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新指定・登録文化財 第32回京都市文化財

ページ番号175575

2020年4月6日

 京都市では京都市文化財保護条例に基づき,文化財の指定・登録を毎年行っています。

 平成26年2月に京都市文化財保護審議会から答申を受け,新たに5件を指定し,1件を追加指定しました。(平成26年3月31日告示)

 これにより,京都市指定・登録文化財は全部で495件になりました。(平成26年4月1日現在)

*〔 〕内は,文化財の所有者又は保持団体名です。

建造物

正法寺遍照塔

正法寺遍照塔(しょうぼうじへんじょうとう)(旧忠魂堂) 1棟 附 額 1枚 (指定)

〔京都市西京区大原野南春日町 正法寺〕

 この建物は,日露戦争の戦没者慰霊のため,明治41年(1908),京都尚武義会により東山区の高台寺境内に建設されたものを,平成22年に当地へ移築したものである。移築前には「忠魂堂」の刻銘をもつ額が上層に掲げられていた。

 設計主任には京都府技師亀岡末吉が担当している。亀岡は明治後期以降,社寺建築を中心とした設計活動を展開し,その華麗な意匠は「亀岡式」と名付けられ,模範的な作例として当時の建築界に大きな影響を与えた。この建物は,亀岡が実現させた最初の設計作品と位置付けられている。

 建物は六角二重塔という特異かつ稀有な形態をもつが,その意匠には,建築史学の知見を踏まえた,時代ごとの特徴を把握した細部意匠が採用され,建築全体として整った諧調を得て破綻なくまとめられている。

 本建築は大正以降,全国的に社寺建築の作風手法に感化影響を与えたとされる所謂「亀岡式」意匠確立のための歴史的な創生源であったと位置付けられ,日本近代における社寺系和風建築の進展・形成過程を知るうえで,極めて貴重な遺構といえる。

涌泉寺生師廟

涌泉寺生師廟(ゆうせんじしょうしびょう) 1棟 附 日生(にっしょう)行実記木札 2枚 (追加指定)

〔京都市左京区松ヶ崎堀町 涌泉寺〕

 涌泉寺は大正7年(1918),本涌寺と妙泉寺が合併してできた日蓮宗の寺院で,現在の寺地はかつての本涌寺のものにあたる。本涌寺は日蓮宗教団の宗内僧侶養成のための檀林(だんりん)であり,松ヶ崎檀林とも称し,数ある洛陽日蓮諸檀林のなかでも最古のものである。

 江戸時代前期建立の本堂は,昭和60年6月1日に京都市有形文化財(建造物)として指定されているが,その後の調査によって生師廟の履歴が明らかになったので,今回追加指定するものである。

 生師廟は,本涌寺の開基である日生(にっしょう)の廟堂として建てられたもので,寺蔵文書等によると,享保13年(1728)の建立であることが判明する。

 建物の規模は方2間で,切石積基壇上に南面して建つ。柱はすべて面取角柱として礎石上にたち,柱上には舟肘木(ふなひじき)を置く。内部は床を四半目地切土間として棹縁(さおぶち)天井を張り,中央後ろ寄りに「學室開基日生聖人」の陰刻銘のある碑をおく。柱間は正面中央に藁座付桟唐戸(わらざつきさんからと)を構えて,他の三方は壁で閉ざすが,背面柱間上部に小さな丸窓を穿つ。屋根は宝形造(ほうぎょうづくり)・本瓦葺とし頂部には宝珠露盤(ほうじゅろばん)をのせる。

 建物は小規模かつ簡素であるが,均衡がよくとれている。保存状態も良好であり,日蓮檀林の廟建築として注目すべき遺構である。

美術工芸品(工芸品)

金銅三鈷杵
金銅独鈷杵

金銅三鈷杵(こんどうさんこしょ) 1口 ,金銅独鈷杵(こんどうとっこしょ) 1口 (指定)

附 『由緒書』1巻,木製木瓜型厨子(もっこうがたずし) 1基

〔京都市上京区北ノ辺町 廬山寺〕

 本作は, 圓浄宗(えんじょうしゅう)大本山廬山天台講寺(ろざんてんだいこうじ)(以下廬山寺(ろざんじ))に伝来した二口の金剛)杵(こんごうしょ),三鈷杵(さんこしょ)と独鈷杵(とっこしょ)である。三鈷杵は,円形の張り出しの強い鬼目(きもく)など平安時代後期の特徴がよく見られ,この時期の優品として知られる奈良国立博物館蔵(川端康成氏旧蔵)金銅三鈷杵に近いが,これに比べ,やや温和な作風を示すことから,12世紀後半の製作と考えられる。独鈷杵は,鬼目は楕円形になるなど鎌倉時代の特徴が認められるが,前代の作風も残っており,現存遺品では13世紀前半の製作と見られる東福寺蔵金銅独鈷杵に近く,製作時期も近いと考えられる。

 本作は,木製木瓜型厨子(もっこうがたずし)に祀られ,廬山寺住持・良秀(りょうしゅう)(~1584年)筆の『由緒書』を伴っている。『由緒書』によれば,比叡山延暦寺第18世天台座主(てんだいざす)元三大師良源(がんさんだいしりょうげん)が鬼退治に使用した法具で,三鈷の鈷部(こぶ)の欠損は,鬼が食いちぎったものとされている。良源は,平安時代に活躍し,比叡山中興の祖として知られる高僧で,廬山寺の開基とされる。本作は,良源在世時まで遡るものではないが,三鈷杵が平安時代後期,独鈷杵が鎌倉時代に遡る貴重な一具として,指定にふさわしい作例であり,一方,現在この二杵と不可分の関係にある『由緒書』と木製木瓜型厨子は,廬山寺における元三大師信仰の展開を考えるうえでも極めて示唆に富む資料であるため,二杵に合わせ,附として加えることにする。

美術工芸品(考古資料)

「桃山茶陶」(弁慶石町出土品)
墨書土器

平安京右京三条一坊六町「西三条第(藤原良相邸)」出土品 1,022点 (指定)

〔京都市中京区上本能寺前町 京都市〕

 京都市中京区西ノ京星池町・小倉町に所在する平安京右京三条一坊六町(藤原良相(よしみ)邸)跡から出土した,9世紀後半を中心とした平安時代前期のまとまった資料である。

 藤原良相(813-867年)は,藤原冬嗣(ふゆつぐ)の五男で,斉衡(さいこう)4(857)年に右大臣となる人物である。鎌倉時代に成立した『拾芥抄(しゅうがいしょう)』本文と付図である『西京図』図中に,この地が「百花亭(ひゃっかてい)」と称する藤原良相の邸宅跡であると記される。『日本三代実録』や『大鏡』にも関連記載があり,この地が藤原良相邸であると推定できた。また発掘調査でも,「斉衡四年三條院正倉帳」の題箋(だいせん)木簡や「三条院鈎殿高坏」と墨書のある高杯が出土し,その推定を裏付ける根拠となった。

 発掘調査では,平安時代の建物や柵,井戸,園池などが確認され,特に9世紀後半の園池からは豊富な遺物が出土している。出土品は,土器や木製品,金属製品,石製品など,多種多彩である。特に注目されるのは,高品質な緑釉陶器,輸入陶磁器のほか仮名文字の書かれた墨書土器である。同時期の仮名文字資料は少なく,その成立過程を示す基準資料といえる。

 平安京右京三条一坊六町跡は,平城京長屋王邸と並び,出土文字資料により居住者が確認できた稀な例である。本品は,居住者が特定でき,かつ,初期の仮名文字資料が認められるなど,平安時代前期の上級貴族の都市生活を検討するうえで欠かせない重要な資料である。

「桃山茶陶」(弁慶石町出土品)

三条せと物や町界隈出土の「桃山茶陶」(弁慶石町出土品) 311点 (指定)

〔京都市中京区上本能寺前町 京都市〕 

 中京区三条通麩屋町東入弁慶石町の発掘調査で出土した多量の「桃山茶陶」。弁慶石町に隣接する中之町は,慶長~寛永年間前半に描かれた屏風図や絵図から「せと物や町」が存在したことがわかる。茶陶は,安土桃山時代から江戸時代初期に造られた町家裏庭の大型土坑から出土した。完形に復元出来るものが多く,商品としての茶陶を一括廃棄したと判断でき,当地にも瀬戸物屋が存在したことが明らかである。信楽・備前の焼締陶器が豊富で,他に美濃・唐津・京都産の施釉陶器,中国・朝鮮等からの輸入陶磁器がある。中でも信楽・備前の水指,花入等の袋物が多い。慶長末年頃には出現する美濃の織部,高取内ヶ磯(うちがそ)窯の製品を含まず,慶長年間(1596~1615)後半に位置付けられる。

 平成23年度に指定した元和年間(1615~24)に属する中之町出土品と比べると,器に対する作為や歪みの程度は少なく,本件との違いは大きい。これは「桃山茶陶」が短期間で大きな変化が生じたことを示し,当時流行した「織部好み」の実態を現すものである。また,焼締陶器が豊富なことは,商店ごとに品揃えが異なることを示し,当時の商業活動の一端が窺い知られる。以上,本件は「桃山茶陶」の流行の実態と全容を明らかにするうえで重要な資料と評価できる。

記念物(名勝)

中井家の庭

中井家の庭 763.55平方メートル (指定)

 左京区岡崎法勝寺(ほっしょうじ)町に位置する中井家の庭は,元来,明治から大正期にかけて活躍した実業家・四代目中井三郎兵衛(1851-1932)が営んだ隠居所に設けられたものであった。和紙にはじまり,いち早く洋紙の生産に携わって事業を拡大した三郎兵衛は,同町に居然亭(きょぜんてい)(現在は一部だけが残存)と呼ばれる広大な別荘を設けた後,その南東側に「新別荘」と称して隠居所を築造した。それが現在の中井家の屋敷である。

 邸宅の敷地は,西寄りの中央付近に位置する主屋と土蔵を中核とする。西面に開く表門を軸として反時計回りに,玄関庭,南庭,東庭,露地,稲荷社廻りの庭が配されている。その庭は,迎賓機能を備えた別荘を近傍に置きながら,本格的な茶事を行うことができる構成になっている。園内には,複数の流水口を備えた流れと園池そして築山を備え,建物と見事に調和した瀟洒なつくりとなっている。

 岡崎・南禅寺界隈は,これまでの文化財指定等や調査の蓄積により,全国の政財界人らが別邸を構えた地域として著名であるが,本件は,京都在住の実業家によって営まれ住居として持続している希少な庭であり,作庭の経緯が明確で保存状態がよく極めて貴重である。

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お問い合わせ先

京都市 文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課

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