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やましなを歩く東海道3日岡

ページ番号11910

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2011年3月16日

三条通を走る電車(昭和59年)

三条通を走る電車(昭和59年)

周辺地図

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名号碑

 

 「日岡」バス停西方道路脇には、「名号(みょうごう)碑」「題目碑」「京津国道改良工事紀念碑」が並び、それぞれが街道の歴史を物語っている。

 

 名号碑は、東山清水坂の安祥院(あんしょういん)の僧で、日岡峠改修、亀の水遺跡、人馬道碑建立で知られる木食正禅が、京都にある11ヶ所の無常所(墓などの人を葬ったところ)を寒念仏回向(寒中の30日間、念仏を唱え巡ること)し、その満行にあたり供養のため建立した碑の一つで、もとは九条山辺りの街道沿いに建てられていたと思われる。

 

 元文五年(1740年)の安祥院文書(『史料京都の歴史』所収)には、「粟田口石塔ハ壱丈三尺(約四メートル)」と記しているが、現在は高さ2.9メートルになっている。碑の正面に「南無阿弥陀佛」、側面には「享保二丁酉(きょうほうにひのととり)年七月」(1717年)、裏面上部には「京津国道工事に於ケル犠牲者ノ為ニ 昭和八年三月」、下部には、昭和44年に下半分を復元したことが追刻されている。

 

 

題目碑

 

 名号碑の隣にあり、背面の「碑文」には、京津国道改修中、街道傍らに建てられていた碑の1つと思われる法華塔断片が発見されたので、これを基壇として昭和15年12月、小島愛之助(法華倶楽部創設者)及び有志により造塔供養を行ったとある。基礎には多くの車石が利用されている。

 

 

京津国道改良工事紀念碑

 

 碑正面には「紀念 京津國道改良工事 昭和八年三月竣工」とある。碑の側面には長い轍の跡が見られ、また基壇にも深い轍の跡が刻まれた車石が利用されている。

 

 大阪朝日新聞(昭和8年5月28日付)には、「京津新国道竣工きのふ晴れの開通式」「明粧(めいしょう)の大動脈」「その昔の難所も今は夢の夢」とあり、新国道は延長7,635メートル、総工費230万円。京津間の難所とされた日ノ岡、逢坂山両峠を削って勾配を緩やかにし、幅員も11メートルに拡大、平坦部では16メートル以上とし、歩車道の区別をつけ、完全な舗装化によって京都大津間を自動車で僅か17,8分になり、従来より12,3分短縮されたとある。

 

京津国道改良工事記念碑

京津国道改良工事記念碑

題目碑

題目碑

名号碑

名号碑

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