やましなを歩く東海道2日岡峠~蹴上
ページ番号11898
2007年11月7日
日向大神宮
車石碑~修路碑
旧街道は三条通(府道四ノ宮四ツ塚線)に出合う。向かい側の石垣に、二条の轍(わだち)と「旧舗石(きゅうほせき)車石」と刻まれた碑が見える。アーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』(岩波文庫)には、「京都から、次の休憩所である大津までは、沿道にずっと石を畳んだ、一種の軌道になっていた。これは重い荷物を積んだ、幅の広い車輪のついている牛車にそなえたものだ。われわれの駕籠は、京都にいる大君の守備隊へ供出する米俵をのせた四十台の牛車を追いこした」と記録している。
「九条山」バス停後方に、明治10年3月建立された修路碑があり、京都府知事槙村正直(まきむらまさなお)の文が刻まれている。碑文の大意は、京都三条から近江国界までは往来困難で、特に日岡峠は甚だしく、人々は往来に苦しんできた。街道改修は明治8年起工、10年完成、峠の道を一丈一尺四寸低くしたとある。
車道 再撰花洛名勝図会(1864年)部分
日岡峠人馬道碑~日向大神宮
「九条山」バス停から東山ドライブウェイの花鳥橋に上ると、向かい側民家の裏に碑が見える。高さ2.3メートルの石柱は、峠道の改修に尽力した木食正禅が建立したもので、「日岡峠人馬道」とあり、人馬道と車道が分けられていたことが判る。この辺りから蹴上浄水場の間に、粟田口刑場があったようだ。
坂を下っていくと蹴上の近くに、鳥居と「青龍(せいりゅう)山安養寺」「式内(しきない)日向神社」の石標がある。石段を登って疏水にかかる大神宮橋をわたり,安養寺側を通る参道急坂を登ったところが日向大神宮。左側石段を登ると鳥居・拝殿・本殿等が一望できる。当社は清和天皇の勅願により天照大神(あまてらすおおみかみ)を勧請、社伝では、二三代顕宗(けんそう)天皇の時代に日向の高千穂(たかちほ)の峯の神蹟(しんせき)を移し創建、鎮座する山を「日山(ひのやま)」と称したと伝える。旅人の道中安全祈願、伊勢神宮代参等の参詣者で賑わった。
内宮・外宮本殿は、伊勢神宮と同じ神明造。境内には神話で有名な天岩戸もある。境内は、京都市の「文化財環境保全地区」に指定されている。
日岡峠人馬道碑 享保21年(1736年)建立
日山神明宮(日向大神宮)再撰花洛名勝図会(1864年)
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