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上京区の史蹟百選,誇りの木/相国寺,アカマツ

ページ番号12291

2008年10月21日

Aエリア
相国寺
相国寺

 上京区の中でも最も広い境内地をもつ相国寺は,臨済宗相国寺派の大本山で,相国承天(じょうてん)禅寺といい,万年山と号します。永徳2年(1382)足利三代将軍義満により創建されました。相国とは太政大臣の意味で,故人である夢窓疎石(むそうそせき)の霊を招請して開山とし,春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を第2世の住持としました。義満は南禅寺を五山の上とし,その第2位に相国寺を列します。
 応永元年(1394)の失火後,室町幕府が課した守護大名の段銭によって再建の事業は進み,応永5年には高さ360尺(約109メートル)の七重大塔が造立されます。塔ノ段がその名を残しています。
 応仁の乱では東西両軍の対戦に遭います。総門を入った西側にある功徳池に架かる天界橋は,その時,細川晴元と松永久秀の合戦の火蓋が切られたところです。天正12年(1584)西笑承兌(さいしょうしょうたい)が住持の時,豊臣秀吉が寺領を施入したことによって復興します。その後,豊臣秀頼・徳川家康に加えて後水尾天皇からも諸堂を寄進されますが天明の大火に罹災し,焼け残った法堂(重要文化財)と天界橋のみが旧規を保っています。
 法堂は仏堂を兼ねた桁行5間,梁間4間,一重もこし付の典型的な禅宗建築で,慶長10年(1605)豊臣秀頼の再建になります。裏方丈の庭園は空堀状の枯流れでありながら,雨が降れば谷川を思わせる流れとなり,雨水の排水施設を兼ねて作庭されています。おそらく文化5年(1807)の方丈再建により作られたもので,京都市指定文化財の名勝です。
 本山と塔頭が所蔵する文化財は数多く,弘安2年(1279)に長楽寺一翁に与えられた無学祖元の偈語(げご)が国宝になっているほか,本山の11件をはじめ,光源院・慈照院・大光明寺・大通院にも8件の重要文化財があり,承天閣美術館に収蔵,展示されています。
 境内の墓地には歴史上著名な人々の墓が集められていますが,中でも五輪塔の藤原定家,宝篋印塔の足利義政,石標の伊藤若沖の3墓は時代を代表する墓の典型といわれています。
 また,宗旦稲荷という小祠がありますが,これは千利休の孫宗旦が相国寺の僧に茶の点前を教えていたところ,塔頭の新しい茶室が披露される茶会に招かれた宗旦の前に,宗旦になりすまして点前をする者がいました。それが薮の中に住む古狐の仕業とわかり,その狐が死んだあと,近くの人たちが祀ったのが宗旦稲荷だというのです。
 林光院の鴬宿梅(おうしゅくばい)は『大鏡』に出ており,村上天皇の時に紫宸殿の梅が枯れたので代りを探させたところ,西ノ京の軒端の梅を移植することになりました。その枝に女文字で「勅なればいともかしこし鴬の宿はと問はばいかが答へむ」という短冊がつけられていたので,調べさせたところ,紀貫之の娘であったとわかり返させたという話で,その子孫の梅だというのです。

 

DATA
・今出川通烏丸東入 相国寺門前町

 

■誇りの木
アカマツ
・高さ 17.0m   
・枝張 8.0m
・幹周 1.50m
・まつ科/常緑高木

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