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京都市指定・登録文化財-名勝(上京区)

ページ番号189625

2020年4月6日

京都市指定・登録文化財-名勝(上京区)

相国寺裏方丈庭園(しょうこくじうらほうじょうていえん)

 臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は,足利義満により創建された。現在の方丈は,天明の大火による焼失後の文化4年(1807)に再建されたもので,この庭園もその時に築造されたものと伝えられている。方丈の北面に広がる庭園は,空堀状の枯流れが特徴である。この枯流れは,卓越した意匠を持ちながらも,方丈の屋根や周辺の雨水処理と,方丈からの鑑賞という,重層的な機能を満たしている点からも,貴重な庭園である。
相国寺裏方丈庭園

大聖寺庭園(だいしょうじていえん)

 門跡尼寺である大聖寺が現在地に移ったのは,元禄10年(1697)のことであり,寺に保存されている日記から当時の様子がうかがえる。庭園は,境内南端の土塀沿いに配され,東西約30mの枯流れを主体とする。様相は,門跡尼寺に相応しい御所風の優美さを備えている。寺に保存されている日記によると,明正天皇(1623~96)の没後,河原の御殿から材料を移して築かれたものであることがわかる。江戸中期の記録が残る,優れた意匠の庭園として貴重である。

大聖寺庭園

本妙院庭園(ほんみょういんていえん)

 本妙院は,妙蓮寺の塔頭であるが,妙蓮寺山内の建物は天明8年(1788)の大火でそのほとんどが焼失した。現在本妙院が立っている位置は,寿命院の跡地であることが古地図から判明している。庭園については,記録がないため,寺伝のとおり大火前のものだとすると,元来寿命院の庭園であったことになる。庭園は,書院の東にあり,枯山水の様相を呈している。築山上には,モッコクやカエデを中心にカシノキなどが植栽されている。    

知恩院方丈庭園などの作庭に関わったといわれる玉淵坊(江戸時代前期~中期)の系統の作庭家の関与が考えられる貴重な庭園である。
本妙院庭園

立本寺庭園(りゅうほんじていえん)

 日蓮宗の本山の一つである立本寺が現在地に移ったのは,宝永5年(1708)のことである。庭園については,寺に残る『龍華西院歴代録』の記載から,日到上人が立本寺の住職をしていた天保14年(1843)から嘉永3年(1850)の間に作庭されたものであることがわかる。庭園は客殿の西及び南にかぎ形に広がっており,西側が中心となっている。池を掘ることなく,築山を多数築いていることから,明確な意図のもとに他所から土を運んで築造されたと考えられる。江戸時代末期の記録が残る,独創的な意匠を持つ庭園として価値の高いものである。

立本寺庭園

官休庵(武者小路千家)庭園(かんきゅうあん(むしゃのこうじせんけ)ていえん)

 茶道の家元,武者小路千家の露地で,初代一翁宗守が寛文7年(1667)高松藩の茶堂を辞し,建てた茶室が官休庵である。以降,3度の火災に遭い,明治14年にほぼ現在の姿になった。敷地内には官休庵のほかに,多くの茶座敷があり,様々な方法で利用されている。路地は,飛び石や蹲踞を巧みに配置し,これらの茶座敷をつないでいる。また内露地と外露地を結ぶ「網笠門といわれる中門は,日本庭園の中でも特に著名である。創設以来の伝統的な手法と斬新な意匠を併せ持つ庭園である。
官休庵(武者小路千家)庭園

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