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伏見区あれこれ : ふしみ昔紀行(平成15年9月)

ページ番号14946

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2009年2月12日

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ふしみ昔紀行(33)

平重衡塚(醍醐外山街道町)

伏見区老人クラブ連合会

重衡塚の写真


 この地は、平重衡の奥方大納言佐局が平家没落後、身を寄せていたところと伝えられる。
 源平の両雄が歴史の一期を血で染めたころ、東大寺・興福寺は南山城から大和にかけ隠然たる勢力を持っていた。当時両寺の僧兵は平家と反目、源氏の旗下に入っていた。平家の猛将重衡は総大将となり兵を率い、奈良に攻め込み東大寺を焼き払った。平家物語によると堂宇は猛火に包まれ大仏は無残にも焼け落ちてその容姿を失ったという。数年に渡って続けられた源平の抗争もやがて平家の大敗に終わる。

重衡塚周辺地図

 一ノ谷の合戦で捕らえられた重衡は名ある寺院を焼き払った罪名でその身は鎌倉に送られた。文治元年(1185)、処分は奈良でという源頼朝の一言で重衡は奈良へ護送されることになった。途中、一行が奈良街道日野の里(外山街道)まで来たとき、佐局は二度とあえない夫重衡と最後の一夜をともにしたいと願い出た。この申し出は快諾され、佐局はその夜静かに琴を弾き、囚われの身となった夫へ別れを告げた。
 やがて重衡は木津の河原で斬首された。佐局はその遺骸をもらい受け、最後の一夜をともにした日野の里外れに墓石を刻んだといわれる。

 

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