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京都市上京区

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上京区の河川

ページ番号12365

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2010年12月6日

 

 平安京創設以前,賀茂川は現在の堀川通を南下し,四条から五条の間で高野川と合流していた,というのが従来の説であるが,最近の研究では,現在とほぼ同様,北部では東南方向に流れ,出町で高野川と合流後は南流していたとみられている。平安造都に当たり,大きな流路変更はなかったのである。もっとも堀川は,賀茂川の1支流であり,その川床を利用して堀川を造り,これを東堀川と名付けた。同時に,西堀川(現在の紙屋川)も掘った。東西両堀川の開削は,京都北部の山岳地帯で伐り出した,平安京造営に必要な材木の運搬が目的であり,この両河川に挟まれた地域に大極殿や大内裏が建設された。紙屋川が西堀川であったことは,上京区の南西端近くに堀川町が現存する事実などからも容易に理解される。
 鴨川と紙屋川との間には,東京極川,小川,大宮川,耳敏川,西大宮川が流れていた。特に東京極川は,現在の上御霊神社の前を南下し,相国寺を経て今出川通で今出川となり,東に流れて寺町に達し,中川となって再び南下し,二条において東行し鴨川に合流した川で,河畔には貴族の邸宅や寺院などが建ち並び,まさに山紫水明に相応しい景観を誇っていた。

 

紙屋川
鴨川