スマートフォン表示用の情報をスキップ

京都市上京区

言語選択を表示する

検索を表示する

スマートフォン表示用の情報をスキップ

現在位置:

東京遷都と京都の復興

ページ番号12512

2010年12月6日

 

 幕府は,反幕運動の中心であった長州藩を壊滅させるべく2度の長州征伐を試みるが,薩摩藩が参戦拒否したばかりか薩長同盟まで締結,百姓一揆などの社会不安もあって敗北し,窮地に立たされた。この戦いの最中,将軍家茂が病死し,討幕派はさらに勢いづいた。慶応3年(1867),将軍職を継いだ徳川慶喜は朝廷への政権返上(大政奉還)を行い,同年12月には王政復古の大号令が発せられた。
 小御所会議において,慶喜の内大臣辞職,幕府領の朝廷への返還が決議されるが,幕府軍はこの決定に反発。慶応4年(1868)1月の鳥羽・伏見の戦いを皮切りに,各地で新政府軍と幕府軍の戦闘が始まった(戊辰戦争)。鳥羽・伏見の戦いで勝利を収めた新政府軍は,慶喜のいる江戸城への総攻撃を仕掛けたが,慶喜は混乱を避けるため無抵抗で江戸城を明け渡した。納得しない幕府軍の一部は東北や北海道函館などに敗走して抵抗するが,結局,降伏。明治2年(1869),戊辰戦争は終わり,幕府の封建支配体制は崩壊した。
 大政奉還により,京都は維新政府唯一最大の拠点都市となったが,新政府の間からは遷都論が起きた。旧幕府勢力の強い関東地方に新首都を置くのが妥当との意見が大勢を占め,慶応4年(1868),江戸は東京と改められ,年号も明治となって,2度にわたる東京行幸が行われた。京都では遷都反対運動があったものの,結局,首都の座を東京に明け渡したのである。遷都によって,公家や官吏たちが東上すると有力商人達も京都の街を離れ,京都の人口は35万人から20万人余りに激減してしまった。京都御所の公家町も消失した。
 しかし,京都市民は伝統都市の復興,改革への意欲に燃え,立ち上がった。初代京都府知事・長谷信篤が中心となって獲得した租税免除の特典や10万円の産業基立金,15万円の勧業基立金などを資金に,街の復興に向けてさまざまな施策が実施された。
 その顕著な例が,西陣を中心に約11,000戸が従事していた繊維産業の近代化である。官服洋風化に伴う洋服生地の輸入増大で財政悪化に悩んでいた新政府も,洋服生地の国産化や国内繊維産業の強化を図った。そこで京都府は,産業基立金の一部をもとに「西陣物産会社」を設立。すべての染織業者を部門別会社に統合し,資金貸与を行うとともに,東京や大阪に出張所を設けての販売拡張,原料の共同購入や流通の合理化などに努めた。
 また,洋式の先進的織物技術であるジャカードを導入すべく,明治5年(1872),官費で西陣機業界の佐倉常七と井上伊兵衛らがフランスへ留学。洋式織物の知識と技術を学び,新式織機を購入して同6年に帰国した。他方,ウィーン万国博覧会に政府使節団の一員として参加した西陣の工芸家・伊達弥助らも,オーストリア式ジャカードなど新しい織物機械器具を持って帰国した。こうした人々の努力により,ジャカードとバッタンを中心とする織物技術が西陣に導入された。同9年のバッタン国産化,翌年の西陣の機大工・荒木小平による木製ジャカードの製作など,新技術は確実に普及。同33年頃には,西陣の一般の紋織物はほとんどジャカードによって製織されるほどになった。
 また,大量生産に伴う粗悪品を防止するため,明治10年(1877),府の「西陣織物会所」が設置されて製品検査が行われ,職工や仲買人の許可証を発行する機関も設置された。
 一方,高瀬川沿いに設けられた実験工場では,化学染料を用いた染色法の指導が行われた。窯業では,明治11年(1878)に来京したドイツの科学者,ゴットフリート・ワグネルが釉薬の研究や焼成技法,透明な洋式七宝釉薬の製法を指導し,工芸品としての七宝を京都に伝えた。上立売通新町西入には,オランダ直輸入の機械設備で薬物の検査や調合を行う薬局・アポテキも設けられた。こうして生産機構や技術面で飛躍的な発展を遂げた京都の産業は,以後,海外貿易などでも躍進を遂げた。これは,時の京都府知事・槙村正直の積極的な助成と西洋の技術文化導入による近代化の成果であった。
 博覧会開催も,京都の勧業政策の重要な柱であった。京都初の博覧会は明治4年(1871)に本派本願寺で開催されたが,それは古物展示が中心で,勧業の役割を果たすものではなかった。そこで同年,府と市民が協力して国際見本市としての博覧会開催を行う構想が起こり,官民合同の「京都博覧会社」が設立されて,博覧会計画が推進された。政府から外国人の特別入京許可を得るなど,観光客誘致にも力を入れた。
 こうして明治5年(1872),西本願寺と知恩院,建仁寺を舞台に京都博覧会を開催。娯楽的要素を取り入れたことも功を奏し,80日間の会期は大盛況のうちに過ぎた。この成功を受け,翌年には旧禁裏御所と仙洞御所で第2回を開催。3回目からは大宮御所も借用されるようになり,同14年には御所東南に約16,000千坪の常設会場が設置されるほどになった。

 

大政奉還の行われた二条城二の丸御殿

大政奉還の行われた二条城二の丸御殿

長谷信篤京都府初代知事

長谷信篤京都府初代知事
(京都府立総合資料館蔵)

左から吉田忠七,井上伊兵衛,佐倉常七

左から吉田忠七,井上伊兵衛,佐倉常七
(財団法人西陣織物館蔵)

荒木小平製作による木製ジャカード

荒木小平製作による木製ジャカード
(財団法人西陣織物館蔵)

槙村正直第2代京都府知事

槙村正直第2代京都府知事
(京都府総合資料館)