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上京区の史蹟百選,区民誇りの木/妙覚寺,クスノキ

ページ番号12485

2008年10月21日

Cエリア
妙覚寺
妙覚寺

 寺院に珍しい武家風の大型の薬医門を構えた妙覚寺は,日蓮宗京都十六本山の一つで,妙顕寺・立本寺とともに三具足山といわれました。北朝の永和4年(1378)に龍華院日実が四条大宮に創建し,文明15年(1483)に二条衣棚に移り,日住が興隆に努めますが,天文5年(1536)天文法華の乱に遭い,他の日蓮宗の寺とともに延暦寺の僧徒によって焼き討ちにあいます。
 その後再興しますが,天正10年(1582),織田信長を本能寺に襲った明智光秀の軍勢は嫡子信忠の陣所であった妙覚寺を攻めたため,信忠は火を放って自刃し,寺も焼けてしまいました。やがて日奥は文禄元年(1592)に再建をなしとげますが,一方で不受不施説を唱えます。これは法華経の信者以外には施させないし,また受けさせないという主義であるために幕府から弘通(ぐつう)を停止されます。日奥は寛永7年(1630)に歿するまで,身延の受不施派と論争を続けましたが,その歿後は受施派になります。天正19年(1591),秀吉の市街地改造により現在の地に移りました。
 本堂・祖師堂・華芳塔堂・華芳宝塔・大門の5棟が京都府指定有形文化財となっていますが,中でも華芳宝塔は室町時代後期の木造宝塔で,日蓮自作という石造宝塔を納めています。大門は聚楽第の遺構と伝える本瓦葺,切妻造の一間薬医門で,大梁に板蟇股を置き左右に潜戸を配した姿は堂々たるものです。しかし,形式手法から見ると17世紀中期を下らないとされています。また日蓮筆の盂蘭盆御書は重要文化財の指定を受けております。

 

DATA
・上御霊前通新町東入 下清蔵口町

 

■誇りの木
クスノキ
・高さ 17.0m   
・枝張 18.6m
・幹周 2.96m
・くすのき科/常緑高木

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