やましなを歩く琵琶湖疏水周辺2
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2007年11月7日
第2トンネル西口洞門
安祥寺
洛東高校前から流れに沿うとすぐに安祥寺。九世紀中頃、仁明天皇の皇后藤原順子の御願で入唐僧(にっとうそう)恵運が開基。昔は、上寺と下寺があり、山科北部に広大な地域を占めていた。上寺跡は毘沙門堂から約1キロメートル、安祥寺山中腹にあるが近寄り難い。
名所図会に、下寺の多宝塔が描かれているが、明治39年焼失。当寺の五智如来像(重文・平安初期)、蟠龍(ばんりゅう)石柱(唐時代)は京都国立博物館で見ることができる。
安祥寺 捨遺都名所図会(1787年)
本圀寺
山裾を巡る疏水の緩やかな流れに沿って、さらに下る。南の方に目を向けると、JR線が大きく曲線を描き、京津線が地下へ潜るなど面白い景観が見られる。
赤い橋を渡り本圀寺へ。秀吉の姉、日秀尼(にっしゅうに)等により復興された寺。下京区から移ってきたが最近美しく整備された。加藤清正の祈願所・菩堤所で清正廟(眞生廟)もある。経蔵(1607年建立)は重要文化財。鐘の寄進者には日秀尼と父母・夫・息子らの名が見える。
疏水洞門
疏水の各トンネルには、明治政府要人筆の題字が彫られた洞門があり、これらを見て歩くのも楽しい。第二トンネル東口には、井上馨の「仁以山悦智為水歓」(仁は山を以って悦び智は水と為るを歓ぶ)、西口洞門には,西郷従道の「随山至水源」(山に随いて水源に至る)、第三トンネル東口には松方正義の「過雨看松色」(過雨松色を看る)。
日本最初の鉄筋コンクリート橋
第三トンネル東口前にある橋は、日本初の鉄筋コンクリート橋。表面に「本邦最初鐵筋混凝土橋」、裏面には「明治36年7月竣工 米蘭式鐵筋混凝土橋桁 工学博士田辺朔郎書之」と彫られた碑がある。洞門やコンクリート橋は国の史跡。
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