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京都市指定・登録文化財-建造物(伏見区)

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2020年4月6日

京都市指定・登録文化財-建造物(伏見区)

藤森神社(ふじのもりじんじゃ)

 本殿は宝暦5年(1755)に造営された皇居内侍所仮殿を,明和4年(1767)に移建したものとされる。本殿の前には弊殿・拝所・東西廊が建ち,これらが一体となった社殿構成は,市内の御霊社に共通する。境内は京都市文化財環境保全地区に指定されている。
藤森神社

萱尾神社本殿(かやおじんじゃ)

 当社は日野村の産土神で,江戸時代までは法界寺の鎮守社ともなっていた。現在の本殿は,慶安5年(1652)に造営されたもので,その後も屋根葺替や彩色等の修理が繰り返されてきた。建物は大型の一間社流造で,全体に丹塗り,胡粉塗,極彩色が施されている。
萱尾神社本殿

西養寺本堂(さいようじほんどう)

 真宗本願寺派に属する。本堂は元禄6年(1693)の上棟で,寄棟造の身舎の正面と両側面にもこしをまわす。平面は正面を吹放ちの広縁とし,内部は手前を外陣,奥を内陣(中央)・余間(両脇)とする。内陣・余間は床を高くして背面に仏壇を備える。真宗の一般寺院としては市内最古である。
西養寺本堂

飛鳥田神社本殿(あすかたじんじゃほんでん)

 当社は別雷・市杵島姫命を祭神とし,式内社飛鳥田神社に比定されている。本殿は江戸時代前期に造営されたとみられる古式な一間社流造で,軸部の円柱頂部に舟肘木を落としこんでその上に桁をのせるという特異な手法が採用されている。
飛鳥田神社本殿

天穂日命神社本殿(あめのほひのみことじんじゃほんでん)

 現在の本殿は天明3年(1783)の造営で,造営当時は天照太神と日吉山王を祭り,田中神社と呼ばれていた。身舎正面の柱間が2間という,京都市内にはほとんど例のない二間社流造形式の建物である。柱間は正面に蔀戸,東側面前方に板扉を構え,他は板壁である。内部は棟通りに板扉を設けて,手前の外陣と奥寄りの内陣に分ける。細部に装飾的要素が見られるが,彫刻がおとなしく,派手なものではない。かなり早い時期から覆屋に入っていたようで,保存状態は良好である。
天穂日命神社本殿

久我神社本殿(こがじんじゃほんでん)

 当社は延喜式(えんぎしき)神名帳(しんめいちょう)記載の久何(こが)神社とみられ,江戸時代には森大明神とも呼ばれていた。現在の本殿は天明4年(1784)に再建された。棟札(むなふだ)によると,大工棟梁は小嶋弥惣太源久清で,播磨の宗左衛門と利兵衛が肝煎(きもいり)として造営に携わっている。建物は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で,屋根は当初檜皮葺であったが,現在は銅板で覆っている。身舎(もや)内部は内陣と外陣に分かれている。妻飾などの彫刻がやや派手だが,これは播磨の大工が造営に関与しているためとみられる。当社には,造営棟札の他に普請(ふしん)願書(がんしょ)の控えや板製の建地割図(たてじわりず)が現存する。建地割図は,現本殿の計画図とみられ,墨で建物の正面図と側面図が描かれている。この本殿は,造営に関する史料がよく残っており,建築年代が明らかである。播磨の大工の関与が認められる比較的規模の大きな社殿で,保存状態も良好である。

久我神社本殿

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