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京都市指定・登録文化財-美術工芸(山科)

ページ番号189553

2020年4月6日

京都市指定・登録文化財-美術工芸(山科)

宸殿障壁画  狩野益信筆(しんでんしょうへきが かのうますのぶひつ)

 宸殿6室全てにわたって,人物・花鳥の金碧画が描かれる。筆者は,探幽の弟子の中でも最も忠実に探幽の様式を受け継いだ狩野洞雲益信(1625~94)。
宸殿障壁画  狩野益信筆
 雲間に隠顕する巨大な龍が,画面上端からその頭部をのぞかせる構図は,桃山後期の大画面作品にしばしば認められる。作風・落款・印章から,雲龍図を得意とした友松の晩年の作品。
紙本墨画雲龍図 6曲屏風 海北友松筆

阿弥衣(あみえ)

時宗(じしゅう)独特の法衣である阿弥衣は,麻をむしろ編みにした質素なもので,時宗僧にとって象徴的な意味を有していた外套衣である。本資料は,最も古い法脈を有する六条道場・歓喜光寺に伝えられたもので,元亀3年(1572)の年記があり,遊行派の総帥である遊行上人(ゆぎょうしょうにん)第30代他阿有三上人の所持していた衣である。

阿弥衣

福井家京枡座関係資料(ふくいけきょうますざかんけいしりょう)

 江戸幕府が量制統一の為に設けた枡座の西国責任者・福井家に伝わった資料(平成2年6月に,本資料2054点の内, 2040点が重要文化財に指定。)。京都市指定分14件は下記のとおり。1.京枡 2口,1.文書記録類 1通・8冊,1.絵画類 1双,1幅,双幅。
福井家京枡座関係資料

宸殿障壁画 狩野益信筆(しんでんしょうへきが かのうますのぶひつ)

 宸殿6室全てにわたって,人物・花鳥の金碧画が描かれる。筆者は,探幽の弟子の中でも最も忠実に探幽の様式を受け継いだ狩野洞雲益信(1625~94)。
宸殿障壁画 狩野益信筆

木造毘沙門天立像(もくぞうびしゃもんてんりゅうぞうりゅうぞう )

 近世には山科厨子奥村の総鎮守として永正寺に安置されていた像。口を固く結び,左脇を締める一方,右手は袖を翻して動きを見せ,全体を巧みにまとめる。鎌倉時代初期慶派の写実的作風の流れに属すものの,平板で長めの胴や抑揚に乏しい面部の表現等から,制作は鎌倉時代末期。

木造毘沙門天立像

木造伝梵天立像(ぼんてんりゅうぞう),木造伝帝釈天立像(たいしゃくてんりゅうぞう)

 両像は元慶寺(がんけいじ)山門に安置されていたもので,寺の記録から,享和元年(1801)に,妙法院から元慶寺に移されたことがわかる。両像とも平安時代の造立ながら,様式からすると制作年代にやや開きがあると見られる。伝梵天像は,若干遡る可能性はあるが,10世紀後半頃の特徴を示し,伝帝釈天像は,それよりもやや下る11世紀初め頃の様式とみられる。また,両像とも着甲しているが,通常着甲するのは帝釈天像であるため,現在,梵天とされる像も,当初は帝釈天として造立された可能性がある。ただし,唐招提寺金堂の木造梵天・帝釈天立像(国宝)のように両像とも着甲する例もあるため,現状で尊像名は確定しがたく,伝梵天像,伝帝釈天像とするのが妥当である。本格的な作風を示す平安時代半ば頃の作例として貴重。

木造伝梵天立像,木造伝帝釈天立像

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