくりということを常々申し上げているが,人づくり21世紀委員会は区や学区単位でそうしたきめ細かな取組をしており,当審議会の答申を実施する主体となると思うので,連携をとって進めていただきたい。

 

庄村委員

  「生き方探究チャレンジ体験」を18校で実施しているということだが,全中学校での早急な実施を希望する。また,PTAは今まで子どもが卒業してしまえば関係なくなっていたが,人づくり21世紀委員会にはOBがたくさん参加しており,PTAフェスティバルも年々意気込みが変わってきている。地域の子どもを一緒に育てていこうという運動が必要であり,学区から行政区へと子育ての輪がどんどん広がっていけばいい。

 

金井部会長

  子どもは個人の子どもであるだけでなく,社会の子どもであり,地域の子どもも一緒に育てていくという考え方を持たなければならない。自分の子どもが学校を卒業したら終わりということではなく,地域で子どもたちが大人になるまで温かく見守って育てていくことが大事だ。

 

山本委員

  教育の問題については,京都だけでなく日本全体が危機感を持っている。学校だけでなく家庭も地域も含めて,日本の教育現場で決定的に欠けているのは宗教ではないか。日本人には宗教的な道徳律がなく,信教の自由の問題もあるのであえて触れようとしないところがある。子どもがある行動をとったときに,大人がそれが正しいかどうかを確信を持って言うことができない。隣の子どもが何か問題のある行動をしていても叱れない。それは大人の責任だ。そういう危うさが戦後広がり,地域や家庭の中で判断基準が曖昧になっている。学校教育に宗教を持ち込むべきとまで言うことはできないが,昨今の青少年の問題を見ていると,宗教の問題を避けて通れないところに来ているのではないか。ヨーロッパ社会にはキリスト教的考え方が今なお生活の中に生きているように思うが,宗教は生活を律するある種の規範であり,それがないことが日本の問題なのではないか。今の子どもは挨拶をしないが,大人がしないことを子どもはしない。そういったことも含めて,どうすれば子どもたちの生きる力を育てることができるのかと思う。

 

シュペネマン副部会長

  ヨーロッパに宗教が生きているかどうかは疑問だが,宗教の影響はある。日本とヨーロッパを比較すると,ヨーロッパでは小さい子どもがすべきこととすべきでないことを学ぶのは学校教育の場ではなく,今でも家庭だ。父親が社会の代表者として,社会の厳しいルールを子どもに教え,厳しい父親と優しい母親との間を往復して子どもは大きくなる。それによって反抗期には父親に対抗して自分自身の新しい世界観を組み立て直すことができる。西ヨーロッパには学校教育に宗教の時間があるが,その内容は宗教自体を教えるのではなく,子どもの持っている問題を取り上げて議論することが中心となっており,目的は人間尊重など基本的な価値を子どもに伝えることにある。例えば教室で生徒同士が互いに異なる考え方を持つことを認識し,それを尊重し合って,対立する考えを持ちながら協力して問題を解決することを体験する。人間の値打ちや価値観を尊重することを,知識として教えることはできない。実際に体験しないと分からない。日本ではそういう部分が弱くなっているが,宗教を学校教育の場に持ち込むことにはいろいろ難しい問題があると思う。

 

佐々委員

  かつて公立の学校で教えており,現在は私立の学校教育に携わっているが,公立と私立の教育はどう違うかという質問を受けたことがある。昭和33年の学習指導要領に「道徳教育」という言葉が初めて入ったとき,戦前の修身教育のこともあって私は強力に反対したうちの一人だ。その後「道徳」の時間が設定されることになったが,府下の学校現場を視察した際,時間割に道徳の時間がない代わりに「生活」の時間があったので驚いた。ある宗教系の私立学校の校長は月1回は必ず生徒の前で話をする。宗教教育ではなく,自分の信念や人間の生き方について話すのだが,私自身の反省も含め,公立の教育現場でそれだけの情熱を持って教師が子どもに語りかけることは少なかったように思う。戦前の反動もあって,公立の教育現場では長い間そういうことを否定してきた。公立の小学校の校長先生も,子どもの前で人生の先輩として話す機会を持ってほしい。当時と今とでは公立学校の現場の状況は異なると思うが,私学の校長先生の話を聴いていると,こういうことが必要だと痛切に感じる。

 

韓委員

  宗教心が薄いことは日本の教育の本質的な問題だと思う。今の教育現場では,子ども一人一人はとてもいい子なのだが,ゆがみが出てどうしようもなくなっている。そのゆがみは心が安定していないところから来ている。韓国人は日本人と違って宗教に熱心だ。宗教とは形のないものを信じる心だと思うが,日本人は形を大切にするところがあり,日本では宗教が育ちにくいように思う。子どもの1日を見ていても,塾通いやお稽古事などすべて「形」が1日のサイクルをつくっている。今の日本の子どもや親にとって形のないものはないに等しい。自分自身日本での子育てをしんどく感じるときがある。形がないものを心で信じるということ,形のないものがどれだけ大事かを見抜く心を育てることが大切だ。いじめの問題なども子どもたちの心が安定しないところから生じているように思うので,どうすれば子どもたちの心を安定させられるかが課題ではないか。

  NHKの朝のドラマで,登場人物の一人がいつも「教育委員会に知られたら大変だから」と言っているが,教育委員会は上から監視する立場なのか。教育委員会の役割は,昔のように人々を啓蒙したり知識を与えることではなく,子どもの心を安定させ,仲間をたくさんつくれる環境を提供することではないか。世の中にはいろいろな考え方が存在することを認め,多様な価値観を受け入れられる環境をつくってほしい。

  総合的な学習の時間は子どもたちにとても人気がある。今までは親や教師に上から課題を与えられ,それを形にしていくのが子どもたちの役目だったが,自分でテーマを探してそれに取り組むことが人間本来の姿であり,子どもたちは総合的な学習の時間を楽しんでいる。同学年だけでなく他の学年の子どもと一緒に取り組むことで,知識を得ることに対する喜びが沸くらしい。親からもこういう時間をもっと増やしてほしいという声があるが,総合的な学習のような時間が増えれば,子どもたちの価値観も広がり仲間も増え,いろいろな面でいい効果があるのではないか。

 

八田委員

  大学から見ると,学校教育の成果を評価するうえで2つの大きな柱がある。一つは学力面で,現在は全国的にほとんど差がないように思う。もう1つは人間性で,高等教育に進むにつれて人間性が大事になる。基本構想の中に,京都は「地域のなかで他のひとびとの多様な価値観やくらし方に触れながら,みずからの生き方を学んでいくようなまち」とあるが,どういう人間性を涵養する教育システムをつくるのかが大事だ。基本計画答申では人間性に重点を置いた新しいシステムを提案してほしい。そのために必要な設備やプランがあると思う。例えば,開かれた大学ということで,社会人の方々を大学に招いて教壇に立っていただき,現実社会の経験を話してもらうという試みもある。他に人間性に重点を置いた学校教育を打ち出している都市はないと思うので,京都は人間性に力を置いた独自の教育の方向性を打ち出してほしい。

 

佐々木委員

  人間性の涵養や宗教の問題と関連して,「人間とは何か」ということを探求する,既成の学問ジャンルにとらわれない新しい科目を学校教育に採り入れてほしい。科目として教えるのではなく,子どもたちが互いに話し合うことができる時間があればいい。本来は学校の外でされていた教育だが,社会やメディアがその役割を果たさなくなれば,学校がやらざるを得ない。

  2点目は幼児段階の早期教育ということで,幼少時代の人との出会いや経験が大人になってからの価値判断に結びついている。昨今のいろいろな事件を見ると,家庭も含めて社会にその機能が失われているように感じられる。学校がある程度肩代わりしなければならないが,私立の学校に依存している京都の教育の特徴を生かして,幼児から体系的に取り組めるようなものを私学に増設することも考えてほしい。

  3点目は,高校を中退した女性が「学校に行っていても何の得にもならない,お金も貰えない。それなら働いたほうがいい」と言うのを聞いて愕然とした。ものごとを金とモノでしか見ないように育っていて,学ぶとは何か,人間とは何かということをほとんど考えていない。学ぶことの原点を学校で教える必要がある。逆に政治や金儲けということについては今まで教育の現場で教えることを避けていたが,お金の力とは何かということをきちんと教えれば,お金では購えないもっと大切なものがあることに気付くのではないか。

  もう1つは,子どもも親も「いい先生」にめぐり会うことを求めている。人間としていい先生に出会うことが子どもの人間的成長を促す。現場の先生方が本当に子どもに対する愛情を持って教育に携わっているかどうかを確かめてほしい。それに付随して,現在カウンセラーの配置が問題になっているが,子どもたちがいちばん理解してほしいと思っているのはカウンセラーではなく先生だ。教えるということの根本は信頼関係であり,先生がカウンセラーの役割を担えないと,教育は成り立たない。

  先日他部会を傍聴した帰り,部会に出席した京都市のある職員が委員の意見に対し「あんなことを言っていてもだめだ」と言っているのが耳に入った。現場の認識からすれば正しい判断なのかもしれないが,意見に耳を傾ける寛容性や心意気がなければ行政と市民とのパートナーシップはありえない。本当の市民と行政のパートナーシップが築かれ,諸施策がうまく進んでいくためにも,もう一度行政組織の中で見直しをしていただきたい。

 

川阪委員

  子どもの健全育成には家庭や地域も大事だが,保護者と学校と生徒の信頼関係が構築されていないようにPTA活動等の経験を通じて感じる。外部からの学校に対する批判は耳にするが,代表者である校長以外の現場の教師の声が父兄の耳に入ってこない。子どもの活性化,義務教育の現場の活性化のためには現場の先生を活性化することが重要で,皆で現場の先生に自信を回復してもらえるような方向に持っていきたい。

  現在「教える教育の敗北」ということが言われている。最近の青少年には規律や道徳がないと言われるが,道徳教育で教えるだけでは逆効果になるかもしれない。これからは指導より「共に学ぶ」教育が必要だ。PTA活動の半分以上は親の教育であり,生涯学習であるべきだ。家庭学級を通じた親の教育は重要だ。また,最近電車の中で人目をはばからない行動をとる青少年が目につくが,感受性を育てる教育も大事だと思う。

  いろいろ批判もあるが教育基本法に立ち返り,これを見直すことが重要ではないか。また,教育はあくまでも子どもの幸せだけを目的とすべきだと思う。

 

シュペネマン副部会長

  学校で人間性をどこまで育てることができるかについては疑問がある。学校は子どもが家庭から持ってくるものを伸ばすことはできるが,家庭である程度基礎ができていない場合,いくら努力しても何も子どもに教えることができない。家庭で両親が互いを大事にし合っていないのに,学校でいくら人を大事にしなさいと教えてもだめだ。家庭で社会問題が話題にならないのに,中学生や高校生に社会問題に関心を持たせることはできない。日本の大部分の家庭は子どもの教育を放棄しているように感じる。行政の立派な政策を見ると,保護者の立場からすればもう家庭では何もしなくてもいいという気になるかもしれない。保護者の教育も重要だが,学校教育の限界も意識すべきだ。地域で育てるということなら,家庭で欠けているところをある程度補うことはできるかもしれない。

  3回生のゼミで介護保険はどういうものか,いつ導入されたかを質問したところ,15人の出席者のうち1人が税金がかかるものだということを答えられただけだった。21歳の学生が介護保険について全く知らない。新聞もテレビのニュースも見ないのは,学校教育よりも家庭に問題がある。日本の家庭では子どもに勉強以外のことはさせない。子どもたちは遊ぶことも手伝いもしない,親と話もしないし近所づきあいもしない。社会に対する関心や社会性を学ぶ場が消えてしまい,それをすべて学校に任せているところに大きな問題を感じる。

  「これまで取り組んできた主な施策・事業」の中に「国際理解教育」という項目があるが,英語教育など欧米に対する理解が主となっているように思う。子どもたちが社会人になる15年,20年先を考えると,国際理解は今とはかなり違う形になっている。日本は人口が減って,現在の生活水準を維持するために外国人労働力を入れなければならなくなると言われているが,将来,研究者や観光客だけではなく,大勢のアジア諸国からの労働者が京都に来るようになる。少なくとも中学の段階で南北問題や東南アジアへの理解を深める必要がある。具体的な提案としては,国際理解教育の中に英語教育や欧米留学だけでなく,南北問題や東南アジアに対する理解を含めた項目を入れてほしい。

 

金井部会長

  先にシュペネマン副部会長からドイツでは家庭で厳しい父親と温かい母親による人間性教育が行われているという話があったが,従来は日本でも家庭で人間性教育が行われ,善悪の判断は親が教えていた。今は親が子どもをどういう人間に育てるべきかを考えず,子どもは勉強さえしていればいい,手伝いも近所とのつきあいもしなくていいと考えるようになっており,そこからさまざまな問題が生じているように思う。

  子どもたちにそういうことを教える場が家庭になければ,学校教育の場で教えなければならないが,今の若い先生方自身がそういう教育を受けずに大学に入ってきた人が多い。私は大学で幼児教育の専門家やホームヘルパーに将来なる学生を教えているが,食事のしたくも洗濯も部屋の掃除もしたことがない学生が資格だけとってホームヘルパーになっても何の役にも立たない。若い母親たちもそういうふうにして育ってきている。

  現在幼稚園くらいの子どもを持つ母親は自分の子どもが殺されるのではないかという不安と,17歳になったとき人を殺すのではないかという2つの不安を持っている。これだけ子育て情報が氾濫していると,親は安心して子どもを育てられない。PTAの家庭教育学級で親が自信を持って子どもを育てられるように教育すべきだ。安定した心を持った子どもに育てるためには親の心の安定が大切だ。不登校や非行の子どもを見ていると,たいてい学校でなく家庭に問題がある。親の教育も含めて学校教育を考えていくことが今後ますます必要になるのではないか。

 

韓委員

  幼稚園・保育園や小学校に子どもを通わせている母親たちを見ていると,女子高生の延長のようだ。子どもは親が期待していることをしようとするが,女子高生のような親の子どもがどう育つかを考えるとなげかわしい。教育委員会が親を教育するのは難しいと思うが,「こんな子育てでいいのか」ではなく,「こんな親でいいのか」を話し合う場があってもいいのではないか。互いに話し合う中で反省点も出てくれば自分の姿も見えてくる。そういう機会があれば,ぜひ参加して韓国の子育てについて話をしたい。家庭教育と学校教育は密接にかかわり合っていることを再認識すべきだ。親も先生もそれぞれ自分が子どもをいちばんよく知っていると思っているが,どちらともいえない。家庭と学校の信頼関係がないと子どもは育たない。本当にいい子どもが育つために,先生と親が人間としてパートナーとして一緒に取り組んでいかなければならない。

 

川阪委員

  学校週5日制を目前に控えているが,この2日間を学校も家庭も本当に子どものために生かせるようにしてほしい。

  行政の施策についての説明を聞き,また先ほどからのご意見を拝聴していて,こういった先進的取組を継続し,またいろいろなアイデアをぜひ取り上げていただきたいと思う。京都市の市長が教育委員会出身であることは誇りにすべきであり,今後とも全国に先駆けた教育のモデルづくりに積極的に取り組んでほしい。

 

佐々委員

  子育てがかくあるべしということを学校やPTAで話し合うことも必要だが,親が子どもを学校へ通わせながら,子どもから,親同士で,また先生から学ぶことを期待したい。前回佐々木委員から家庭教育における父親の役割についてのご発言があったが,父親がいつも子どものそばに居なければならないわけではない。父親は厳しく,母親は優しくというが,片親の家庭でも父性原理と母性原理があいまって子どもは育っていく。PTA活動の場合は,小さな学級で先生が信念を持って親と話し合うことが大事だ。

  教師の資質の向上が必要ということだが,かつて総合教育と似た「コア・カリキュラム」というものがあったが,すぐにつぶれた。高度成長と技術革新への対応という社会的要請があったことも一因だが,もう1つは,どこかで優れた取組がされるとそれを形だけまねる教師が出てきたことに原因があるのではないか。中学校の「生き方探究チャレンジ体験」にしても,下京区の中学の取組が新聞に大きく取り上げられたことでどんどん広がっていったが,何を狙うかを考えずに形だけまねることになってはいけない。一人一人の教師が自分で苦労してカリキュラムをつくれば,保護者にこういう狙いでこういう取組をしているということを心から訴えられる。そうすれば親も2日間の休みには子どもにこういう体験をさせてみようと思うのではないか。

  冒頭に私立学校に対する行政の施策が欠けているということを申し上げたが,ここで補足しておきたい。私学は現在主に京都府から補助金をいただいているが,平成10年度の京都府の生徒1人当たりの支出額は,公立高校の普通科で約110万円,私立高校は約30万円だった。同じ税金を納めているのにこれだけの差がある。私学は補助金と生徒の父兄からの授業料などでやっていかなければならない。今後高齢社会となり財産を引き継ぐ子どもが少なくなっていく中で,リバースモゲージといった手法を採り入れて,財産を学校に寄付して将来の子どもを育てることに使ってもらう方法を検討してはどうか。それがボランティア精神の涵養にもつながる。ただ,その場合寄付に対する課税率が高いのは問題だ。

 

(2) その他

金井部会長

  本日はいろいろなご意見をいただいた。さらにご意見,ご質問があれば,事務局まで文書でお寄せいただきたい。本日いただいたご意見については調整委員会に報告し,素案づくりに生かしたい。

  次回は「大学・生涯学習」をテーマに6月16日に開催予定である。

  それでは,本日はこれで閉会としたい。

 

 

3 閉 会

 

 

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