学区案内/西陣学区(にしじん) ※上京区120周年記念誌(平成12年3月31日発行)から抜粋
ページ番号29016
2013年5月21日
世界的に有名な高級絹織物「西陣織」発祥の地,西陣学区
■学区の概要と歴史
西陣学区は入り組みの多い複雑な形をしていますが,概略の位置を示せば,堀川通以西・浄福寺通以東・五辻通以北・寺之内通以南です。応仁元年(1467)応仁の乱が勃発し,山名宗全の邸宅(現山名町)が一方の拠点となり,同年5月細川勝元方の軍勢と激烈な戦闘を行いました。この時山名邸の一帯が,東方の細川方に対する西の陣という意味で「西陣」と呼ばれ,室町時代の終わり頃「西陣」が地名として使われ定着しました。
歴史的には西陣の概念は,ほぼ南北は中立売通から鞍馬口通まで,東西は室町通から千本通まで,一辺が約1キロメートルのほぼ正方形の範囲としています。応仁の乱が終わった後一面の焼野原となっていた陣地跡が次第に旧に復し,「西陣・機(はた)織の町」として成長しいていったのです。
西陣碑
西陣小学校 校章
西陣今昔
■西陣学区の中心・西陣校の創立(明治2年)
西陣校は明治2年12月2日上京第五番組小学校として創立されました。127坪の土地に建坪62坪の校舎を建て,教師3名,生徒120名という極く小さな学校でした。明治17年1月,西陣の地名に因んで校名が西陣校と改称されました。
明治41年12月,校名の西の字をくずし八方正面紋図に構成した校章が制定されました。校章は校旗・帽章・胸バッジ等に用いられてきました。
年度 | 1965 | 1970 | 1975 | 1980 | 1985 | 1990 | 1995 |
人口 | 4,729 | 4,128 | 3,530 | 3,231 | 3,085 | 2,853 | 2,797 |
世帯 | 1,204 | 1,166 | 1,091 | 1,069 | 1,126 | 1,123 | 1,224 |
■西陣校舎倒壊と鉄筋新校舎完成 (昭和9年~昭和11年)
昭和9年9月21日朝,突如として京都を襲った室戸台風は,最大風速42メートルで一瞬にして改築中の旧校舎10教室を押し倒しました。児童職員約500名が下敷きとなり,41名の児童が死亡し多数の重軽傷者を出す惨事を引き起こしました。直ちに西陣小学校復興互助会が組織され,その復旧に全力を尽くしました。校舎倒壊はあまりにも痛ましい事故ではありましたが,この経験が学校安全への関心と熱意を高めました。現在でも春と秋の年2回,学校の「風害記念碑」と妙蓮寺の「西陣校罹災児童慰霊塔」をお祀りし,法要を営んで学校安全の誓いを新たにしています。その後,昭和11年に現在の鉄筋新校舎が完成し,12月8日竣工式が行われました。
校門
新校舎校庭にて全児童集合(昭和12年4月)
風害記念碑
西陣の教育
■臨海学舎(大正6年~平成6年)
大正6年夏,若狭高浜で臨海学舎が開かれました。当時は舞鶴までしか汽車がなかったので,そこから馬車で行き1週間位泊まりました。その後高浜から和田浜へ,宿舎も公会堂から魚作旅館・扇屋・青葉荘へと移ったものの,80年にわたって西陣校の伝統的な体育行事の一つとして地域に根づいてきました。臨海学舎は世代を超えての西陣の懐かしい思い出となっています。当時から臨海では右のような高浜臨海学舎の歌が歌われました。
高浜臨海学舎の歌
- 青葉のみねに 雲はれて
雪の浜辺の 水清く
島は緑の かげひたす
ああ 北海の別天地
波間の魚を 友として
清き心を 養わん - 城山したに よせかえす
どとうの岩を かむごとき
その勇気もて 荒波の
さかまく波と きそいつつ日々に そまりし赤銅の
はだに強者の 意気見せん - 朝に高き 潮の香や
夕べすずしき 漁火のかげ今戸が崎を 洗いくる
波に千古の 音を聞き
妙なる調べに あわせつつ
我も歌わん 海の歌 - 朝に遠き シベリヤの
岸を洗いし 荒波は
夕べに 五百重の潮こえて
青葉山下に 寄するなり
ここ雪浜に 胸をねる
我が西陣の 健男児
開設当時の臨海学舎(大正7年)
記念すべき第1回臨海学舎(大正6年8月)
西陣今昔
■西陣の移り変わり(堀川通今出川)
昭和23年当時の西陣堀川通。現在からはまったく想像できない堀川通です。太平洋戦争が激化してきた昭和20年,防空活動や退避活動が活発にできるようにするため,当該家屋に立ち退き命令が出され,堀川通に面する家が軒並み取り壊されました。その強制疎開の跡地から生まれたのが現在の堀川通です。
昭和32年頃の西陣堀川通。急激な市街地の拡大と自動車交通の激増に伴って,市内幹線道路の拡充が行われました。幹線道路として完成して間もない頃の堀川通です。
現在の西陣堀川通。高層ビルがずいぶん増えました。現在の堀川通は京都市の南北をつなぐ幹線道路として1日の自動車の通行量は数万台に及んでいます。
西陣の自慢
■陸上の西陣(大正の終わり~昭和の初め)
大正の終わり頃から昭和の初めにかけて,学校対抗の陸上競技の対外試合が盛んに行われました。帝国大学主催全国大会・全市植物園大会をはじめ,各学校の招待リレー等,春秋のシーズンには競技が続きました。特に選手リレーは一人ひとりのタイムをストップウオッチできちんと計り,走り方を工夫したり,リレーのバトンタッチを毎日のように練習しました。その効果があがったのか,そのうえ地域あげての応援もあって,他校との対抗試合は連勝連勝で大いに気勢を上げました。この時代,優勝旗36本を獲得したので「陸上の西陣」と呼ばれました。このことは西陣地域のスポーツ熱を高める基となり,スポーツに対しての理解も深まっていったのでした。当時,次のような西陣応援歌が歌われていました。
西陣・応援歌
- 一千余年の旧都とて
その名を誇る洛陽の
西北隅に立つ健児
知らずや西の紋章を - 応仁の昔山名氏の
陣せし地とてその名をば
伝えて今に西陣の
名を背いて立つ我が校は - 五十余年の歴史あり
七百有余の健児あり
意気みなぎりて天をつき
勇気溢れて地に満ちぬ - 日頃の力を試めすべき
時は来たれり今ここに
鍛えし手練試みん
時は来たれり今ここにフレー西陣 フレー西陣 フレフレフレ
お稲荷さんに願かけて
おみくじ引いて申すには
西陣 勝ち かち かち
西陣の暮らし
■西陣わっしょい
西陣は今「まちづくり」のとき すばらしいまち西陣
いま住む人も住み続けられ,いろんな人が住んでみたくなるまち西陣
未来の西陣まちづくりに向けて
西陣学区を安全で住みよい町にするため,平成7年の西陣小学校閉校を契機に西陣住民福祉協議会では西陣まちづくり委員会を発足させて,西陣のまちづくりに取り組み「西陣わっしょい」の事業を展開してきました。元西陣小学校跡地を活用して過去6回,西陣学区民があい集い地域の活性化と地域のふれあいを求めて「お神輿をわっしょい」とみんなで地域を担ぐような気持ちで連帯の輪を広げてきました。
西陣まちづくり委員会では,まちづくり活動として,地域発展を考える部会・地域環境を考える部会・商店を考える部会・地域ふれあいを考える部会の4部会に分けて,学区の特微に応じた活動を進めています。また最近では京都市内各大学の学生さんにもボランティアで活動に参加していただいています。
年月 | 略歴 |
平成7年3月 | 西陣小学校閉校 |
平成7年4月 | 西陣まちづくり委員会発足 |
平成7年7月 | 西陣小学校楽譜『125年の歩み』出版 |
平成7年11月 | 西陣ふれあい祭り 「いにしえの空引で西陣織を」 |
平成8年4月 | 西陣きものふれあい桜祭 「着物を着て津軽三味線を」 |
平成8年7月 | 西陣ふれあいゆかた祭 「ゆかたを着て 夜店と盆踊り」 |
平成9年3月 | 桃薗西陣小学校閉校 |
平成9年4月 | 西陣住民福祉協議会広報誌「はとりべ」創刊 |
平成9年4月 | 第1回西陣わっしょい 「鉾差し勇ましく・一坪店舗町衆市」 |
平成9年9月 | 第2回西陣わっしょい 「こども博物館がやってきた」 |
平成10年5月 | 第3回西陣わっしょい 「若者フリーマーケット・花いっぱい・堀川に水を」 |
平成10年8月 | 第4回西陣わっしょい 「盆踊りと大文字鑑賞の夕べ」 |
平成11年5月 | 第5回西陣わっしょい 「学区民による西陣織工房のまち・仕事展」 |
平成11年8月 | 第6回西陣わっしょい 「きょうと国際こどもミュージアムと模擬店」 |
西陣住民福祉協議会 広報誌「はとりべ」
「西陣わっしょい」事業チラシ
■西陣まちづくり委員会
西陣まちづくり委員会では,さまざまな活動をおこなっています。
その中の一つに西陣のまちのさまざまな名所を紹介している「西陣ぶらりマップ」があります。西陣学区の良さをアピールし,西陣を訪れた人たちが,どこに何があるかがわかりやすく,しかも楽しんでもらえる情報誌をつくっています。
もう一つは,西陣学区に新しく移り住まれた方のための「ようこそ西陣へ おこしやす」です。ここでは,西陣の歴史や概要,西陣学区の環境,さらに西陣歳時記やまちづくり委員会の活動紹介などを載せています。これは,初めて西陣に住まれる方を心から歓迎し,西陣の事をいろいろ知っていただこうというものです。
西陣まちづくり委員会では,地域に密着した活動を実施する中で,より多くの人に西陣の良さを知っていただいたり,新たに西陣に住まれる方のサポートをしたりと,西陣の活性化を目標に日々頑張っています。
■ようこそ西陣へおこしやす
西陣織と歴史
西陣織の技術は,延暦13年(794)平安京ができた時に,織部司が宮中に設置されたときから始まります。その後,応仁元年(1467)に応仁の乱が起こり,この地が西軍の山名宗全の陣であったところから,乱後,「西陣」の呼び名が生まれました。現在,西陣織では帯地をはじめ,着物地,金襴,ネクタイ,室内装飾織物などが生産されています。
西陣のすまいと環境
格子戸にむしこ窓といった京の町家がまだまだ数多く残っています。そのような町家に,最近では陶器などの伝統的な物づくりの人たちも移り住み,さまざまな芸術家や職人の町としても有名になってきています。また,著名な寺院や名所旧跡も数多く,通り名称や町名も歴史の深さを感じさせてくれます。さらに,この西陣学区は伝統的に教育熱心で,多くの人材を輩出しています。医療施設や買物の便もよく,多くの方々に喜ばれています。
区内の史跡
○山名宗全邸跡
(やまなそうぜんていあと)
応仁の乱で西軍(西陣の地名の発祥)の総帥として東軍の細川勝元と対立した山名宗全の邸跡。
○岩上神社
(いわがみじんじゃ)
本尊は高さ約1.7メートルの岩で,伝えによると,はじめ二条堀川付近にあったのを,その形が良いとのことで御所の庭に移したところ怪異なことがしばしば起こるので真言宗の僧がもらい受けこの地に有乳山岩神寺としておまつりしたが,数回の火災で廃寺となった。その後現在の所有者が神社として創建した。授乳や開運にご利益があると参拝者が訪れている。
○西陣の雰囲気を残す町並
小川家 表通 硯屋町
三上家路地
○雨宝院
(うほういん)
歓喜天(聖天)を本尊とするところから西陣聖天と呼ぶ。嵯峨天皇の病気の折,弘法大師が等身大の歓喜天を彫って祈祷すると平癒したので天皇から別荘を賜わりそこに雨宝堂を創建したことに始まるという。
境内には本堂はじめ大師堂,不動堂,稲荷堂,庚申堂等がある。同じ境内にある「染殿井」は西陣五水のひとつ。
○本庄家と葵鉾
(ほんじょうけとあおいぼこ)
五代将軍「綱吉」の生母,桂昌院が出た本庄家と,幼名をお玉と称したので,お玉さんが輿に乗って「玉の輿」の言葉の語源となった。その桂昌院が寄贈した葵鉾(東石屋町)がある。
本庄家
葵鉾
○妙蓮寺(みょうれんじ)
卯木山と号する日蓮宗本門法華宗の大本山。日像上人が柳屋中興氏の帰依を得て五条西洞院の地に開創,その後再三移転,天正年間に現在地に移ったが,天明の大火で焼失。今の伽藍は以後に再建されたもの。方丈の庭は「十六羅漢の庭」として著名。
○百々橋跡
(どどばしあと)
宝鏡寺の門前,寺之内通小川にかかっていた石橋。百々御所(宝鏡寺)のそばにあり,古地図に「百々ノ辻」との記載があることから橋名は地名に由来する。応仁の乱のとき山名方と細川方が,この橋を隔てて数度の戦いをしたという。石橋は昭和38年に解体され現在,西京区の竹林公園に復元されている。
長さ約7.4メートル,幅3.7メートル
○本隆寺
(ほんりゅうじ)
慧光山と号し,日真上人が開創した法華宗真門流の総本山。日真は妙顕寺の日具上人を師として研鑚に努めたが,のち意見を異にし対立,六角西洞院に草庵を建てて独立。翌年,四条坊城に移って寺基を固めた。
その後,叡山の焼き討ちにあい一時堺に非難するなど法難を受けたがのちに,今の地に再建された。
○宝鏡寺(ほうきょうじ)
光厳天皇皇女華林恵厳禅尼公を開山とする臨済宗の門跡尼院。百々御所ともいう。尼寺五山の第一位,景愛寺の住持であった恵厳禅尼が境内に一宇を建立し,はじめ福尼寺と称したが,のちに宝鏡寺と改めた。しかし,景愛寺は応仁の乱で焼失したため,子院である当院が法灯を継いだ。光格天皇遺愛の品をはじめ,多数の人形を所蔵し,人形寺とも呼ばれる。
寺之内通堀川東入ル市バス「堀川寺之内」下車すぐ
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