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京都市上京区

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学都・京都の創造

ページ番号12524

2010年12月6日

 

 京都の近代化は,教育制度の分野でも積極的に進められた。全国に先駆け学区制による小学校開設に着手し,明治2年(1869)には日本最初の近代的小学校・柳池校が,また同4年には堀川通竹屋町の旧所司代屋敷跡にこれも日本初の府立中学校が開校。英語,ドイツ語,フランス語等,外国語を専門に教える欧学舎も設立された。同5年には,新英学校女紅場(英語並びに家政科を教える女学校)を開校するなど,女子の教育にも力を注ぎ,京都は日本の学都として再建されていったのである。
 明治7年(1874)には,槙村知事の要請により慶応義塾の京都分校が現在の京都府庁の地に設立された。この分校は長続きしなかったが,同8年には同志社英学校が創設された。同12年には,府立医学校(現在の府立医科大学)が上京区梶井町の現在地に,また,同13年には御苑の中に日本最初の京都府画学校が開学。大阪にあった第三高等学校が同22年に京都に移転し,やがて京都大学の設立とともに学問の都としての基礎を築くのである。

 

 

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