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京都市山科区

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やましなを歩く琵琶湖疏水周辺1

ページ番号12095

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2007年11月7日

諸羽ダム(昭和45年撮影)

諸羽ダム(昭和45年撮影)
昭和45年の諸羽トンネル完成により,現在は公園

周辺地図

周辺地図
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琵琶湖疏水

 

 山科北部を流れる琵琶湖疏水(第一疏水)は明治23年に完成した。京都の近代化を目指して建設された大土木事業であった。水力・かんがい・舟運等に利用されるとともに、山科には新しい景観をもたらした。

 

 藤尾の第一トンネル出口辺りでは深い谷のように見える疏水は、10分ほど歩くと水面が間近になる。かつて舟が往来していた当時の様子を想像しつつ流れに沿って歩くと、一燈園資料館「香倉院」が見える。一燈園創始者西田天香に関する資料等が展示されている。この辺りからは山科を囲む山や町全体の眺望が良い。

 

 

毘沙門堂

 

 安朱橋から疏水を離れ、毘沙門堂道を北に向かうとすぐに瑞光院。境内には浅野内匠頭の供養塔、四十七士墓、瑞光院遺躅碑(いたくひ)等が並ぶ。

 

とに角に
思ははるゝ
身の上に
しばし迷の
雲とてもなし

(大石良雄歌碑)

 

毘沙門堂 捨遺都名所図会(1780年)

毘沙門堂 捨遺都名所図会(1780年)

 

 

 毘沙門堂は紅葉・桜の季節に賑わう山科の古刹であるが、もとは出雲路(上京区)に創建された寺である。中世廃絶していたのを徳川幕府の政治顧問として活躍した天海僧正が再興をはかり、幕府は安祥寺の地の一部を与えた。弟子公海が後を継ぎ、寛文五年(1665年)完成。本堂には本尊毘沙門天、家康坐像等が安置されている。堂々とした構えは、近世門跡寺院の姿をよく残し、名所図会(上図)に描かれた当時の姿と変わっていない。

 

 本堂・宸殿・唐門・仁王門等の建造物や、狩野洞雲筆の障壁画等は共に京都市指定・登録文化財。

 

 西方には山科聖天として知られる塔頭双林院があり、本尊阿弥陀如来や聖天が祭られている。その背後には、石段参道に多くの灯籠が建ち並ぶ輪王寺宮墓があり、13基の堂々とした墓石が並ぶ。

 

 

藤原順子後山階陵

 

 双林院から西方に進むと、「南禅寺蹴上日向大神宮」「大文字山」等ハイキングコースの案内板があり、北側に藤原順子後山階陵がある。順子は第五四代仁明天皇の皇后で安祥寺を創建、貞観13年(871年)63歳で崩御。ゆかりの地にひっそりと葬られている。

 

 この辺りが「後山階陵製鉄遺跡」。四宮小金塚の西谷間にも「熊ヶ谷製鉄遺跡」がある。どちらも奈良時代のものと推定される「たたら(製鉄)遺跡」である。

 

毘沙門堂

毘沙門堂

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