やましなを歩く奈良街道3大宅
ページ番号12019
2007年11月7日
岩屋神社
岩屋神社~大宅寺
宝迎寺を後にして街道を南へ下っていくと、目前に鳥居が現れる。これは500メートル程東にある岩屋神社のものだ。区内の古い神社の一つで、本殿背後の山中奥之院にある巨大な陰岩と陽岩をご神体としており、古代の磐座(いわくら)信仰の姿を現代に伝えている。橘女子大の正門前には中国福建省から渡来した黄檗(おうばく)第9代霊源の墓がある。この辺りに、黄檗宗の寺があった。
道を西南に下ると大宅寺。『今昔物語』には、平安時代、宇治郡大領宮道弥益の妻が大宅寺を建立したとあり、『都名所図会』(1780年)に「曹洞宗月坡(がっぱ)和尚一宇を建て大宅寺と号す」とある。月坡(1716年没)は大津に生まれ、隠元等に学び永平寺の書記を勤め、詩作に優れていた。本堂後方に「宮道弥益夫妻墓」と伝えられる五輪塔2基がある。
大宅には後白河上皇造営の「山科新御所」があったが、遺跡はまだ発見されていない。
岩屋神社図「宇治郡名勝誌」(明治31年,矢部文載著)
大宅一里塚
先の鳥居から南へ下ると、名神高速道路の北側に大きな榎が見える。一里塚だ。『東海道宿村大概帳』(江戸末)にも、大宅の一里塚に榎が立っていることが記されている。
近世、主要な街道の両側、一里ごとに築かれていたが、道路の発達でほとんどが消滅している。市内ではここでしか見ることが出来なくなってしまった。京都市史跡(登録)。
一里塚
大宅廃寺跡~歓喜光寺
名神高速道路の高架をくぐると大宅中学校が見える。左手の小道を入った正門には、大宅廃寺跡碑が建てられている。白鳳時代に創建された寺院跡で、ここから東方一帯に存在、藤原鎌足が建立した山階寺(やましなでら)との説もあり、古代史上注目されている遺跡。南向かいの丘陵竹林中では、当寺の瓦を焼いたと思われる窯跡が見つかっている。
中学校の東には、一遍の弟子聖戒が開基した時宗の歓喜光寺がある。東山五条から昭和50年、当地に移った。本堂は慶長6年(1601年)建立の法国寺本堂で、京都府指定文化財。堂内に掲げられている額には、淀君が二世安楽のために建立したとある。寺宝に「一遍上人絵伝」(国宝・鎌倉時代)がある。
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