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学区案内/翔鸞学区(しょうらん) ※上京区120周年記念誌(平成12年3月31日発行)から抜粋

ページ番号29020

2013年5月21日

翔鸞学区

上京区の西北端,北野天満宮などの史跡が多く,西陣織の機音が響く

 

■学区の概要と歴史

翔鸞学区 区域図

 翔鸞学区は,北は芦山寺通,南は一条通,東は千本通,西は天神川にわたる区域で,この地域はかつて広漠たる原野で「七野」(北野・平野・柏野・紫野・蓮台野 など)の一つとして知られた野趣豊かな地でした。
 天暦元年(947)菅原道真をまつる北野天満宮が創建されました。中世に建立された大報恩寺(千本釈迦堂)は隣接した位置にあります。
 天正15年(1587)豊臣秀吉による北野大茶湯,あるいは出雲お国のかぶき踊をはじめとする諸芸上演の場として一つの華を咲かせました。
 明治2年,この地域37カ町は上京第三番組に編成され,同12年第六組,明治25年に第五組に改められ,昭和4年以降,翔鸞学区に改められました。小学校は明治2年9月1日大文字町(元誓願寺通七本松東入)に建設され,明治40年に現在の西柳町に移転されました。翔鸞の由来は,平安京の応天門の回廊の一端にそびえていた「翔鸞楼」にちなんで名付けられたものです。

区内の史跡

 

■北野天満宮

三光門の写真

三光門

1000年大萬灯祭参詣風景 (明治35年)

1000年大萬灯祭参詣風景 (明治35年)


祭神 菅原道真公
慶長12年(1607)豊臣秀頼公造営
平成14年,1100年大萬灯祭施行


 

■西方尼寺(天台真盛宗)
 上七軒の中にあり,文明年間(1469~87)に建立されました。本尊は腰掛阿弥陀仏。境内に秀吉の北野大茶会に千利休が用いた利休の井戸が残っています。

西方尼寺

 

■清和院(真言宗智山派)
 清和天皇ゆかりの寺で,本尊は木像地蔵菩薩立像で玉体等身地蔵とも呼ばれ,重要文化財に指定されています。

清和院

 

■大報恩寺(千本釈迦堂)

 本尊に釈迦如来像を安置するところから,千本釈迦堂と呼ばれます。応仁の乱の戦火から免れ,洛中最古の本堂は堂々たる姿で鎌倉期の仏像も多数あり,2月のおかめ節分会,12月の大根焚きなど庶民的な行事が多くあります。

 

翔鸞の教育

 

■教育施設の充実

 明治2年9月1日,小学校が創立され,今年130年を迎えました。明治・大正・昭和・平成の4代にわたり学区民が協力して小学校の発展に努めました。特に幼児教育の関心が高く,幼稚園が110年,保育園が84年の歴史を有しています。

大文字町校門正面付近の礎石跡

大文字町校門正面付近の礎石跡

翔鸞幼稚園。明治24年5月創立。昭和8年頃の水遊び風景

翔鸞幼稚園。明治24年5月創立。昭和8年頃の水遊び風景

西柳町の正門と本館(昭和13年頃)

西柳町の正門と本館(昭和13年頃)

北野保育園。大正9年9月創設。西陣隣保館内に併設

北野保育園。大正9年9月創設。西陣隣保館内に併設

校歌

校歌

校章

校章

チンチン電車

 

■市電北野線

 京都市電の旧北野線は一般に日本最初の,また最古の電車ともてはやされました。北野線は昭和36年7月31日廃線になるまで京都駅から北野天満宮までを走り,チンチン電車の愛称で親しまれました。
 下ノ森にある京都こども文化会館(エンゼルハウス)は,チンチン電車車庫跡地に昭和57年に完成しました。

チンチン電車北野終点風景
チンチン電車北野終点風景
チンチン電車北野終点風景

チンチン電車北野終点風景

大路今昔

 

■七本松通・今出川通

 翔鸞学区のほぼ中央を南北に走る七本松通,東北に走る今出川通。この通りの今昔を記述します。
 七本松通は,北は五辻から南は十条に至る全長約6・4キロの小路で,宝暦12年(1762)刊の『京町鑑』に「この通下ノ森に1株7本に分かれた松があり故に通筋の号とす」とあり,また平安中期の天暦年間(947~57)に一夜にして7本の松が生えたからという伝承もあります。
 昭和20年,大東亜戦争の末期空爆による火災の延焼を防ぐため,寺之内から南に,五辻から今出川まで斜めに,今出川から南に西側の家屋約100軒が強制疎開の名のもとに短時日の間に倒壊されました。現翔鸞街区公園は疎開跡地を昭和25年に公園として整備されてできました。公園東北部にある朱塗りの玉垣で囲まれた辨財天を祀るお社は,疎開前の家の屋敷内にあったものです。
 終戦後約4年間で,疎開跡地に露天の闇市ができました。その頃不足していた食料品,衣料品等生活必需品が販売され賑わいました。
 今出川通は,東は銀閣寺から,西は上七軒を通って北野天満宮東門に至る通りで,千本今出川から七本松までは細い道幅で,昭和15年頃南側の家屋を倒壊,道幅が拡張されました。
 七本松から北野天満宮大鳥居前を通り北野白梅町に至る道路は,都市計画により拡張され新今出川通と呼ばれ市電が運行されていました。
 嵐電は御前通まできていましたが,市電が通ることで北野白梅町に駅が移設されました。
 千本今出川西南角に丹心マートがあり,その後西陣警察署として使用されました。道路拡張後は現在の京都銀行西陣支店になりました。

街区公園翔鸞辨財天

街区公園翔鸞辨財天

翔鸞点描

 

■上七軒

 今出川通七本松から北野天満宮東門に至る真盛町,社家長屋町,鳥居前町の地域で,京都で一番古い花街。北野天満宮造営の時の残材を使って七軒の茶屋が造成されました。(上七軒は西陣に近く,西陣機業家を主な顧客とし,他の花街に比べて地味で古風さが特色といわれていました)
 北野踊りは昭和27年の北野天満宮1050年大萬灯祭を記念して始められました。

上七軒
上七軒歌舞練場

 

■戦争に向けての諸活動

翔鸞国防婦人会 北野天満宮清掃作業(昭和16年)

翔鸞国防婦人会 北野天満宮清掃作業(昭和16年)

出征勇士見送り風景(昭和18年頃)

出征勇士見送り風景(昭和18年頃)

中紙屋川町内会発足記念(昭和16年)

中紙屋川町内会発足記念(昭和16年)

 

■今宮神社参道の石碑

 翔鸞学区は七本松通以東は今宮神社,以西は北野天満宮の氏子です。
 今宮神社参道紫野高校北側の歩道に石碑があり,上京元六組20数カ町の町名が刻印されています。明治29年4月建立の銘あり。

今宮神社参道の石碑
今宮神社参道の石碑

 

■西陣織の粋

 西陣織には手織,力織機,綴織等があります。能衣装,僧侶の正装法衣(五條袈裟等)は空引機という製法が用いられています。

西陣織の粋(空引機と織物)

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