京都市指定・登録文化財-美術工芸(中京区)
ページ番号189693
2020年4月6日
京都市指定・登録文化財-美術工芸(中京区)
紙本金地著色祇園祭礼図 六曲屏風 海北友雪筆(しほんきんじちゃくしょくぎおんさいれいず ろっきょくびょうぶ かいほうゆうせつひつ)
金雲により2段に分けられ,上段に祗園祭後の祭の山鉾巡行,下段に神輿3基の還幸が描かれる。
書院障壁画 森狙仙筆(しょいんしょうへきが もりそせんひつ)
雪景の中の猿・鹿・猪を温和で濃やかな描法で描いたもの。筆者・森狙仙(1742~1821)は大坂で活躍した画家で,彼を祖とした森派は円山派と密接な関係にあった。文化4年(1807)以前の制作。
絹本著色中川秀成夫人像(けんぽんちゃくしょくなかがわひでなりふじんぞう)
織田信長の家臣・佐久間盛政の娘,虎(1564~1610)を描いたもの。虎は盛政没後,中川清秀の次男秀成に嫁いでいる。衣装描写の優秀な桃山時代の女性肖像画として貴重。
紙本著色祇園社大政所絵図 二曲屏風(しほんちゃくしょくぎおんしゃおおまんどころえず)
祇園社の祭礼の御旅所(おたびしょ)である祇園社大政所が高辻烏丸に所在した頃の姿を描いた作品。たなびく霞と雲によって3つの場面に分けられており,画面右上には山鉾巡行,左上には御輿渡御,そして画面中央には一際大きく湯立神楽(ゆたてかぐら)の神事が行われている大政所が描かれている。中世末期の大政所の詳細が伺える希少な絵画資料として貴重。
旧二条城関係の石造物群(きゅうにじょうじょうかんけいのせきぞうぶつぐん)
地下鉄烏丸線建設工事に伴って行われた発掘調査により,旧二条城の石垣として発見されたもの。石垣は自然石の他に,石仏,石碑,五輪塔,礎石,建材などで造られている。
栢杜遺跡出土品(かやのもりいせきしゅつどひん)
伏見区醍醐柏森町にある栢杜遺跡を発掘証左した際に出土したもので平安時代後期~鎌倉時代のものを主とし,このなかには,瓦,土器類の他に多数の建築部材が含まれている。
鞍馬ニノ瀬町出土銭(くらまにのせちょうしゅつどせん)
左京区鞍馬二ノ瀬町から石垣工事中に大量の埋蔵銭が発見された。緡銭(さしぜに:1貫文を緡縄で通したもの)にして曲物に入れて埋められた中世の埋蔵銭で,凡そ4万枚前後あったと考えられる。最古銭は紀元前187年初鋳の八銖半両,最新銭は1310年初鋳の至大通寳で,種類は117種。
岩倉具視関係資料(いわくらともみかんけいしりょう)
明治維新の中心的役割を果たした岩倉具視(1825~83),及び具視周辺の人物に関する資料。(平成12年6月に,一部が重要文化財指定となる。)
奥村家当道座関係資料(おくむらけとうどうざかんけいしりょう)
最後の惣検校を勤めた奥村家に伝来し,琵琶法師を中心とする盲人組織の当道座に関する資料。
神家京秤座関係資料(じんけきょうますざかんけいしりょう)
本資料は,江戸幕府が衡制統一のために設けた秤座の西国責任者であった神家に伝わったもので,江戸時代以降近代に至る秤や同製作用具,古文書等からなっている。
湿板写真及び鶏卵紙(熊谷直孝像)(しつばんしゃしんおよびけいらんし くまがいなおたかぞう)
直孝は鳩居堂7代目当主で幕末期の勤皇家としても知られている。日本においては,銀板写真に続いて湿板写真技術が長崎にもたらされ,安政5年(1858)には日本人による湿板写真撮影が行われた。本資料は安政6年,直孝42歳の折に板倉槐堂(1822~79)により撮影されたもの。
六角町文書(ろっかくちょうもんじょ)
祇園祭山鉾町の一つである六角町の文書で,江戸時代初期~明治時代のもの。近世の山鉾町の様子を知る上で貴重。
荻野家文書(おぎのけもんじょ)
雑色を勤めた荻野家に伝わる文書で桃山時代~明治時代のもの。特に雑色の勤役や規式等を記した雑色要録は貴重。な例と言える。
占出山町文書(うらでやまちょうもんじょ)
祇園祭の山鉾町の一つ,占出山町の文書で桃山時代~江戸時代のもの。中でも文化文政年間(1804~30)を中心とする町代改義一件についての文書が全体の2分の1を占める。
西洞院六角屋地手継券文(にしのとういんろっかくやちてつぎけんもん)
西洞院六角周辺の土地に対する売券,譲状など12通を1巻とした手継文書で,建暦元年(1211)から天文14年(1545)にかけてのもの。
金銅製蓋付き蔵骨器(こんどうせいふたつきぞうこつき)
右京区嵯峨から出土した蔵骨器(ぞうこつき)である。中国製褐釉壺(かつゆうこ)と考えられ,これに合わせて製作された金銅製の蓋を伴う。金銅や銅で製作された蔵骨器は,奈良時代の遺品にあるが,陶器の身と金属製の蓋の組み合わせは本品以外に例が無い。また,本品は地中に作られた小石室に納めた後,木炭で覆って埋め戻されていた。類似の火葬墓は稀で,高貴な人物の墓と想定される。本品は,平安時代末期から鎌倉時代初期の金銅製品の製作技術を知る上でも,同時代の埋葬法を考える上でも貴重な遺品である。
永運院文書(えいうんいんもんじょ)
本文書は,金戒光明寺の子院,永運院本堂の襖絵4面の下張りに使用されていたものである。平成11年の襖絵修理の際に発見され,同16年に永運院から本市に寄贈された。その内容は豊臣秀吉,徳川家康に仕えた宮城豊盛(1554~1620)に関わるもので占められ,天正10年(1582)から文禄5年(1596)の年記が集中して見られる。内訳は書状が113点,検地・年貢関係28点,軍事関係26点,その他12点である。書状は主に秀吉の近習に関するもので,差出人には,片桐且元・黒田長政・小西行長などの名がみられる。書状以外では,豊盛が豊後の国で行った検地関係のものや,島津攻めに用いられた兵糧に関するものが目立っている。量が豊富であり,当時の小大名の生活や,これまでほとんど知られることのなかった豊臣政権下の小大名の交流を知る上で貴重な資料である。
小倉町別当町遺跡出土 無文銀銭(むもんぎんせん)
平成6年度実施の左京区北白川別当町所在,京都市立北白川小学校内の発掘調査において出土した市内で唯一の無文銀銭。飛鳥時代から奈良時代前期の集落遺跡である小倉町別当町遺跡から,竪穴住居や掘立柱建物とともに検出された土坑の底より出土した。飛鳥時代後半から末頃(7世紀後半~8世紀初頭)に推定される。直径30.6mm,厚さ2.0mm,重量9.5gで,中央に円形の小孔を穿(うが)つ。表面には「高志□」の3字と「T」字形の記号が鏨で刻まれ,「高志」は地名,人名,吉祥句の三通りに解釈される。明確な文字を刻んだ無文銀銭としては他に例をみず,山背国北東部と近江大津京とを最短ルートで結ぶ古道に隣接する集落より出土したことから,畿内と他地域との貨幣流通を検討する上でも重要な資料である。
平安宮内酒殿(うちのさかどの)跡出土 「内酒殿」木簡
平成7年度実施の京都市上京区日暮通下立売上る分銅町における発掘調査で出土した木簡。調査地は内裏に東接し,天皇の家政機関が集中する重要な場所に相当する。平安時代前期の井戸より出土した木簡は,最大幅3.0㎝,厚さ0.5㎝で,長さは18.3㎝残存し,「内酒(うちのさか)殿(どの) 夫貳人料(ふににんりょう)飯捌升(いいはっしょう) 人別四升(にんべつよんしょう) 弘仁元年十月十八日 山作(さんさく) 大舎人(おおどねり)□□□」との墨書が残る。その内容は,弘仁元年(810)に山作りに携わった夫の食料として,大舎人□□□から内酒殿宛に米を請求したものである。文献資料における内酒殿の初出は元慶五年(881)であり,木簡の出土により弘仁年間にはすでに内酒殿が存在していたことが明らかになった。平安宮域で出土した唯一の文書木簡であり,調査地周辺に内酒殿が存在したことを裏付け,さらに宮内官衙の変遷や消長を知る上で重要な資料といえる。
平安京跡出土 人形代(ひとかたしろ)
平成16年度に右京区西院西溝崎町(平安京右京六条三坊六町)での発掘調査で出土した人形代。調査では平安時代前期の掘立柱建物2棟や井戸1基などが検出され,人形代は井戸より2躯とも頭を東に向けた仰向けの状態で出土した。9世紀前半の年代が想定される。人形代は立体形で,大型品は男性像,小型品は女性像と推定される。いずれも一木削り出しで成形されるが,両腕は別材で作り,木釘で固定し後ろ手に回る。削り出された頭部には目・鼻・口・髪などが墨書で表現され,胸部には名前が墨書される。立体的で非常に写実的に形作られた人形代で,製作時期である平安時代前期の風俗を知る上で重要であり,また,出土状況や後ろ手の形態から呪術などの当時の精神生活を知る資料としても大変貴重。
平安宮跡出土 和歌墨書土器
上京区下立売通日暮西入中村町における昭和52年度実施の発掘調査より出土した墨書土器。調査地は平安宮の東辺部中央,内裏東方に位置する左兵衛府及び侍従所付近に推定される。発掘調査で検出された平安時代の遺構群のうち,墨書土器は平安時代中期の南北溝(幅約1.5m,深さ約0.65m)から出土した。10世紀前半に推定される。土器の内面には平仮名で三行に分けて和歌一首が墨書され,『万葉集』や『伊勢物語』,『蜻蛉日記』などの文献資料にも記されている,土器に和歌を書いてやりとりする和歌贈答という行為を直接示す遺物である。土器に和歌を記した唯一の考古資料として貴重であるとともに,最初期の平仮名で書かれた和歌の稀少例として平仮名の成立過程を示す重要な資料である。
長岡京東南境界祭祀遺跡出土品 墨書人面土器,土製祭祀具,木製祭祀具,共伴遺物
平成2年度に京都市伏見区淀水垂町で実施の発掘調査で出土した祭祀遺跡出土品。発掘調査地は長岡京左京七条三坊三町の北西部に該当し,長岡京の東二坊大路と七条条間小路の交差点を検出した。交差点のほぼ中央を,北西から南東方向に斜めに流れる河川跡がみつかり,その中から多くの祭祀遺物が出土。七条条間小路と東二坊大路の検出状況から,この付近が長岡京の東南隅となる。道路交差点付近で祭祀がおこなわれ,河川に墨書人面土器・土製祭祀具・木製祭祀具・土器類などが投棄されたと推定できる。本品は、長岡京の東南隅に近い道路交差点付近で,墨書人面土器や土製・木製祭祀具を駆使して執行した祭祀に関わる出土品と評価できる。共伴遺物には「延暦(えんりゃく)十年(791)三月十六日」の紀年銘(きねんめい)木簡もあり,祭祀を執行した時期の一端を特定できる。墨書人面土器584点は,圧倒的な量を誇り,描かれた人面がよく残っていることも含めて,長岡京期における境界祭祀の実態を示す貴重な資料である。
三条せと物や町界隈出土の「桃山茶陶」(ももやまちゃとう)
平成元年に京都市中京区三条通柳馬場東入中之町の立会調査で多量の「桃山茶陶」が出土した。中之町には,慶長末年~寛永年間の屏風や絵図から,焼き物屋が存在し,「せと物や町」と呼ばれていた。出土地点は,三条通に面した屋敷の裏側の穴や井戸からで,完形品がほとんどなく,窯道具が認められることから,まとめて窯買いした製品を選別し,廃棄した商品と推定できる。出土品は美濃・瀬戸産の製品が多く,黄瀬戸,瀬戸黒,志野,鼠志野,織部(織部黒・青織部・鳴海織部・赤織部・黒織部・総織部・志野織部),美濃伊賀,美濃唐津などで,他に唐津・高取産や京都産軟質施釉陶器,焼締陶器,輸入陶磁器,土師器が認められる。器種としては,茶碗や向付など,茶の湯の席で使用されるものが大半を占め,産地を越えて共通する意匠も多い。これらは共伴する土師器皿から,元和年間(1615~24)の年代が与えられる。本品は,窯跡以外では最大の出土量であり,中之町が主として美濃・瀬戸産の茶陶を扱う陶磁器商店(瀬戸物屋)であったことを裏付けるだけではなく,需要に応じて全国に向けて茶陶を流通させる要であったことを示す。伝世品にないものも存在し,流通段階での取捨選択を示唆するものとして,「桃山茶陶」の全容を明らかにしてゆく上で,本品は必要不可欠な存在と評価できる。
方広寺鐘銘草稿(ほうこうじしょうめいそうこう)
豊臣秀吉の発願で創建された方広寺大仏殿は慶長大地震による倒壊や火災を経て,同19年(1614)4月梵鐘完成を以て竣工した。この梵鐘の鐘銘にある「国家安康」が「家康」を分断し,「君臣豊楽」が豊臣家を君主として楽しむの意があると徳川家康が難じて,同年11月には大坂冬の陣が勃発,豊臣方滅亡の遠因となった話はあまりにも有名である。この梵鐘は方広寺に現存し,重要文化財に指定されている。梵鐘の鐘銘作成は総奉行の片桐且元(かつもと)が.漢詩文の才で知られた南禅寺の文英清韓(ぶんえいせいかん)(1568~1621)に命じたもので,清韓自筆の草稿本が2点現存する。1点は,東福寺に伝来し,現在MOA(エムオーエー)美術館に所蔵される「方広寺大仏鐘銘」1幅(重要文化財)で,本巻がもう1点にあたり,一時所在不明であったが,平成20年京都市歴史資料館に寄贈された。本巻の署名の書体と全体に振られた訓点や訂正増補の跡により,一見すると本巻が草稿本でMOA美術館本が清書本のようだが,現存する梵鐘銘と比較すると両本とも後半部分が相違する。見消(みせけち)のうち巻末の秀頼の官職名はMOA美術館本で「右丞相」とされるが,本巻では梵鐘の銘文通り「右大臣」とされるうえ,見消で2か所,挿入文で6か所が梵鐘の銘文に反映されているため,本巻はMOA美術館本より後の草稿であるといえる。方広寺梵鐘の銘文作者文英清韓の自筆草稿で,推敲過程がわかる史料として,貴重である。
平安京右京三条二坊十六町「齋宮」邸出土品(へいあんきょううきょうさんじょうにぼうじゅうろくちょうさいくうていしゅつどひん)
平成11年,京都市中京区西ノ京東中合町1に所在する西京高等学校新校舎建設計画に伴う発掘調査において,平安時代の邸宅跡と邸宅に関連する遺物が多量に出土した。同校敷地は平安京右京三条二坊十五・十六町にあたり,十六町が1町規模の宅地である。十六町は園池跡から出土した墨書土器に,「齋宮」,「齋雑所(さいざっしょ)」などと記されていたことから,伊勢神宮に仕えた齋宮と深く関わる邸宅であったことが明らかとなった。齋宮は,伊勢に下った齋王やその居処の齋王宮、そして齋王自身のこともいう。齋王は,天皇の代替わりごとに神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に奉仕する皇女で,『延喜式』によれば,未婚の内親王または女王の中から卜定(ぼくじょう)され,勅使が齋王家に遣わされ,初齋院に入るまで齋王家で潔斎の日々を過ごした。発掘調査では,園池関連遺構,掘立柱建物跡群などを検出し,出土遺物の大半は,園池関連遺構から出土した。出土品は,土師器,須恵器,灰釉陶器,緑釉陶器,輸入陶器,石製品,木製品などである。墨書土器は灰釉陶器の椀皿類の出土が最も多く,墨書の内容は大きくみて齋宮関係の墨書群と特定の数詞を記した墨書群に区分することができる。齋宮関係墨書は,「齋宮」,「齋雑所」,「齋舎所」などがあり,数詞墨書には「清 十二」,「六十」,「卅三」などがある。また,吉祥句「冨」あるいは,呪符記号「井」を記したものも出土している。人形代(木製品)は,平安京内出土の人形代としては最大級で,頭部・顔面は墨書で写実的に描写している。墨書から性別を判断することはできない。以上の通り,9世紀後半から10世紀前半における,皇族(内親王)クラスの私的な生活様式に加え,「齋宮」邸という公的・祭祀的一面を検討するうえで欠かせない重要な資料である。
平安京右京三条一坊六町「西三条第(藤原良相邸)」出土品(へいあんきょううきょうさんじょういいちのぼうろくちょう にしさんじょうだい ふじわらよしみ)
京都市中京区西ノ京星池町・小倉町に所在する平安京右京三条一坊六町(藤原良相(よしみ)邸)跡から出土した,9世紀後半を中心とした平安時代前期のまとまった資料である。藤原良相(813-867年)は,藤原冬嗣(ふゆつぐ)の五男で,斉衡(さいこう)4(857)年に右大臣となる人物である。鎌倉時代に成立した『拾芥抄(しゅうがいしょう)』本文と付図である『西京図』図中に,この地が「百花亭(ひゃっかてい)」と称する藤原良相の邸宅跡であると記される。『日本三代実録』や『大鏡』にも関連記載があり,この地が藤原良相邸であると推定できた。また発掘調査でも,「斉衡四年三條院正倉帳」の題箋(だいせん)木簡や「三条院鈎殿高坏」と墨書のある高杯が出土し,その推定を裏付ける根拠となった。発掘調査では,平安時代の建物や柵,井戸,園池などが確認され,特に9世紀後半の園池からは豊富な遺物が出土している。出土品は,土器や木製品,金属製品,石製品など,多種多彩である。特に注目されるのは,高品質な緑釉陶器,輸入陶磁器のほか仮名文字の書かれた墨書土器である。同時期の仮名文字資料は少なく,その成立過程を示す基準資料といえる。平安京右京三条一坊六町跡は,平城京長屋王邸と並び,出土文字資料により居住者が確認できた稀な例である。本品は,居住者が特定でき,かつ,初期の仮名文字資料が認められるなど,平安時代前期の上級貴族の都市生活を検討するうえで欠かせない重要な資料である。
三条せと物や町界隈出土の「桃山茶陶」(下白山出土品)(さんじょうせとものやちょうかいわいしゅつどのももやまちゃたく)
平成7年に中京区麩屋町通三条上る下白山町から多量の「桃山茶陶」が出土した。「桃山茶陶」は平成23年度に中之町出土品,平成25年度に弁慶石町出土品を京都市有形文化財に指定している。下白山町に隣接する中之町は,慶長~寛永年間に描かれた屏風図や絵図から「せと物や町」が当時存在したことがわかる。茶陶は,通りに面した町家の裏庭に掘られた複数の穴から出土した。完形に復元できるものが多く,商品としての茶陶を廃棄したものであり,当地にも瀬戸物屋が存在したことを示す。茶陶の種類は信楽・伊賀,備前産の焼締陶器が豊富で,他に高取産の施釉陶器,中国・朝鮮等からの輸入陶磁器等がある。中でも信楽・伊賀,備前産の水指,花入,建水といった袋物が多く,歪みを強調したものや,装飾を施すなど多様な造形を示し,伝世品に類例がない製品もある。制作年代は,高取産の製品が全て慶長19年(1614)開窯の内ヶ磯(うちがそ)窯産であることから,元和年間(1615~1624)に位置付けられる。慶長年間後半に属する弁慶石町出土品と比べると,焼締陶器が占める割合の高さは共通するものの器種に偏りが見られ,水指,建水,花入に特化する。器に対する作為や歪みの程度も大きい。美濃産の施釉陶器や,茶碗や向付が少ないことは,同時代に属する中之町出土品とは異なる。ただし,中之町出土品と本件には産地を越えて共通する意匠,技法が認められる。本件を弁慶石町並びに中之町出土品と考え合わせることで,「桃山茶陶」が短期間で大きな変化が生じたことや,全国に共通する「織部好み」という価値観が浮かび上がる。各出土品の内容の違いは,変化する流行,産地との繋がり,品揃えの特徴を現すものであり,「せと物や町」と記された町名にふさわしい景観を具体的に復元できる重要な資料となる。
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