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やましなを歩く奈良街道2音羽~大塚

ページ番号12003

2007年11月7日

現在の奈良街道

現在の奈良街道

周辺地図

周辺地図
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若宮八幡宮

 

 一号線を斜めに横切ると、すぐ道の東に「清水寺奥之院牛尾山道」、西には「蓮如上人御塚道」と彫られた古い道標が建つ。

 

 ここから西方の音羽小学校西側には、若宮八幡宮があり、仁徳天皇、応神天皇、神功(じんぐう)皇后等が祭られ、境内に大津皇子、粟津王(大津皇子の子)供養塔と伝えられる2基の宝篋印塔がある。

 

 八幡宮から南に下がると奈良街道との三叉路があり、最近まで「右奈良街道六地蔵」「左四宮停留場安朱山科駅道」「右大津追分是より十丁」等と記された大正8年建立の道標が建っていた。

 

 

妙見寺

 

 再び1号線を越えて、さらに新幹線のガードをくぐる。

 

 西側を見ると石垣に囲まれ1段高い場所に、「皇塚」の碑と巨大な松の切り株がある。原形をとどめていないが、古墳があったと伝えられ、「大塚」の地名もこれにちなむといわれる。

 

 少し下がった街道脇の「妙見宮」の碑から東に向かうと妙見寺がある。妙見菩薩は眼の病が治ることを願う人々により信仰されてきた。

 

 『月堂見聞集(げつどうけんもんしゅう)』享保11年(1726年)10月の条に、「山科大塚村妙見菩薩諸人参詣の濫觴(始り)は、去年秋の比去る者眼病を憂て、大谷日親上人の墓に百日の間参詣す。或夜夢想に云く。汝が眼病は山科の妙見菩薩に祈誓すべしと。其後参籠す忽に癒ゆ。是より初まるといへり」とあり、江戸時代の中ごろに多くの人々が参詣した。妙見寺に通じる東西の道は「妙見道」として知られている。

 

山科妙見堂 捨遺都名所図会(1787年)

山科妙見堂 捨遺都名所図会(1787年)

 

 

大名岩(伏見城採石場跡)

 

 妙見寺より東,東養護学校の南の谷を入った山の中腹に、「大名岩」といわれる巨岩二個が発見されている。急斜面に位置し、危険で近寄り難い場所であるが、高さ3メートル程の巨岩に1辺12センチメートル程の4つ目の刻印が彫られている。

 

大名岩の刻印

大名岩の刻印

 

 『甫庵太閤記』(1661年)には、「文録三年初比より二十五万人の着到にて醍醐山科比叡山雲母坂より大石を引出す事夥(おびたた)し」とあり、伏見城築城時の採石場跡の1つと考えられる。街道は「妙見宮」の碑から南へ、西鶴『好色五人女』の主人公「おさん・茂兵衛」の墓で知られる「宝迎寺」の前を通る。

 

 

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