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上京区の史蹟百選/平安宮址

ページ番号12718

2008年10月21日

Eエリア
平安宮址
平安宮址

 

 平安京の中枢部である大内裏(だいだいり)を平安宮と呼んでいます。南北10町,東西8町,正門である朱雀(すざく)門など14門が四面に開き,その中には大極(だいごく)殿など儀式のための宮殿や天皇の生活の場である内裏,さらに周辺の官衙が建てられていました。
 この壮麗な大内裏も平安時代中期になると律令体制が弛みはじめ,官庁での執務は役人の自邸で行うようになり,内裏も幼少の天皇の母方の里内裏へ移ったりして,本来の役割を果たさなくなります。藤原道長が若い頃,兄たちと豊楽(ぶらく)院で肝だめしをしたという話が伝えられているほど荒れはてていました。やがて内野と呼ばれ,中世には宅地化し,寺院も移転してきました。
 度重なる大火に平安宮の遺跡は市街地深く埋もれ,撹乱されているところも多く,完全な建物址は発見されていないのですが,それでも内裏内郭回廊跡(下立売通千本東入田中町)と豊楽殿跡(中京区聚楽廻西町)が国指定の史跡になって保存されています。
 明治28年,平安遷都1100年を記念して,当時大極殿跡と推定されたところに記念碑が建てられました。これが千本丸太町上るの内野児童公園にある石碑です。そのあたりは大極殿を中心とした宮殿が建ち並んでいたところで,付近の歩道に大極殿跡の文字や,門の位置が表示されています。

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