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京都市山科区

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やましなを歩く東海道5御陵~山科駅前

ページ番号11937

2007年11月7日

現在の山科駅付近

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周辺地図

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「藪ノ下」のたばこ

 

 天智天皇陵参道の入り口から東へ歩を進め、JRのガードをくぐると旧街道に入る。周辺には昔の街道の姿をしのばせる古い民家が残っている。
 すぐに「すずめ坂」と言われるゆるい坂になるが、このあたりは「藪ノ下」と言われていたようだ。

 

 『山州名跡志(さんしゅうめいせきし)』(1711年)には「藪ノ下 地名 鏡山ノ東ニ在り。此所ノ者ノ多クハ莨○(「草冠に宕の字が入ります。)(たばこ)ヲ刻ンデ業ト為ス。故ニ世ニ藪下ノ刻(きざみ)トイフ」とある。「藪下のきざみ」は山科の産物としてよく知られていたようだ。

 

 

五条別れ道標

 

 道標には、「右ハ三条通」「左ハ五条橋・ひがしにし六条大佛・今ぐまきよ水道」などと彫られている。「ひがしにし六条」は東西本願寺のことで、東海道から別れて南に下がり、渋谷越で五条大橋方面へ出る道を教えている。宝永四年(1707年)建立。京都市登録史跡。

 

 木造阿弥陀如来坐像(平安時代)で知られる当麻寺(たいまじ)の門前を過ぎ、安祥寺川まで行くと、「京都お箸の文化資料館」がある。
 近くには「吉祥山安祥寺」の石標があり、寺はここから北の疏水をこえた所。嘉祥(かしょう)元年(848年)、仁明天皇女御藤原順子が発願、入唐僧恵運(にっとうそうえうん)を開山として創建されたもので『伊勢物語』にも登場する。

 

 

奴茶屋跡

 

 「長々と続く日岡村を過ぎ、京から一里の奴茶屋まで一筋の狭い道を通って行き、そこで茶を飲んで、酒で重くなった頭をいやした。」

『江戸参府旅行日記』(ケンペル、1691年)

 

 奴茶屋は、南北朝時代末から営まれた茶屋に始まると伝えられているが、江戸時代には、東海道の著名な立場(旅人の休憩所)としてにぎわった。

 

 『拾遺都名所図会』(1787年)には、茶屋の祖先で弓の達人である片岡丑兵衛が、諸国の戦乱に乗じて旅人を悩ましていた盗賊を討亡し、茶店を建て、弓矢を携えて山中の間、旅人の送り迎えをしたとある。

 

小説「奴茶屋」挿絵(明治33年稲岡正文著)

小説「奴茶屋」挿絵(明治33年稲岡正文著)

五条別れ近くの街道町並み(昭和44年)

五条別れ近くの街道町並み(昭和44年)

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