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京都市指定・登録文化財-史跡(伏見区)

ページ番号189622

2020年4月6日

京都市指定・登録文化財-史跡(伏見区)

羽束師坐高御産日神社境内(はずかしにますたかみむすびじんじゃけいだい)

 本神社は,高御産日(たかみむすび)神と神御産日(かんむすび)神の二神を祭神とし,桂川右岸の旧乙訓郡の平野部に位置している。社地は「羽束師の森」とも呼ばれ,もとは大きな森であったと思われる。神明造の本殿と,入母屋造の拝殿は嘉永3年(1850)の再建になる。『続日本紀』大宝元年(701)にその名がみえることから,大宝元年以前には奉斎され,『延喜式』では大社に列している。本神社は,市内最古の神社として,また桂川流域の歴史を考えるうえで貴重な史跡である。近年急速な都市化により激変している周辺環境にあって,本神社とその森は価値の高いものといえよう。
羽束師坐高御産日神社境内

法界寺境内(ほうかいじけいだい)

 法界寺は,山科盆地東南部の日野に所在する寺院で,現在は東光山と号し真言宗醍醐派に属している。文献では日野資業(988~1070)を創建者としており,平安時代末頃にその最盛期を迎える。中世の火災により焼失した堂宇も多く,現在の主な建造物のうち,阿弥陀堂(国宝)は,承久3年(1221)の火災後の再建と考えられており,薬師堂(重要文化財)は,伝燈寺(奈良県龍田)本堂を明治37年に移築されたものである。法界寺境内の中枢部については,その創建時から現在に至るまで大規模な地形改変を受けずに今日に至っている可能性が高く,京都の寺院史を研究する上で貴重である。

法界寺境内

安樂壽院境内(あんらくじゅいんけいだい)

 安樂壽院は,鴨川と桂川の合流点に近い鳥羽の地に所在する。現在は真言宗智山派の寺院で,その創建は,鳥羽上皇により保延3年(1137)に鳥羽離宮の東殿に御堂が建立されたのに始まる。中世以後,寺勢は次第に衰微するが豊臣秀吉が再興し,子の秀頼も二重塔(多宝塔)を建立した。徳川家康も,秀吉に倣い,500石の朱印地を寄進し,これが江戸時代を通じて存続している。現在の安樂壽院の境内地は,当初のそれと比べるとかなり縮小してはいるものの,創建当初の位置に存続していることは絵図からも明確であり,鳥羽離宮の歴史を研究する上で欠くことのできないものである。
安樂壽院境内

伏見城石垣(ふしみじょういしがき)

 この石垣は,昭和52年に,造成中に発見されたもので,元和9年(1623)の伏見城廃城時における解体を免れたものとみられている。この石垣は,良好に残存していたところから通常,人の目にふれない基礎部分と考えられ,当時の土木技術や伏見城を研究する上で貴重な資料であり,昭和54年に発見場所の南方にある桃山東小学校の正門を入った所に移築された。

伏見城石垣

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