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京都市の基本構想・基本計画(資料編)/中間報告/8.学識経験者からの提言

ページ番号35817

2001年2月1日

21世紀・京都のグランドビジョン  中間報告  第3部 市民提案編 2

学識経験者からの提言

 

 中間報告は,平成7年度及び平成8年度に行った調査研究等の成果を京都市総合企画局において取りまとめたものですが,平成8年度は,専門的見地から意見をいただくため,委託機関内に「グランドビジョン研究会」を設置しました。
 このページでは,「グランドビジョン研究会」(平成8年度)にご参加いただいた以下の学識経験者の方々の「京都への提言」を掲載しています。

 

○平成8年度グランドビジョン研究会・委員一覧
[五十音順・敬称略,肩書は平成9年3月現在のもの]

浅 岡 美 恵   (弁護士)
井野瀬 久美惠  (甲南大学助教授)
奥 野 卓 司   (甲南大学教授)
梶 田 真 章   (法然院貫主)
小 林 潔 司   (京都大学教授)
酒 井 伸 一   (京都大学助教授)
戸 所  隆     (高崎経済大学教授)
橋 爪 紳 也   (京都精華大学助教授)
(座長)波多野  進    (京都学園大学教授)
布 野 修 司   (京都大学助教授)
槙 村 久 子   (奈良県立商科大学教授)
吉 田 和 男   (京都大学教授)
鷲 田 清 一   (大阪大学教授)

 

 

成熟した市民社会を京都から

浅 岡 美 恵(弁護士)

 

 日本は今,社会のあらゆる面で大きな転換点にある。京都においても例外ではない。
 地球規模での産業化と情報化の大きなうねりは,近年,都市そのものや都市での暮らしを世界中どこでも似通ったものにしてきた。わが国の深刻な社会経済上の課題も,多くはどこかの国でこれまでに経験し,あるいは現在経験しているものでもある。それ故に,京都のグランドヴィジョンを考える時,今世紀,とりわけその後半世紀を,地球規模で見直すことが有益である。
 こうした観点から,三つの問題意識を提起したい。第一に,情報化時代にあって均質化が進めば進むほど,他方で個性や個の存在に価値が見出されてきていることである。将来的に魅力のない都市は衰退する他ない。
 京都は,知と美という最も豊かな社会的概念を含んだ歴史と文化と自然の総体としての環境のよさをそれなりに保持し,その上に私たちの暮らしを築いてきた。私たちが誇りに思い,次世代に受け継ぐべき京都という都市のアイデンティティや人々の暮らしは,その流れの外にはありえない。しかし,いまやその実態が乏しくなりつつあるのも現実であり,社会的,文化的,自然的環境を新たに付加していく視点が不可欠であり,そのために,付加すべき質についての広い議論と十分な投資も必要である。
 第二に,今後はマスとしての人の活力が日本の活力となるというより,鍛えられた個々の市民がその時代の社会を築く市民社会化によってこそ,日本も京都も国際社会で独自の存在感を持ちうることである。成熟した市民社会を形成していくために,言い換えれば個を活かし,都市としての個性を育てていくためには,教育や情報の共有化と政策決定への市民の参加・参画を実質化するための制度整備が必要である。欧米社会や途上国と比べても,戦後の日本社会にはこのような社会システムや価値観が大きく欠けていたことがようやく認識されつつある。地方自治という個々の市民の暮らしに密着した場では,国に先んじて着手する必要性も可能性も高い。工夫や実践の経過がその都市の特性ともなり,心の満足度や暮らしの充実度として居住地選択の指標となっていくだろう。
 第三に,今世紀をふり返っての最大の教訓は,これからの政策決定においては,環境保全のためだけでなくあらゆる場で,将来世代への負荷の折り込んだものとすべきことである。ますます時代変化の速度が加速されるであろう21世紀に向かって,世代間戦争は地方自治においても例外ではないことを銘記しなければならない。子どもたちや女性,高齢者が生きやすいことは都市の不可欠の条件であり,目前の損益勘定だけでは都市の価値を測れないことも学んできたはずである。
 住民の意識改革も必要だが,まず行政自身が,既存の制度の上に21世紀の京都市のグランドヴィジョンを築くことはできないことを自覚する必要があるのではないだろうか。

 


もうひとつの豊かさ指標

井野瀬 久美惠(甲南大学助教授)

 

 ほんとうの豊かさってなんだろう――われわれは,高度経済成長が一段落したころから,生活の豊かさを目に見える形で表現する努力を重ねてきた。経済企画庁が昭和六一年に示した国民生活指標は,平成4年,個人の視点をより反映させるべく,「住む,費やす,働く,育てる,癒す,遊ぶ,学ぶ,交わる」を縦軸に,「安全/安心,公正,自由,快適」を横軸とする新国民生活指標に衣替えした。また,平成八年六月には,電通と電通総研が,インフラやハードの整備中心であった従来の指標をこえて,それらがどう活動に反映されているかに目を向けた「生活大国指数」を公表し,注目を集めた。これら,目ではうまく捉えられない生活の豊かさや潤いを何らかの形で示そうとする努力そのものが,豊かさにたいするわれわれのまなざしの変化を端的に示している。
 かつて,高度経済成長期の日本においては,豊かさとは,なによりもモノの形で表現できると考えられてきた。そこでは,プールの数でスポーツ普及度を,学校や大学の数で教養や文化の度合いを示すことが,それなりの説得力を与えられていた。しかしながら,近年,「容器」を増やせばそこに集まる「中身」も増えるという考え方そのものの間違いがさまざまな場で指摘され,形あるモノで豊かさを図ろうとすることの限界が気づかれつつある。と同時に,(これまた形ある)数字への信頼も薄れつつある。たとえば,教育における偏差値の弊害,平均値からはずれることへの偏見や脅威による文化や価値観の画一化などについては,ここであらためて述べる必要もないだろう。
 情報化の進展やライフ・スタイルの多様化によって,われわれの豊かさや潤いの感じ方には大きな格差が生まれている。それになにより,各都市や地域が‘自分たちの個性’を求めて試行錯誤を繰り返す現在にあっては,豊かさの指標そのものが,外から押しつけられ,その基準を満たすよう努力する目標ではなく,それぞれの都市(もしくは地域)の個性を映し出す‘目安’にほかならないのである。
 かつて,学校・大学の数,あるいは,芸術関係者の居住状況などが「文化力」の指標とみなされた時代,京都は,文化や知の町としての定評を確保していた。しかしながら,大学の大衆化が進んだ現在,大学の数がその町の教養や文化を反映する指標になるとは必ずしもいいきれない。また,芸術関係者が居住していること以上に,彼らが町とどうかかわっているのかの方が問題であろう。文化施設の有無以上に重要なことは,その施設を人びとがどう使っているか(あるいは使っていないか)である。それを数字で表現することはきわめて難しい。
 それゆえに,京都が個性のひとつの表現方法として,標榜する「豊かさ」に何らかの形を与えたいと思うならば,むしろ,何が人びとの生活の豊かさ,町の潤いを阻んでいるのかを考えることからはじめるべきではないだろうか。いわば,プライオリティの逆発想だ。個人差があり,最大公約数の捉えにくい「豊かさ」よりも,それを阻む「貧困さ」の形を見いだすことを,われわれは怠ってきたような気がする。
 かつてイギリスは,現代日本と似たような状況,すなわち,生産中心の社会から消費・サービス中心の社会へ,労働中心の価値観から余暇に重点をおいた価値観へと移行する試行錯誤のなかで,貧困線(poverty line)を設定した。それは,だれもが豊かになったと信じていた当時の社会に残る「物理的な貧困」をあきらかにし,人びとに冷水を浴びせた。イギリスが福祉国家への本格的なテイク・オフを開始したのは,その衝撃のなかにおいてである。そこに,今のわれわれがひとつのモデルとする「豊かさ感覚」も生まれた。
 二一世紀を目前に控えた今,われわれが見つめるべきは,豊かになったとだれもが信じて疑わない現代日本の「精神的な貧困」にこそある気がしてならない。そして,その「発見」を目に見える形で示す作業に,日本を代表する知の中心地,京都の責任が問われるのではないだろうか。

 


「知・遊・癒の情報発信を」

奥 野 卓 司(甲南大学教授)

 

 20世紀のちょうど半ばに京都に生まれてから(外国滞在の時期はのぞいて),約半世紀,京都で生活してきたので,この街には人一倍,愛着が強い。が,この6年間は,神戸の大学に勤めたため,京都から大阪・神戸と「三都物語」通勤するようになって,他の2都市のそれなりの元気さ(その発露がすべてよいわけではないが)と比べて,想像していた以上に,京都が沈滞していたことに参与観察的に気づかされた。
 たとえば早朝,勤務先に向かうとき,京都駅で新快速電車を待っていると,大阪の海遊館やアメ村に向かう,修学旅行生の小グループ群に出会う。彼らは,京都に修学旅行にきた生徒たちなのだ。宿泊は京都でも,誰に強制されてもいないのに,「古都」を見学するのではなく,早朝から大阪や神戸に「楽しさ」を見つけにいこうとする。京都には,若者をひきつける「遊び」も「癒し」も「知的刺激」もなくなってしまったのだろうか。
 京都は「観光都市ではない」のだから,地方の若者の人気の盛衰など,気にしなくてよいという考えもあるだろう。だが,「学問の都市」京都の学生数が漸減しているのは,京都の大学が他都市に流出しているという「箱」の理由より以前に,20世紀の末期になって,京都が近未来をいきる若い世代にとって,「遊・癒・知」の魅力を失ってしまっていることがラディカルな原因だということに,ぼくらはまず気づくべきなのだ。
 「京都にベンチャー企業が育たない」「京都に新しい創造的人材が育っていない」「京都は元気を失っている」と言うとき,それらの声はまったく正当だし,ぼくも何とかしなければいけないと思うのだが,それを解決するのは,単なる「育成策」や「箱づくり」ではない。京都の街が,世界の若い感性豊かな人々にとって,「知・遊・癒」で,魅力的なものであれば,そしてそうであることを全世界に情報発信していれば,おのずと近未来の京都の元気のもとは集まってきてくれる。その情報,つまり都市の磁力を失ってしまっていることこそが問題なのだ。
 都市の磁力を,いかに回復するのか。いや,回復ではなく,現代に創出するのか。京都は文化の町だと言うが,その文化は平安時代でとまっているわけでは決してない。常にその時代の現代文化だったのである。この現代文化を構築している装置系を文明と呼ぶなら,京都は近未来文明の都市であるべきだ。
 幸いなことに,この街は,無限のコンテンツをもっている。それは貴重な文化財の数々でもあるし,ビデオゲームを生んだサブカルチュアでもある。少し歩けば触れられる北山の自然でもあるし,京都Iネットで数々の楽しいホームページを発信するネチ衆(ネットワーク内の町衆)の層の厚さでもある。
 全国でいくつもの都市がマルチメディアによる町おこしをめざしているが,多額の補助金でハードができても,発信すべきコンテンツやソフトを生む力がなく,その大半が失敗している。これは,「マルチメディア都市」をめざして,「マルチメディア」と「都市再生」の間に「文化」が入っていないからだ。だが,京都は逆だ。街の中にソフトや,ソフトのコンテンツがたくさんあるのに,それを情報化するハードに決定的に遅れてしまっているのである。情報化のシステムさえつくれば,アジアの「マルチメディア文明都市」に京都はなれる。
 すでに世界的に認められた文化遺産から,町家に隠れた小さな文化財までのデジタル文化博物館。京都の文化にふさわしい新産業のアイデアを出しあい,実行していくネットワーク起業工房。都市の政策決定をめぐって,様々な意見が自由に飛び交う情報市民議会などなど。
 また,これらの情報を,京都の物語として編集し,地球に向けて,とくにアジアに向けて情報発信することで,世界から,21世紀の京都をつくる元気と新鮮な感性を,この都市に集めることは,これまでの京都を造ってくれた町衆たちにたいする,ぼくら現代の京都ネチ衆の責務だと思う。

 


私が描く21世紀の京都

梶 田 真 章(法然院貫主)

 

 寺院,森と市民,交通機関,真のふるさと創生に絞って私の夢をまとめてみました。

1) 寺 院
1. 新しく建設された日本美術史美術館に,現在各寺院が所蔵している文化財を可能な限り拠出し,文化財の管理者の立場を脱却。高度情報化社会に疲れ,癒しを求めて参拝される方々に対する役割を果たす真の宗教施設となっています。
2. 生涯学習の場,新たな芸術発表の場,地域社会の一つの核として,人と人との出会いの場としての役割を果たし,個人のネットワークづくりに貢献しています。
3. 環境学習の場,ごみリサイクルのための一時的貯蔵場所など,環境問題の解決のためにささやかな役割を果たす場となっています。

2) 森と市民
1. 市民によるボランティアによって三山の森の維持,育成が図られており,そこは子供たちにとって重要な環境学習の場となっています。
2. JR京都駅前など市街地にも新たないくつかの森が育成され,高齢者を中心とする市民の手によってその管理運営が図られ,憩いの場となっています。

3) 交通機関
1. 公共交通機関が重視され,市バス[低公害車]が勿論無料で走り,市民の足となっています。タクシーの運賃も行政からの補助を受けて低料金に抑えられている一方で,自家用車[特に燃費の悪い車]の使用は厳しく制限されています。
2. 自転車の利用促進のため,無料駐輪場が各ターミナルに整備され,楽しく歩いて観光できる道のネットワークができあがっています。

4) 真のふるさと創生
 日本では元来,ふるさとというのは,生者と死者がともに暮らしているという実感をもてる空間のことを申します。
 超高齢化社会を迎え,京都は全国から高齢者の転入を受入れ,誰でも無料で納骨のできる墓地公園が整備され,全国からの遺族の参拝で賑わっています。そして,その公園のシンボルとしては法勝寺の八角九重塔が再建されています。

 


創造都市「京都」をめざして

小 林 潔 司(京都大学教授)

 

 今日,世界にはいくつかの創造的な都市が存在する。たとえば,ミラノは産業デザインの分野で世界的に不動の地位を築いている。ロンドンやベルリンは芸術の中心として,サンフランシスコ湾岸地域はコンピュータのハードウェア・ソフトウェアに関して,日本の大都市圏は多様な社会的・産業機能を持つ地域として,それぞれ固有の役割を演じている。過去を振り返れば,隆盛を極めた創造都市をいくつか見出すことができる。たとえば,古代アテネ,ルネサンス期のフィレンツェ,19世紀末のウィーン,第二次世界大戦後のニューヨーク,1970年代のサンフランシスコ湾岸地域。また,京都も歴史の一時期において創造性を開花させた。
 歴史に現われた創造都市の発達は,いずれも経済圏や交易圏の拡大という都市のフロンティアの拡大と密接に結びついていた。一方,都市がみずからのフロンティアの革新に対する動機づけを失ったり,外部の環境の変化に柔軟に対応できなくなった時,創造都市は衰退した。現代においては,もはや空間的次元上でフロンティアを拡大することは不可能である。現代社会において都市のフロンティアを形成する要因は知識,アイデアや技術である。創造都市とは,現代社会において知識,アイデアや技術のフロンティアを拡大しつつある都市であるといってもよい。
 京都がいま再び創造都市として発展するためには,多くの要因が互いに自由に相互作用を及ぼし合わなければならない。1)文化的な多様性が存在すること,2)独創的な人間が自由に新しいアイデアや知識を創造すること,3)新しいアイデアや技術を都市における生産,文化,技術,芸術に結びつける人間が存在すること,4)都市の内部・外部を結びつける非常にすぐれたコミュニケーションを有していることが必要である。ここでいうコミュニケーションには,交通・通信情報システムというハードウェアによるものと,有形・無形の人的なネットワークによるものの双方を含んでいる。創造都市が持つ特性として創造性(creativity),文化(culture),能力(competence),コミュニケーション(communication)の重要性を指摘したい。
 京都の創造的な発展は,既存の社会システムに不安定性や不確実性をもたらさざるを得ない。一方で,安定した社会的関係を維持しつつ,バランスがとれた市民生活を保障しなければならない。このような矛盾する二つの要求を同時に満足させることは非常に難しい。短期的な視点からは市民生活の安定性と安全性を優先させるとともに,長期的には創造性の発展を志向するという妥協以外にこの問題を解決する方法はないであろう。そのためには,個々人の自由な創造的活動に対する制約を可能な限り排除し,創造性に対する市民の理解と高い評価を育成することが必要である。一方で,すぐれたコミュニケーションを確保するための質の高いインフラストラクチャーの拡充が不可欠である。多様で複雑化する人間のニーズを行政活動に反映させることの重要性はますます増加しているが,それを実現するための計画技術や行政手順自体がまさに創造的であることが要請されているのである。

 


“ポスト消費社会”のグランドデザインを京都から!

酒 井 伸 一(京都大学助教授)

 

 地球温暖化や食糧問題など多くの地球環境問題が現れ,それら各々の問題への対処方策が模索されている。この地球の行方を左右する問題の底流に連なった本質には,物質消費を前提としたライフスタイルにあるように思える。この物質消費型社会が廃棄物・リサイクル問題と密接不可分であり,“ごみ破局”のような状況が現れつつある。

 ヒトは物質消費に充足することなく,常に次の消費ターゲットを追い求め,それを今の産業社会の一部は製品の計画的陳腐化で加速させる。その結果,我々の眼前に現れつつあるのは廃棄物の山である。廃棄物の山々をうまく眼前から消したように見えても,目に見えない形でダイオキシン類や重金属類などの化学物質が環境中を巡り巡って我々の体に復讐をはじめている。その本質は現代社会の消費概念,なかでも物質消費を前提とした経済システム,社会システムにある。果たしてこの状況を変えていくことはできるのであろうか。そこに大きく立ちはだかるのは消費経済を前提としなければ,日々の糧は得られないのではないかという人々の恐怖である。現代社会の消費が金銭タームでのフローを形成し,この消費こそが我々の雇用を生み出しているとの見方を大半の現代人が知らず知らずに抱いている。この消費のパラダイムシフトまでは,今の社会はシナリオを描き切れていない。このシフトは,それほど難しく,また痛みを伴うものなのであろう。しかし,現在の構造下での金銭タームの消費は,大半の場合,物的資源の消費を伴うものであるが,ヒトは多くの場合,物的な財よりもその財から得る効用あるいはサービスを求めているはずである。またリサイクルや再生といった業態はより高い労働集約性を必要とするはずであり,これは結果として環境負荷低減に貢献しつつ雇用確保に繋がる。そして,高い労働集約性に加えて,成熟社会の労働に関しては,時間か賃金かという選択がなされることが期待される。こうして消費依存社会から徐々に脱却していくシナリオが求められる。その過程で重要な役割を果たすのは,製品・サービスの環境影響と回避戦略に関する情報の共有である。少ない消費,少ない労働時間で高質の生活を如何に得ることができるか,これが廃棄物・リサイクルの将来の鍵である。

 「廃棄物」を中心に現代社会を鳥瞰すると,化学物質を対象としたコントロール手法の高度化が重要であるとともに,循環社会の展開へ大きくパラダイムシフトを目指すべきである。京都は明治以来,「京都策」とよばれる産業振興で生きてきた街とのこと。新たな「京都策」をもってして,物質フローが少なく,そして満足度の大きい社会を,21世紀の京都は描かなければならない。世界を視野に入れた京都の環境賞“エコ・プライズ”をそこへ至る一里塚,一つの手法として提案するとともに,“ポスト消費社会”のグランドデザインを共に考えたい。

 


日本文化を生かした国際規格のまちづくりを

戸 所   隆(高崎経済大学教授)

 

 20世紀の日本は,さまざまな困難に遭遇したものの飛躍的な発展を遂げ,自信をもって世紀末を迎えるかにみえた。しかし,世紀末を迎えた今,日本を取りまく環境は厳しさを増し,これまで有効であった制度が機能しなくなり,多くの問題が生じ,21世紀に不透明さと不安を感じる人々が多くなってきた。私はこうした日本問題には2つの共通した要因があると考えている。その一つは,日本のこれまでの制度・システムが国際規格になっていないことである。他の一つは,日本の独自性・アイデンティティを打ち出せないことである。
 現状では日本の独自性の主張は,日本特殊論となり,国際規格からはずれ,国際化時代・世界大競争時代に対応できずに孤立してしまうことが多い。しかし,ボーダーレスな世界大競争時代こそ個々の人・地域・都市・国などのアイデンティティの有無を問われることになる。ただし,それは他の人や国などに理解されるものでなければならず,相互に交流し得る共通のシステムを備えていなければならないのである。まちづくりにもこうした一般性と特殊性,共通性と独自性をこれまで以上に認識し,国際的に通用するものにしていく必要がある。そうした認識とシステムの構築が,外なる国際化のみならず内なる国際化を進めなければならない21世紀の都市政策に欠かせないものといえよう。
 京都は平安建都に際し中国の都城制を取り入れた国際規格の都市であり,そこに日本文化を創造し続けてきた都市でもある。その意味で,建都1200年余の歴史をもちなお近代都市として成長する京都こそ,21世紀のリーディング都市にふさわしいと考える。日本,そして京都の伝統文化を主張しつつ世界に受け入れられる京都型まちづくり手法を開発し,情報発信していって欲しい。
 これからは閉鎖的で階層型・垂直型の地域間結合でなく,開放的で水平型の地域間結合が主流になってくる。そのためには,新しい時代に対応した交流のしやすい都心と周辺の関係や都市軸・都市圏軸の整備など,都市の枠組みや基盤整備をきちんとする必要がある。同時に,ボーダレス化が進むなかで,大都市といえども自分の存在や人間性が感じられる都市規模が必要となってくる。それに対応してだれもが自由に交流し,文化創造できる規模の都市内都市,すなわち大都市の分都市化が進展してこよう。こうした都市構造の再構築過程の中で日本文化を生かした国際規格の政治・経済・文化基盤をもつ京都型まちづくり手法を確立せねばならない。
 21世紀はこれまでにも増して人の知恵が重要になってくる。京都の経済を支えるものづくりにも人の知恵が最も重要となる。多くの人材が集まる京都は人が人を吸引するまさに21世紀型都市の芽をもつ。日本人・外国人を問わず,京都に住み,働き,集う人々が元気になる,人の時代に適した基盤整備の成否が,京都の21世紀の盛衰を決めるであろう。

 


都市イメージの戦略的誘導とビジターズ・インダストリーの振興

橋 爪 紳 也(京都精華大学助教授)

 

1.
 使い古された目標を美辞で飾る,目配りの効きすぎた「大方針」は,変動期には無効である。従来にない言葉で「都市の理想」を市民に語り,また対外的には新たな「都市像」を示す。さらには重層化するその差異を効果的に利用するための「都市のイメージ誘導策」が必要だと考える。
 歴史的に見るならば,京都は,都市イメージをうまく操作し,その繁栄を継続してきたと見ておきたい。
 江戸時代までこの街は,「首都」の持つブランドイメージを最大限に活用,付加価値の高い「文化産業」を育成してきた。
 明治以降は,新たな都市イメージ形成を戦略的に行っている。琵琶湖疏水を建設,また発電所・博覧会・小学校・路面電車を早く導入するなど,常に先んじることで近代化に成功した。結果,「内陸型工業都市」という「実」と,同時に「歴史都市」という対外的な「表層のイメージ」を熟成した。
 現代にあっても,いわゆる「ハイテク産業」の発展によって活路を開くいっぽう,対外的には「古都」「歴史都市」という印象を強化,都市の資産として活用してきた。
2.
 ただ,この20年ほど,京都の都市イメージは,ある方向性に収斂しようとしているように思えてならない。大学の郊外への転出,若年人口の減少など,活力の低下が懸念されている。文字通りの「古都」として,成熟する道をすすみつつあるように思う。
 それはそれで良いという意見も少なくないだろう。しかし都市の活性化を第一義と考えるのならば,「別の顔」「もうひとつの魅力」を創造する作業もあって良い。
 新たな「イメージ誘導」の鍵となるのが,歴史的環境,文化財などに頼った「従来型の観光」の枠組みを超えるビジターズ・インダストリー概念の導入であると思う。都市像を再構築する作業とからめて,観光策,さらには集客産業の振興を,真剣に考え,総合的に施策に盛りこむべきだと考える。
 いくつかの方法が考えられる。例えば北部では,歴史的環境,自然環境等に配慮した居住空間の創造を実験的に試みると同時に,エコツアーやエコミュージアムの新たな展開を検討してはどうか。
 まちなかでは,伝統産業・文化遺産を活用しつつ,小学校の廃校跡などを拠点に,来訪者にも訴求する都心居住の新しい魅力創造,外客に目を配った文化施設の拡充などが戦略的に考えられるべきだ。他に例のない,テーマパーク的な手法による都心商業地区の再生事業もあって良い。
 また市南部地域では,新しい国土軸である第二名神や京奈を結ぶ軸を考慮に入れつつ,新しい集客産業の育成,あるいは集客施設の集積等の施策がはかられて然るべきではないか。
3.
 さらに具体的な提案を記す紙幅はない。凝り固まった「古都」というイメージを相対的に解きほぐして,従来にない「別の京都」「別の魅力」をひろくプレゼンテーションする施策が望まれること,その方策としてビジターズ・インダストリーの振興が不可欠であること,この二点を強調して拙論の結としておきたい。

 


夢の「描き方」が決め手

波 多 野 進(京都学園大学教授)

 

 研究会がさしあたりやるべきことは課題の提出にあるとされていた。課題はそれなりにでているかとおもうが,このような仕方でいいかどうかをもうすこしかんがえたい。

 それは,第一に,いぜんとして先がみえないため,第二に,たとえ巨視的にみえたとしても,対処がむずかしいためである。

 先がみえないというのは,現代がひじょうにおおきな節目の時だからで,こういう時代には過去のデータやトレンドを延長しても役にたたないことがおおい。テクノクラートのパターンでは話ができないのである。

 いっぽう,問題への対処がむずかしいのは,ネットワーク社会の特色である。絶対的中心や覇権がなく,分権的な社会では,だれもが主人公でありながらだれもが多数の影にかくれることができる。政策はなかなかきめられず,きめたとしても実効性にとぼしいかもしれない。やろうとおもえばできるとはいいきれない。

 こういう時代にはどうすれば夢をえがけるだろうか。そもそも,ビジョンとは,われわれのもっともすぐれたものをみることである。だから,市のビジョンにとってたいせつなことは,市民がどのような生活をいちばんいいとおもっているのかである。

 だとすると,それを少数のものがあれこれ議論してもはじまらないのではないか。市民が何をたいせつにおもうのかは,市民がみずからきめるべきことだ。何がいいか,あらかじめわかってはいないはずで,それを一つ一つ,原理原則にさかのぼって,曇りのない目で,できるだけ具体的にしていく必要がある。

 ひとつひとつ夢を描き出すための方法にビジョンの質がかかっている。どうすればいいかもあまりわかっていないが,すくなくとも明治の轍をふんではいけない。明治国家は当時の世界にあって国家目標の実現に大成功をおさめたが,その目標達成の仕方に当時なりの限界があって,それが宿題となって,今,われわれの前にあらわれている。

 従来のように行政がつくってあたえるのではなく,安易な住民投票でもなく,市民が発議し,自己決定するシステムを,どこから,どのようにつくっていくか,この設計が必要になっている。国の基本のつくりかえである。

 全体をいきなりつくりかえることは,ちいさな社会なら比較的やりやすい。日本のように大きな国の,しかもその一部の一地域社会でものをかんがえるときには,一つ一つの課題のなかでつみあげていくしかない。それには時間がかかるが,しかたがない。市民のリーダーである市長さんや議員さんの役割がおおきくなるだろう。行政には自己抑制と忍耐,柔軟な姿勢がもとめられる。

 グランドビジョンは,これから,この夢の「描き方」を問題にしなければならないとおもう。この課題にあたらしい道をつけていくのが世界都市・京都の貢献であってほしい。

 


京都百年計画委員会の設立を

布 野 修 司(京都大学助教授)

 

 21世紀の京都を考える時に基本とすべきは「世界の中心としての京都」あるいは世界都市としての「京都」という理念だと思います。あまりに特権的と思われるかもしれませんが,日本中で都市のアイデンティティ,固有性がそれぞれ主張される中で唯一特権性を主張できるのは京都だけです。文化首都,学術の中心,歴史都市(古都)としての環境(景観)資源など,センター(中心)機能をどう維持し続けるかが鍵になります。その基本理念を見失うと,「一地方都市としての京都」でしかなくなります。上位計画に枠づけられ,財源も限定されるとすれば,他の政令指定都市とそう変わった施策が展開できるわけではありません。自ずと「京都」の個性は失われていくでしょう。
 まず,考えるべきは「百年後の京都」です。百年後にも変わらず残っているべきものは何かを様々な角度からチェックして見る必要があります。百年後に祇園祭はあるのか,京都大学はあるのか,世界遺産に指定された社寺仏閣はあるのか,京町家の街並みはあるのか・・・,百年後にも必ずあるもの,残すべきもの,それは京都のアイデンティティに関わっているはずです。
 次に言いたいのは,紋切り型の議論の廃止です。北部保存-南部開発,観光か開発か,景観か産業か,博物館都市かハイテクモデル都市かといった二分法の発想は思考を停止させ,解決を先送りするだけです。もう少し,新旧の併存,歴史の重層性を京都の「特権性」と認めた上で,地区(場所)の固有性を尊重した地区毎のヴィジョンの確立が必要だと思います。都市計画の仕組みとしては地区毎にまちづくりを考えるアーバン・デザイン・コミッティーの設置が必要だと考えます。
 世界都市文化センター,世界木の文化センター等々,「京都」の中心機能を強化していく施策は数多く考えられますが,いくらアイディアを数え上げても絵に描いた餅です。重点施策を上に述べた長期的展望に基づいて絞る必要があります。また,確実に実現していく仕組みが必要です。
 まず,必要なのは政策決定プロセスへの広範な市民の参加です。それがなければ,施策についての共通の理解は得られないでしょう。
 是非,提案したいのは,京都グランドヴィジョン・コミッティーあるいは京都百年計画委員会の恒常的設置です。本来,グランドヴィジョンの立案と実施は,市長以下自治体の役割なのですが,任期に縛られ,どうしても短期的な施策に終始し,朝令暮改とまではいかないにせよ,中途半端なものになりがちです。常に百年後のことを考える京都賢人会議とも呼ぶべきボードがあれば,グランドヴィジョンもある担保がなされるのではないかと思います。グランドヴィジョンとして必要なのは内容であることは言うまでもありませんが,最も重要なのは,それを確実に実現していく仕組みの提案だと思います。

 


21世紀の家族とライフスタイルの創造都市へ

槙 村 久 子(奈良県立商科大学教授)

 

 さまざまな枠組みが急速に崩れつつある。それは新しい価値社会への胎動である。いま都市づくりには想像力と創造力が何より必要だ。ビジョンはまず思い描くことが先である。現在を起点に課題に対応することもあるが,確かにやってくる変化にいますぐできなくても,100年先をイメージすることも大切だ。
 例えばポスト高齢社会や環境問題の地球規模化の進行である。いずれも危機的状況だとされるが,私たちのライフスタイルの変化を求めており,生活の豊かさを創る絶好のチャンスと捉えたい。幸せになるモデルがない時代には,新しく創っていくしかない。1日24時間,人生90年という時間軸と,家族,仕事,地域・社会という場の軸を,各人がどう組み合わせていくかが,ライフスタイル,ライフデザインといえるが,それを決定する権利と責任をどう創っていくかが,都市をつくるポイントになる。
 21世紀初頭の高齢社会は共働き社会である。現在の男女の性役割分業では家庭は崩壊せざるをえない。前の世代や子どもの世代を支えるためには,共働きの現役世代を社会的に支援しなければならない。市民の育児・介護能力の低下をどうサポートするかが大きな課題となる。それは女性も一人の労働力として,税を納め社会保険料を負担することで生活水準を維持していく必要があるからである。雇用の流動化や家族形態の多様化が個人の価値観に結びつき,経済社会の変化をもたらすだろう。
 しかし2020年から2030年には人口減少社会がやってくる。それは空間を含めGDPの分配は増える可能性があり,人口減少社会を前提に豊かさづくりを考えた方がいい。いずれ家族は個人単位になるだろう。現行施策は世帯単位にできているが,個人単位に変えていかざるをえない。家族は経済的なものから精神的な結びつきに重点が置かれるだろう。家族の多様化の中で個人化する家族を支えるサポートシステムとネットワークが必要とされる。生活の質,つまり他人や自然や社会との関係のなかで満たされるニーズということでは,新しい多様な交流の場が是非とも必要である。多様な人が多様な情報を持って集まり何かを創り出す,“第3の場”づくりである。それはあたらしい価値社会への社会的実現にとってもなくてはならない。
 実は京都はこれらの潜在力をもっている希少の地である。野山の四季の遊行も,寺社の華やかさとあの世の入り口も,仕事場も文化人や学者もいた。職住近接のゆとり,市井の山居的生活,その中で生み出される人生の時間軸と家族や仕事や社会の人間関係の再編。これら京都のもつ特性を都市居住など,新たな形に再生させることが,21世紀の家族の進化とライフスタイルを創造する都市につながる。
 グランドビジョンは3年後のミレニアムに100年の計を立てる出発点にすべきである。現状のまちや制度等の枠組みにとらわれないで,みんながまず自由に絵を描いてみる場があってもいい。「京都のまちが,もし白紙だったら!」

 


京都を実験都市に

吉 田 和 男(京都大学教授)

 

 京都は古い文化都市であるとともに,日本では珍しいベンチャービジネスの町でもある。伝統産業とともに,ハイテク産業におけるベンチャービジネスが共在するという極めて珍しい存在になっている。しかし,近年,ベンチャービジネスの設立も少なくなっている。京都の活性化のためにはこのベンチャービジネスの活躍が求められることになる。京都の活力の低下も経済力の低下によっており,ベンチャービジネスに対する期待が大きくなっている。21世紀の産業である知識産業が京都を支える産業であろう。
 京都は大学などの技術開発力が大きく,大学生などの次代のベンチャービジネスを起こしうる素材があるなど環境としては恵まれている。これまで日本経済は労使の協調という日本型経営システムの力によって発展してきた。ところが,アジア経済の台頭,社会主義国の資本主義化によって世界的な経済変動が起こっており,日本経済は大きな構造変化を求められている。これによって新たなチャンスも生まれている。これまで日本型経営システムによって生産性の上昇を図ってきたのが,個人の独創的な能力に依存する産業が重視されることになる。さらに,高度情報通信によって地域的な制約から開放される。すなわち,これまでは情報の発信は東京に限られていたが,いまではどこからでも世界へも情報発信可能になっている。この様な変化によって,伝統的な技能に支えられた技術と大学などの知識資源の両者を持つ京都はこの新しい変化に対応すべきである。
 ベンチャービジネスにとって大きな障害は規制である。規制を緩和し,ベンチャービジネス設立の障害になっているものを除去することが最も必要である。京都の一部を「実験都市」として広く開放し,京都に来れば面白いことがあるという状況を作ることが望まれる。実業界の中で気運が高まっているベンチャービジネス支援機構やベンチャーキャピタルの設立に力を貸し,これを促進することが望まれる。また,大学教官,大学生,ベンチャービジネス,投資家などを結びつけるシステムを設立することが望まれる。全京都が挑戦する人を皆で押し上げるような雰囲気を作ることが京都の活性化に不可欠である。このためにも京都市役所も行政改革を進め,経営的に効率的な自治体を作る努力が求められる。京都は知的な社会資本の充実に重点を置き,ベンチャービジネスが活躍しやすい環境を作ることが必要になる。リサーチパークや各大学で進められている産学協同,起業セミナーなどの活動が盛んになることが望まれる。
 京都は伝統・観光・文化といった側面と学問・技術・ベンチャービジネスといった側面の両立が可能な地域であり,また,その両立を目指すべきことになる。そのような取り組みが地域経済の活性化とともに,京都の伝統の継承を成功させるのではないか。

 


<文化都市>の基準

鷲 田 清 一(大阪大学教授)

 

 都市のグランドビジョンというのは,いわば都市の憲法のようなものだと思います。そこに住み,そこで働いている人たちが「こんな都市であってほしい」という願いを,それも大きな夢や骨太の志をたっぷり含ませて表現するものであろうと思います。言うまでもなく,やがてここに生まれ,ここで活動するであろう後続の世代のことまでも考えて,です。そうするとそこには,人間の生活とはどういうものであるべきか,これからの都市はどういうものであるべきかといったフィロソフィーがなければなりません。ここでフィロソフィーというのは,つぎの21世紀に,都市はどのように変貌していくのか,どういう困難な問題を抱え込むことになるのかといった問題への基本的観方のことです。
 都市のフィロソフィーとは,なによりもまず,そこに住む人びとの<幸福>について,あるいはその条件について,あれこれ思いめぐらすことです。ひとの幸・不幸とはなんであり,ひとにこの土地で生きたいと思わせるものはなにかということ,これについての基本的な考え方をもち,それが市の運営の仕方のなかに,だれの眼にもはっきりと分かるようなかたちで具体化されているのが,ほんとうの意味で<文化都市>なのです。名所旧跡が多いこと,国宝が多いことは<古都>の基準ではあっても,<文化都市>の基準ではありません。
 <文化都市>というのは,その意味で,社会が抱え込んでいるさまざまの困難や不幸を懐深くで受けとめ,その解決のために社会生活の新しい価値観を提示し,すくなくともなんらかのかたちで理念としては体現している都市のことです。そのために,日本全体,アジア全体,地球全体という大きな視野のなかで,京都という場所をとらえる必要があるでしょう。これは,自己批評が明確にできるそういう装置をそなえた都市でもあるということです。批評性の高い都市ほどその文化も分厚く,奥行きがあるものです。「いけず」だとか「口うるさい」と敬遠するひともおられるかもしれませんが,学問や芸術から日常生活のルールや美感まで,京都にはあきらかにこういう批評性の伝統があります。これは京都の強みです。
 このことから,グランドビジョン作成のうえで注意すべき二つのポイントが見えてきます。第一は,都市のあり方,産業のあり方,医療のあり方などについて,ときには現行の法律の枠を取り払ってでも,ベストと思われることを実現すること,その意志をもつということです。大胆な施策をどんどん実行するそういう「実験都市」というイメージが定着すれば,それが京都の伝統にもっとも似つかわしいと思います。第二は,グランドビジョンについてあれこれ思い悩む過程で,もうフィロソフィーは開始されているというということです。ビジョンを描くそのプロセスをどう組み立てるかというところで,すでに市民の批評性が強く発揮されねばならないと思います。

 



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