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京都市の基本構想・基本計画(資料編)/課題から見る京都  2.京都のまちの歩み

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2001年2月1日

課題から見る京都 2.京都のまちの歩み

(1) 平安京の造営

 8世紀末、桓武天皇は現在の京都の地に都を造営した。この都は平安京とよばれる。平安京は、中国の唐の都である長安を模し、3分の1の規模で造られた。中央を南北に貫く大路によって、左右対称の左京と右京に分けられる、東西4.6km、南北5.3kmの方形の構造となっている。また都の内部は120m四方の町を基本単位とし、さらにその上にいくつかの大きな単位をおき、全体として格子状の街路で構成されている。
 この平安京は、京都盆地を南北に斜走していた鴨川の位置を現在の位置に移し、南に羅城門、東寺、西寺を造営する大工事によって築造された。それは古代朝廷の権威と財力を象徴する王城であった。現在の京都の都市構造も、1200年の時をこえて、この平安京の都市構造を内包している。
 造営後、平安時代と呼ばれる400年間、京都は貴族社会の舞台であり、自然と一体となった繊細な王朝文化が育まれていった。この文化は後の権力者たちの憧れの対象となり、その後も京都の文化的権威は維持され続けた。また、現在の京都の文化の源泉ともなっている。

 

(2) 町衆の誕生と活躍

 12世紀頃、武士の台頭によって朝廷の権力は衰えた。しかし京都は古代王朝が培った伝統技術を受け継いだ民衆の手で、商工業都市として繁栄を続けた。13世紀の中頃には、左京・右京から「かみのまち」「しものまち」の構成へと都市構造は変化した。「かみのまち」は宮廷に関係する町、「しものまち」は商工業に関係する町であった。
 15世紀後半、応仁の乱と呼ばれる武士団の争いの戦場となった京都は、ほとんど廃墟と化した。しかし新しい自由な民衆の力によって、京都のまちは再生した。この商人を中心とする民衆は「町衆」と呼ばれ、自治組織を形成していた。

 

(3) 京都の大改造

 応仁の乱後、16世紀末に天下を統一した豊臣秀吉は、平安京造営以来の大土木工事を行い、京都の都市構造を大きく改造した。
 その一つが「お土居」とよばれる土塁の建造である。これは外敵からの防御と洪水対策のためであったが、同時に都の内部である洛中と、都の外部である洛外を空間的に区別する機能も持った。また禁裏を東北に移し、京都を城下町化しようとした。
 いまひとつは、市街地の新しい地割を実施したことである。平安京の基本街区は正方形であったが、秀吉はそれに南北道路を通し、単位街区を長方形化した。これは土地利用の促進を図るための都市改造であった。また散在していた寺院を一ヵ所に集め、現在の寺町を形成した。
 この城下町化を図る都市改造はその途上で中断した。そして新たに水運の要所である伏見に城下町が建設され、河川港湾が整備された。

 

(4)近世の京都

 その後、武家政権である徳川将軍家は、江戸(現在の東京)に幕府を開設した。このため京都は政治の中心から離れることになった。しかし商工業都市としての地位は変わらなかった。
 京都は内陸都市であるため水上交通に多くを依拠することができなかったが、それは商工業都市京都にとって、宿命的な弱点であった。17世紀にはこの交通難を解消するために、水運の開発が図られた。京都の西側を流れる大堰川を開削し、後背地との木材運搬を可能にするとともに、鴨川沿いの高瀬川を開削し、運河化して人と物資の輸送の大動脈とした。
 この時期、京都では西陣機業がめざましい発展をとげた。1700年頃、機屋の数は約5000軒を数えた。この他にも染物、陶器、漆器、銅器などが生産され、京都の産業は最盛期を迎えた。これらの産業は、今なお伝統産業として継承されている。
 江戸期300年間に焼失1万戸をこえる大火が7回もあったが、強力な経済力を背景に京都の民衆はその都度町を復興した。

 

(5) 明治の遷都と都市近代化

 日本では19世紀後半、武家政権が倒れ、新しく近代国家づくりが始まった。この政治的変動のなかで、1869年首都が京都から東京へと移った。その結果、京都は首都の地位を失い、町は一時期沈滞した。
 やがて京都の再生事業が始まるが、その理念は、近代商工業都市として生まれ変わることであった。そのための都市改造が始まった。
 まず京都に隣接する日本一大きな湖である琵琶湖から疏水が引かれた。さらにこの疏水は市南部の伏見まで運河として延長された。この疏水は琵琶湖疏水と呼ばれるが、この疏水を利用して水力発電が行われた。1895年、この電力によって、京都の町を日本で初めて電車が走った。
 1889年には自治体としての京都市が誕生した。初代市長の内貴甚三郎のまちづくり計画の大要は以下のようなものであった。

  (1) 御池通の拡幅
  (2) 市東部風致の保存
  (3) 西陣は現状維持
  (4) 市北西部への教育機関の集中
  (5) 市西部は商工業地域
  (6) 電力利用による紡績業の振興

 その後、1907年には時の西郷市長によって京都三大事業が始められた。その内容は、水利事業、水道事業、道路拡張と軌道敷設事業であった。
 水利事業として第二疏水が開削されて電気事業が拡充され、水道事業としては給水を開始した。道路拡張事業としては烏丸通など6線が対象となった。
 このような都市計画を基礎としつつ、その後も道路事業を中心に、水道、公園などの整備が進められた。しかし戦時体制に入ると、それらの事業も中止された。

 

(6) 戦後のまちづくり

 第二次世界大戦により、日本の多くの都市が廃墟と化した。しかし京都は戦災をほとんどまぬがれた。その理由は、京都に日本の多くの文化財が集積していること、京都という都市そのものが文化財であったためといわれる。
 しかし戦災はほとんどまぬがれたとはいえ、戦時中の人的・物的消耗は著しく、都市は極度に疲弊していた。そのため戦後の復興事業が着手された。1950年には「京都国際文化観光都市建設法」が制定され、美しく豊かな都市づくりが始められた。
 戦後復興期を経て、日本社会は高度経済成長期へと移行していく。 1960年代以降日本の大都市には人口・産業・財政投資が集中した。しかしその結果、地価の上昇、スプロール的市街地の拡大、モータリゼーションの拡大などの問題が生じた。こうした現象は京都市でも例外ではなかった。
 京都市では1960年代後半から総合的な都市計画策定作業が進められ、1969年に「まちづくり構想」が発表された。また1978年には「世界文化自由都市宣言」が行われ、1983年には「京都市基本構想」、1985年には「京都市基本計画」が策定された。
 この基本計画策定後の京都市を取り巻く状況として、人口の市外流出、産業の停滞、景観の混乱、大学の市外流出などの問題が顕在化した。1991年には「京都市土地利用及び景観対策についてのまちづくり審議会」が設置され、京都市を「自然・歴史的景観保全地域」「調和を基調とする都心再生地域」「新しい都市機能集積地域」の3区域に大きく分け、景観対策の拡充や高度集積地区の設定など、それぞれの地域ごとの対策が提起された。
 同じく1991年に、健康を尺度とし、人を主役にしたまちづくりの指針として、「京都市健康都市構想」が策定された。
 こうした一連の経過のなかで、20世紀のまちづくりの総仕上げと、21世紀における新しい取組みの基礎づくりをめざす「新京都市基本計画」が1992年に策定された。この新基本計画は、「世界文化自由都市宣言」が明らかにした理想の都市像の実現に向けていかにまちづくりをしていくかが主眼となっている。新基本計画におけるまちづくりの基本方針は以下の4点である。

  (1) 人が主役の健康都市づくり
  (2) 保全・再生・創造の都市づくり
  (3) 発信を続ける芸術文化都市づくり
  (4) グローバルな視野での都市づくり

 1996年には、新基本計画を踏まえつつ、京都市が今後4年間に新たに着手、充実する施策・事業をとりまとめた、21世紀の飛躍へのかけ橋となる「もっと元気に・京都アクションプラン」が策定された。
 「21世紀・京都のグランドビジョン」は、2025年を目標年次とする21世紀最初の長期構想として策定される。

 

<世界文化自由都市宣言>

 都市は、理想を必要とする。その理想が世界の現状の正しい認識と自己の伝統の深い省察の上に立ち、市民がその実現に努力するならば、その都市は世界史に大きな役割を果たすであろう。われわれは、ここにわが京都を世界文化自由都市と宣言する。
 世界文化自由都市とは、全世界のひとびとが、人種、宗教、社会体制の相違を超えて、平和のうちに、ここに自由につどい、自由な文化交流を行う都市をいうのである。
 京都は、古い文化遺産と美しい自然環境を保持してきた千年の都であるが、今日においては、ただ過去の栄光のみを誇り、孤立して生きるべきではない。広く世界と文化的に交わることによって、優れた文化を創造し続ける永久に新しい文化都市でなければならない。われわれは、京都を世界文化交流の中心にすえるべきである。
 もとより、理想の宣言はやさしく、その実行はむずかしい。われわれ市民は、ここに高い理想に向かって進み出ることを静かに決意して、これを誓うものである。

 

 

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