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上京区の史蹟百選/石像寺

ページ番号12514

2008年10月21日

Cエリア
石像寺
石像寺

 くぎぬきさんと通称される石像寺には堂本印象画伯の奉納になる大きな釘抜が立っており,お堂の周囲には釘と釘抜をはめこんだ小絵馬がぎっしり懸かっています。家隆山と号する浄土宗の寺で,本堂に安置する石造地蔵菩薩像が釘抜地蔵です。
 これには一つの霊験譚があります。弘治年間(1555~58)油小路上長者町あたりに住んでいた紀国屋道林は両手に激痛がおこり,医師の治療を受けても癒りません。そこで石像寺の地蔵尊に7日の願かけをしますと,満願の日の夢に地蔵尊が出現し,その手に2本の八寸釘が握られ,この悩みは前世において人を怨み,人形に八寸釘を打ちこんだ呪いによるもので,祈願によってその罪障は消えたと告げられます。目覚めた道林の痛みは消え失せており,地蔵尊の前には血のついた八寸釘があったということで,苦を抜くとかけあわされて今に至るまでその信仰が続いています。身体に釘がささったと称して病気平癒を祈り,平癒のお礼に奉納するのが小絵馬なのです。
 地蔵堂の背後にある小堂には,京都では珍しい重要文化財に指定された阿弥陀如来と両脇侍の3躯の石仏が安置されています。中尊の阿弥陀如来坐像の高さは91.5センチ,大ぶりの螺髪(らほつ)の割に頭部が小さく造られているのでまとまりがよく,目鼻立ちも明快で長めの体躯と厚い膝頭が安定性を保っています。光背も一石からの丸彫りで二重円相に種子(しゅじ)を彫り込んだ円相を刻み出しています。台座は仰蓮(ぎょうれん)と反花(かえりばな)が薄い敷茄子(しきなす)を挟んでいます。脇侍は観音菩薩と勢至菩薩の立像で,観音菩薩は冠紐と垂髪を肩に垂らし条帛と天衣(てんね)をかけ,腹前にかまえた左手は未開敷蓮華(みかいふれんげ)の柄を執り,右手に花を添えます。天冠台正面に水瓶をあらわした勢至菩薩は合掌しています。
 中尊の光背の裏面には刻銘があって佐伯朝臣伊勢権守為家が願主となり,元仁元年(1224)12月2日に造り始めて翌2年4月15目に開眼供養が行われたという経緯を明らかにしています。なお,元仁という元号は11月20日に改元し,翌年の4月20日には嘉禄となっていますから,わずか5か月間しか存在しませんでした。しかも,ほとんど歴史的な出来事もなかった期間ですので,この像の刻銘のみに残された元号といえます。
 墓地には,藤原定家・家隆・寂蓮といった歌人の供養塔があります。家隆の塔があるところから家隆山,また石仏によって石像寺と名づけられたようです。

 

DATA
・千本通上立売上る 花車町

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