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我が学区の身近な歴史舞台再発見/地域自治のシンボルとしての小学校

ページ番号29812

2013年5月21日

 上京では、町衆による自治の歴史の中、地域のみなさんの力によって22の番組小学校が設立されました。開校以降、小学校は地域自治・学区民のシンボルとして、そして学区に暮らすみなさんの母校として、歴史を刻んできました。学区のみなさんと小学校がともに歩む上京の学区の中から、今回は正親学区を紹介いたします。

正親学区

 本学区は豊臣秀吉が天下を誇示した聚楽第跡地にあり、亀木町や高台院町など聚楽第ゆかりの町名が数多く残っています。今回は学区民のシンボルである正親小学校を紹介します。

 正親小学校は現在児童数150名前後ですが、一時は1,000名を超える児童が学んでいました。明治2年、上京十番組小学校として開校され、上京十五番正親小学校、京都市正親尋常小学校、京都府京都市正親国民学校などを経て、昭和22年に京都市立正親小学校となりました。現在の校舎は昭和12年の台風による大被害の後に大改築された建物で、特に地下室は当時の建築技術の粋を集めたものと言われています。敷地の北東角には前述の聚楽第址の石碑が、北門にも近年建立された唐津小笠原藩邸跡石碑があり、訪ねてこられる方も多数おられます。 

 校訓は「正親勇」の3文字で、その趣旨は「正とは、心正しくして言行偽なきを謂ひ、親とは、人に親しみて敬愛深きを謂うなり、此の二者は実に己を修め、他に対する要道にして、諸徳の基本となるべきものなれば之れに勇気の一綱を補ひ以て校訓を制定せり。」とされ、現在も教育の支えとして校長室に額が掲げられています。

 昨年度には、学区のみなさんと小学校が一体となって、地域ぐるみの学校安全をテーマとしたものなど、学区のみなさんの多くがかつて学んだ正親小学校を中心に、現在もさまざまな取組が進められています。

 

<市民しんぶん上京区版平成19年6月15日号に掲載>

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