京都市指定・登録文化財-史跡(右京区)

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2016年4月7日

京都市指定・登録文化財-史跡(右京区)

木嶋坐天照御霊神社(蚕の社)境内(このしまにますあまてるみたまじんじゃ(かいこのやしろ)けいだい)

 木嶋坐天照御霊神社は『続日本紀』大宝元年(701)にすでにその名がみえる市内でも最古の神社の一つである。巨樹が繁茂し古来の姿をよくとどめている境内には,四季湧水する元糺の池があり,その池中には京都三鳥居とされる三柱鳥居が建っている。本殿の東側には養蚕神社がまつられ,「蚕の社」の別名もこれに因んでいる。秦氏とのつながりも指摘される式内社である。
木嶋坐天照御霊神社(蚕の社)境内

遍照寺旧境内建物跡(へんしょうじけいだいたてものあと)

 遍照寺は,永祚元年(989)に花山天皇の御願により,僧寛朝が広沢池の北西に創建した寺院である。遍照寺は大覚寺と隣接して壮大な伽藍を構えていたが,応仁の乱により衰退し,その後,江戸時代の寛永年間に嵯峨広沢西裏町の地に再建されて現在に至っている。

 平成3年度に遺構の確認調査を行った結果,同寺の遺構として初めて建物跡が検出された。一辺の長さ12mの方形の基壇を検出しており,一間四面の御堂である可能性の強いことが明らかになった。
遍照寺旧境内建物跡

御堂ケ池1号墳(おんどがいけ1ごうふん)

 本古墳は,梅ケ畑向ノ町に26基以上あった御堂ケ池古墳群中最大の規模を有していた古墳で,付近にあった村の最有力家族の墓だと考えられている。宅地造成に伴い,発掘調査を行ったところ,6世紀後半に築造された京都市内の円墳としては最大級に属するものであることが明らかとなり,調査後,近くの鳴滝音戸山町にある通称さざれ石山の山腹に移築復元を行った。
御堂ケ池1号墳

上中城跡(かみなかじょうあと)

 上中城は,天仁年中(1108年~1110年)に北面の武士の一人によって築かれたと伝えられている。発掘調査により,この城は12世紀から13世紀を中心に使用されていたこと,東西84m,南北40m,周辺部の水田より1m程度盛り上がった城内部分の面積が約3,000?あり,城の周囲には幅5m,深さ1mの濠が廻り,城内の北端部に幅5m,高さ1.8m,長さ20mの土塁が築かれていることなどが明らかになった。本城跡は平地に築かれる城の形として非常に珍しい楕円形である点,平安時代末期に遡る非常に古い城である点,城跡全体が良好な形で残っている点など特筆すべき特徴があり,貴重な文化財である。
上中城跡

妙光寺境内(みょうこうじけいだい)

 右京区宇多野に所在する臨済宗建仁寺派の寺院。弘安8年(1285)に,花山院師継(かざんいんもろつぐ)の別業(べつぎょう)を寺に改め,入宋僧無本覚心(むほんかくしん)を開山として創建された。至徳3年(1386)には京都十刹の第8位に列せられている。室町時代後期には荒廃したが,寛永~寛文年間に京都の豪商打它公軌(うだきんのり)・景軌(かげのり)父子が檀越(だんおつ)となって再興し,その盛観は安永9年(1780)刊行の『都名所図会』にも描かれて著名であった。当寺は創建以来移転しておらず,法灯も塔頭に移ることなく本山として継承されている。このような例は,京都十刹でも真如寺と当寺のみである。また,明治以後の移築などによって現存しない建物があるものの,近世に再興された当時の境内景観を極めて良好に残している。貴族の別業であったという前史を含め,十刹の歴史と景観を今に伝える稀有な事例である。
妙光寺境内

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