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京都市指定・登録文化財-美術工芸(東山区)

ページ番号189526

2020年4月6日

京都市指定・登録文化財-美術工芸(東山区)

板絵著色蘭亭雅会図扁額 池大雅筆(いたえちゃくしょくらんていがかいずへんがく いけのたいがひつ)

 中国晋代に王羲之主催で,蘭亭に文人42人が集まり,流水に盃を浮かべて作詩したという故事を絵画化したもの。18世紀の南画家を代表する池大雅(1723~76)32歳の作品。
板絵著色蘭亭雅会図扁額 池大雅筆

書院障壁画 伝海北友松筆(しょいんしょうへきが でんかいほうゆうしょうひつ)

 本障壁画は,大中院の文化年間の修復の際に,建仁寺山内の華渓院から建物と一緒に移されてきたもの。水墨を基調として山水図と芦鷺図が描かれている。桃山時代の巨匠海北友松の極早い時期の作品。

書院障壁画 伝海北友松筆

小書院障壁画 海北友松筆(しょうしょいんしょうへきが かいほうゆうしょうひつ)

 霊洞院は嘉永6年(1853)に再興されており,本障壁画もこの折に他所から移されたもの。画題は松竹双鶴図,唐人物図,花鳥図,草山水図の4種。大中院障壁画と同じく友松の初期作品として貴重。

小書院障壁画 海北友松筆

白書院障壁画 呉春筆(しろしょいんしょうへきが ごしゅんひつ)

 山間の渓流を瀟洒に描いたもので,写生派転向後,寛政年間(1789~1801)の呉春の作風を知る上で欠く事の出来ない作。
白書院障壁画 呉春筆

紙本金地著色朝鮮通信使歓待図 8曲屏風 狩野益信筆(しほんきんじちゃくしょくちょうせんつうしいしかんたいず はっきょくびょうぶ かのうますのぶひつ)

 近世に計12回日本を訪れた朝鮮通信使のうち,本図は寛永20年(1643)もしくは明暦元年(1655)に江戸城を訪れた使節の様子を描いたもの。
紙本金地著色朝鮮通信使歓待図 8曲屏風 狩野益信筆

絹本著色後陽成天皇像(けんぽんちゃくしょくごようぜいてんのうぞう)

 後陽成天皇(1571~1617)は天正14年(1586)に即位し,慶長16年(1611)に退位され,好学の天皇として名高い。本図は画面左端の印章から,狩野孝信の筆になるものと判断される。また面部に強い隈取りが施されている点などから,孝信晩年の制作と推定され,退位後の上皇像,或いは遺像として描かれたものと考えられる。
絹本著色後陽成天皇像

絹本著色高台院像(けんぽんちゃくしょくこうだいいんぞう)

 豊臣秀吉の正室おね(1549~1624)の肖像画。夫の没年(1598)以後,彼女が出家して東山に高台寺を創建し,高台院を名乗る慶長8年(1603)11月以前に制作されたものと推定される。像主を神殿風の御殿内に配する荘厳化された女性像は元和・寛永期あたりに盛行を見るが,本図はその先駆的な作例。
絹本著色高台院像

紙本金地著色唐人物図2,紙本金地墨画花鳥図2 座頭屏風 狩野孝信筆(しほんきんじちゃくしょくとうじんぶつず しほんきんじぼくがかちょうず ざちょうびょうぶ かのうたかのぶひつ)

 本座頭屏風は唐人物図と花鳥図を表裏に描き分け,唐人物図では「鐘呂伝道図」と「老子尹喜図」を,花鳥図では「梅に鶯図」と「竹雀図」とを描いている。作風から狩野永徳の次男で,禁裏絵所預として禁裏関係の仕事にも従事した狩野孝信(1571~1618)の作とされる。狩野派正系画家の筆になる保存良好な桃山期の作例として貴重。
紙本金地著色唐人物図2,紙本金地墨画花鳥図2 座頭屏風 狩野孝信筆

板絵金地著色繋馬図 狩野山楽筆(いたえきんじちゃくしょくつなぎうまず かのうさんらくひつ)

 金地に雄渾な裸の黒馬を配したもので,轡(くつわ)などの馬具以外は墨一色で描かれる。豊国社の社僧梵舜の日記「舜旧記」から,本図がもとは2枚1対の絵馬の一つで,慶長19年(1614)に安養寺喜兵衛氏親によって豊国社に奉納されたことがわかる。また,本図は狩野永徳の高弟である狩野山楽56歳の制作であることが銘記等から判明する。
板絵金地著色繋馬図 狩野山楽筆

板絵著色釣狐図 西川祐信筆(いたえちゃくしょくつりぎつねず にしかわすけのぶひつ)

 本扁額は『扁額規範』(文政2年刊)等に記載されるなど古来著名な絵馬で,狂言「釣狐」を主題とし,延享元年(1744)に洛西の井上保富の門弟によって八坂神社に奉納されたもの。江戸の浮世絵界に大きな影響を及ぼした京都の浮世絵師西川祐信最晩年の作。
板絵著色釣狐図 西川祐信筆

木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)

 頭部をやや小ぶりに引き締め,衣文に翻波的趣向を加えたもので,平安後期の典型的な作例を示す。元は妙法院に後白河法皇の念持仏として伝わったものであり,古くより専定寺が預かったとされる。法皇の造仏の一環をなすものとして,又,漆箔による像内化粧の一例としても貴重な作例。
木造阿弥陀如来坐像

木造観音菩薩立像(もくぞうかんのんぼさつりゅうぞう)

 唐からもたらされた香木を延暦7年に桓武天皇の命により最澄が刻んだものと伝え,近世には伽羅観音として信仰を集めていた像。全体に藤原風の優美さを湛えながらも,唐風檀像の面影を見ることができるもので,平安時代後期に旧像を参考にしながら制作されたと考えられる代用檀像。

木造観音菩薩立像

刺繍阿弥陀三尊来迎図(ししゅうあみださんぞんらいごうず)

 本作例は合掌念仏する往生者のもとへ,観音・勢至を従えて来迎する阿弥陀如来を表した繍仏。画面右下に屋内で来迎を待つ3人の往生者を小さく配し,下辺には土坡に草木を表す。鎌倉から室町時代にかけて浄土教信仰に促されて製作された阿弥陀像繍仏は個人的な造顕にかかる小画面のものが盛行したが,本作例もそのうちの優品の一つ。
刺繍阿弥陀三尊来迎図

梵鐘(ぼんしょう)

 本梵鐘は,もと八坂感神院のもので,当院檀越の旧佐土原城主島津忠寛が購入し,当院を宿舎としたことに対する謝礼として明治3年5月に寄進したもの。室町時代中期の梵鐘としては非常に大型で『蔭涼軒日録』などの資料から,八坂感神院の鐘として延徳4年(1492)6月に鋳造されたことが明らかになる貴重なもの。
梵鐘

豊国大明神臨時御祭礼記録(完存本)  豊国大明神臨時御祭礼記録(残欠本) 太田牛一筆(ほうこくだいみょうじんりんじおんさいれいきろく)

 『豊国大明神臨時御祭礼記録』の著者による自筆本。文禄元年(1592)の朝鮮出兵,秀吉入滅,秀吉7回忌の臨時祭礼の次第を詳細に記す。
豊国大明神臨時御祭礼記録(完存本)  豊国大明神臨時御祭礼記録(残欠本) 太田牛一筆

版本謡本 百番(嵯峨本)(はんぽんうたいぼん ひゃくばん さがぼん)

 本書は観世流能の謡本で,豪商角倉素庵が慶長10年(1605)頃から10年間にわたって刊行した,嵯峨本と呼ばれる古活字版の一つ。現存する数少ない百番揃いであり,出版文化史上においても価値の高い嵯峨本として貴重。
版本謡本 百番(嵯峨本)

大中院文書(だいちゅういんもんじょ)

 大中院書院の海北友松筆山水図襖絵の下張の文書で,天正15年(1587)~文禄3年(1594)の8年間に集中。当時の京都の庶政や庶民の生活を知る根本資料として貴重。
大中院文書

堯恕法親王日記(ぎょうじょほっしんのうにっき)

 堯恕法親王(1640~95)は後水尾天皇の第10皇子で,8歳で妙法院に入り,のち断続的に3度,通算では約20年間天台座主を務めた。本日記は親王自筆のもので,天台座主に就任した寛文3年(1663)から元禄8年(1695)までの33年分を収める。なお,日記32冊以外に別記類の『江戸御逗留中日次記』『日光御下向日記』『後水尾院尊儀仙洞御経供養記』も指定対象に含んでいる。

堯恕法親王日記

清水寺古記録(きよみずでらこきろく)

 日記類,開帳記録,音信帳面,触留などに大きく分類され,全部で546冊,4巻,1包を数える。なかでも成就院日記220冊は,元禄7年(1694)から文久4年(1864)までの文がほぼ完全な形で残っている。近世の清水寺の様相を知るうえでの基本資料であるとともに,江戸時代に同寺門前に居を構えた庶民の動向もうかがえる資料。
清水寺古記録

真仁法親王日記(しんにんほっしんのうにっき)

 真仁法親王(1768~1805)は光格天皇の兄で,第38代妙法院門跡となり,第214代天台座主にもなっている。親王自筆の本日記は,天明7年(1787)元日から同年8月16日までという短期間の記述ながら,文化人の出入りに関する記述が数多く,当時の京都の文化動向を知るうえで基礎的な資料の一つとして貴重。
真仁法親王日記

方広寺大仏殿遺物(ほうこうじだいぶつでんいぶつ)

 大仏殿関係が銅製風鐸,銅製舌各1点,鉄製金輪4点,大仏関係が銅製蓮肉片,鉄製光背金具各1点の9点からなる。風鐸と舌に慶長17年(1612)の銘文がある事から,これらは慶長年間末期に豊臣秀頼により再興された大仏殿・大仏の一部と判断される。
方広寺大仏殿遺物

若宮八幡宮社関係資料(わかみやはちまんぐうしゃかんけいしりょう)

 若宮八幡宮社は源氏にとって縁の深い左女牛(さめうし)西洞院に源頼朝が八幡神を勧請し,1社として本格的な体裁を整えたことに始まる。本資料は中世を通じて歴代将軍に篤く保護されてきた当社の社歴を証するもので,特に「足利将軍参詣絵巻」は足利将軍の社参を絵画化したものとして貴重な資料。

若宮八幡宮社関係資料

阿弥衣(あみえ)

 長楽寺に伝わる阿弥衣は,第二次世界大戦後,双林寺より譲り受けたものである。天台宗であった双林寺は至徳3年(1384)時宗に改宗し,時宗国阿派の本山となるも,明治期に再び天台宗に改宗した。本資料は銘がないものの,繊維の状態などから歓喜光寺所蔵の阿弥衣とさほど隔たりのない時期に製作されたと推測される。
阿弥衣

馬場家文書(ばばけもんじょ)

 上賀茂社及び中世に上賀茂社の社領とされた六郷に関する文書でもと上賀茂社の社家・馬場家の所蔵。賀茂六郷の中世的形態を知る上で貴重。
馬場家文書

饅頭屋町文書(まんじゅうやちょうもんじょ)

 饅頭屋塩瀬家のあった饅頭屋町関係のもので桃山時代のものが中心。饅頭屋町の軒別各坪数や町家間数書上等,町や町屋の形態,構造,社会生活を示す資料が含まれている。
饅頭屋町文書

祇園会山鉾大鑑 若原史明自筆本 (ぎおんえやまほこたいかん わかはらふみあきじひつぼん )

 祇園祭前祭17基,後祭2基についての歴史,行事,装飾品など多岐に渡る分野を網羅した調査報告書。著者若原史明(1895~1949?)は祇園祭の調査をライフワークの一つとした在野の歴史家。本書を昭和2年(1927)頃から執筆し始め,同4年~23年にかけて脱稿するなど祇園祭の調査に勢力を傾けた。
祇園会山鉾大鑑 若原史明自筆本

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