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京都市北区

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区長の日記バックナンバー 24

ページ番号73019

2012年4月9日

平成20年7月8日 火曜日

 今日は,私が北区に寄せていただく前に携わっていました「観光」に関すること,特に「源氏物語」について触れてみたいと思います。
 皆様も良くご存知のとおり,今年は源氏物語が誕生してから丁度千年といわれています。それは紫式部日記の1008年11月1日の日付のところに,初めて源氏物語のことが出てくることに由来しています。もう少したくさん紫式部日記が残っていれば,いつ頃から書き始めていつ終わったのか,詳しく判るのですが,残念なことに日記はあまり残存しておりません。少なくとも1008年には源氏物語が存在していたということで,今年を千年紀として,オール京都で多彩な記念事業に取り組んでいます。

紫式部墓所入口

 平安時代,この源氏物語は大変な人気でした。朗読することが普通でしたから,みんなが待ちわびていました。当時,竹取物語ぐらいしかなかったわけですから,現代にも通じる,恋愛を語る源氏物語は大評判でした。
 私はこの4月,北区に異動してから,どうしても訪れてみたい場所がありました。それは紫式部のお墓です。北区役所から徒歩5分,北大路堀川下る西側,島津製作所さんの工場のとなり,入口は堀川通に面しています。以前から場所も知っていましたが,訪れたことはなく,先日初めて行ってきました。仕事帰りの午後7時ごろ,夕闇迫る中で,大変幻想的で,私の思っていた以上の大きな塚で,感激をいたしました。
 塚は二つあり,もう一つは小野篁(おののたかむら)の塚です。既に南北朝時代の文献に二人の墓が並んでいることが記述されています。

紫式部のお墓,小野篁(おののたかむら)のお墓

 小野篁は小野妹子の子孫で,歌人であり,役人でもありますが,夜な夜なあの世とこの世を行き来し,閻魔庁の役人もしていたという伝説の持ち主です。ある時,亡くなった紫式部が閻魔大王の前に連れてこられたときに,当時男女の話はまだまだタブー視されていた時代ですから,源氏物語を書いた紫式部は閻魔さんから地獄に落とされそうになりました。その閻魔さんをとりなして,地獄に落ちるのを救ったのが,この小野篁です。そのご縁で二人のお墓が並んでいるといわれています。

 夕刻,二人の塚の前に立ち,なにやらこの話,本当ではないかと思った次第です。
 是非,一度皆様も,訪れられてはいかがでしょうか。

 

 

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