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上京区の史蹟百選,区民誇りの木/妙顕寺,ソメイヨシノ・イブキ

ページ番号12460

2008年10月21日

Cエリア
妙顕寺
妙顕寺の写真

 日蓮宗京都十六本山を総統する妙顕寺は,京都における日蓮宗最初の道場で,三具足山の一つです。日蓮の高弟日朗の門下,日像が創建しました。日像は日蓮の教えを弘めるために永仁2年(1294)に京へ入り,皇居の東門前で東山に昇る日輪に向かって題目を唱え,京都における開教の第一声をあげたといいます。最初は四条大宮あたりに法華堂を建てますが,他宗からの法難に寺地は転々し,豊臣秀吉の市街地改造により他の寺とともに安居院(あぐい)通に移され,寺之内通が成立しました。法難の間にも建武元年(1334)に後醍醐天皇から法華宗弘通の綸旨を得て勅願寺となり,のち妙覚・立本・妙蓮・本隆の各寺などが分立します。
 寺の歴史を物語る妙顕寺文書1656通や,日蓮自筆で,その思想的背景を知ることができる神国王書など5件が重要文化財に,本堂以下17棟が京都府指定有形文化財,狩野山楽筆の楼閣山水図屏風が京都市指定有形文化財になっています。
 天文法華の乱(1536)に全山災禍に遭い,天正12年(1584)に現在の地に移ります。堂宇は天明大火後の再建になりますが,本尊は日蓮の持仏黄金釈迦仏像で,祖師堂背後の鐘真窟には日蓮・日朗・日像の遺骨が納められています。本堂前の石灯篭は妙顕寺型といわれて著名なものです。
 東隣の塔頭泉妙院には尾形光琳の墓があります。光琳(1659~1716)は中立売智恵光院付近の呉服商雁金屋の子として生まれ,本阿弥光悦や俵屋宗達の画風を学び,琳派といういかにもこの時代にふさわしい流派を作り上げました。「長江軒青々光琳墓」と彫られた墓石は,100回忌の文政2年(1819)に酒井抱一が建てたもので,近年,寺内の総墓地から移された弟乾山ら光琳一族の墓石と並んでいます。

 

DATA
・寺之内通新町西入 妙顕寺門前町

 

■誇りの木
ソメイヨシノ
・高さ 8.0m   
・枝張 9.0m
・幹周 2.00m
・ばら科/落葉高木

 

イブキ
・高さ 13.0m   
・枝張 9.1m
・幹周 2.91m
・ひのき科/常緑高木

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