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京都市指定・登録文化財-名勝(中京区)

ページ番号189628

2020年4月6日

京都市指定・登録文化財-名勝(中京区)

壬生寺庭園(みぶでらていえん)

 『壬生寺縁起』によれば,同寺の創建は正歴2年(991)に遡り,現在地に寺地を定めたのは建保(1213)のこととされる。本道の西,書院の南に位置する庭園は,北村援琴によって著された『築山庭造伝』に,鳥瞰図が載せられている。しかし,後の大火で,本堂以下ことごとく焼失したため,庭園も損害を被ったものと考えられる。よって,現在のように整えられたのは,文化8年(1811)に本堂等が再建された頃と考えられるが,一部は上述書籍の図と相似している。庭園は南北に長い枯池を中心とし,半周を築山で囲まれている。書院から見て右手奥には,枯滝石組みが配されている。市街地の中心にありながら,江戸時代より残る庭園として貴重なものである。

壬生寺庭園

堀内家長生庵庭園(ほりのうちけちょうせいあんていえん)

 18世紀初期に,堀内家初代仙鶴が築いたものと考えられており,大きくは外露地,茶室「長生庵」及び「無着軒」の内露地の三つに分けられる。千家の露地とは異なり,内露地には腰掛や雪隠を設けていないのが特徴である。中門をくぐり,長生庵の内露地に入ると,長生庵の躙口までは,露地中央の井筒を回りこむように飛び石が打たれ,奥行きを深く見せるような工夫がなされている。江戸時代の茶家の庭の様子を今に伝えるものとして貴重なものである。

堀内家長生庵庭園

廣誠院庭園(こうせいいんていえん)

 廣誠院庭園は,当地が伊集院兼常の所有であった明治25年(1892)から5年の間に,建物と共に造られたと考えられる。伊集院は建築と庭園に造詣が深く,当庭園は彼の強い指示の下に築造されたと考えられる。庭園は書院と茶室,広間に南面し,園池の水を高瀬川から取水し,再び元の川へ戻すという,現在は見られなくなったこの地域特有の庭園の形態を残す。庭園と建物は見事に融和しており,書院の大きな庇を支える柱の礎石が池中に据えられるなど,随所に軽やかな趣きが演出されている。建物と水流が融和する近代黎明期に造られた庭園として貴重である。
廣誠院庭園

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