やましなを歩く西野山と大石良雄遺跡
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2007年11月7日
山科神社本殿
西野山と大石良雄遺跡
最近まで、新十条通の西端に「右 大石良雄山科の隠家」「左 山科停車場みち」と彫られた道標があった。明治41年建立されたもので、「山科停車場」は旧東海道線の山科駅のことを示している。現在はトンネル工事中で見あたらないが、ゆかりの方が保管されているようだ。
ここから南へ下がっていくと、右側に大石神社の鳥居が見えてくる。浪曲師吉田奈良丸らの篤志により、昭和10年大石良雄を祭神として建立された。境内には「創立記念碑」や、天野屋利兵衛を祀った「義人社」等もある。
南に位置する岩屋寺では、大石良雄をはじめ赤穂四十七士の木像や遺品を見ることができる。大石良雄は赤穂城退去後、元禄14年(1701年)7月に山科に移り、翌年9月頃江戸へ出発するまでの一年余り、ここに隠れ住んだ。当地出身の赤穂藩士進藤源四郎の縁故により、土地を手に入れ家屋を新築して、永住をよそおったと伝えられる。境内には大石良雄の遺髪塚(もと良雄旧址碑)や、「大石良雄君隠棲旧址」碑等もある。また、大石神社や当寺境内には、大石良雄を偲んだ句碑や歌碑が多く建てられている。
大石良雄隠棲旧址碑
花に酔ひ
月にうかれし
いつはりは
やがてこころの
まことなりけむ
冷泉為紀
(明治34年建立)
山科西野山邑大星假居趾「絵本忠臣蔵」(1808年)
山科神社
岩屋寺の南、急な坂と石段を上った山の中腹に、山科神社が鎮座している。日本武尊(やまとたけるのみこと)・稚武王(わかたけおう)を祭神として、寛9年(897年)に創建されたと伝えられる。江戸時代には「西岩屋大明神」と呼ばれ、明治に「山科神社」と改称。三間社流造(さんげんしやながれづくり)、桧皮茸(ひわだぶき)の本殿は、江戸時代初期の造営で京都市指定文化財。万治3年(1660年)に建立された鳥居には「山城國宇治郡山科郷西山村」等と刻まれている。
大石良雄旧跡の道標
西野山・勧修寺周辺には、大石良雄の遺跡を案内する多くの道標が見られる。
明治40年頃、当時の著名な小説家村上浪六等が多くの道標を建立した。写真の道標は、伏見稲荷奥の院を通り、滑石峠に出る途中の薬力社横にあり、その一つと思われる。「右 山科の里 大石良雄旧跡」と彫られている。
滑石峠途中に「西野山古墓」と記した碑がある。この近くから、大正8年発見された古墳で、金装大刀・鏡等出土品は国宝(京都大学蔵)。
「山科の里」道標
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