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上京区の史蹟百選,区民誇りの木/引接寺,普賢象桜

ページ番号12872

2008年10月21日

Fエリア
引接寺
石造十重塔

 千本閻魔(えんま)堂の名で知られる引接寺は高野山真言宗に属し,光明山と号します。寺伝では寛仁年間(1017~21)源信の弟子定覚が開創して大念仏を始めたのが起こりで,文永10年(1273)明善が再興しました。
 本堂には丈六の閻魔王坐像と司命・司録の像,地蔵菩薩立像を安置し,堂内は狩野光信筆と伝える冥府を描いた壁画で飾られ,閻魔王宮を模しています。
 境内の東北隅に建つ石造十重塔は重要文化財で,至徳3年(1386)8月22日の刻銘があります。高さ6.1メートルで,九重塔に裳階(もこし)を付けたとも,二重の宝塔の上に多層塔の残欠八重を積み上げたとも考えられている珍しい石塔です。基礎の周囲に14体の仏立像を彫刻し1重目には四方に四仏をあらわし,2重目は四本柱の中に円形の石を置き種子(しゅじ)を刻んでいます。この石塔は紫式部の墓とも伝え,もとは紫野の白豪院にありました。
 北側の鐘楼にある梵鐘は鋳銅製で,高さ148.3センチ,口径82.7センチ,刻銘には康暦元年(1379)7月に円阿弥陀仏の勧進により,大工藤井国弘が製作したとあります。円阿弥陀仏は十重石塔の勧進僧としても知られています。鎌倉様式を受け継ぎ,制作年・作者・勧進僧が明らかなところから京都市指定有形文化財となっています。
 また,民俗芸能として京都市登録文化財となっている千本えんま堂大念仏狂言は,5月1日から4日間,境内の狂言堂で演じられます。開創当時,定覚によって始められたと伝え,鎌倉時代に明善により再興されました。京都では壬生・嵯峨釈迦堂・神泉苑とともに大念仏狂言として知られ,仏教の教えを広めるための方策として演じられてきました。鰐口・太鼓・笛で囃すのは他の狂言と同じですが,無言劇でなく台詞(せりふ)のあることが特色となっています。毎日,閻魔庁で始まり千人切りで終わることになっていて,芋汁・寺譲りなど16番を伝えています。
 なお,境内にある普賢象(ふげんぞう)桜は花の姿が普賢菩薩の乗る白象の鼻のようであるところから名づけられました。室町時代には多くの人々が花見に訪れ,桜の盛りの時に狂言を演ずることになっています。

 

DATA
・千本通芦山寺上る 閻魔前町

 

■誇りの木
普賢象桜
・高さ 3.5m   
・枝張 8.0m
・幹周 0.41m
・ばら科/落葉高木

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