やましなを歩く東海道1日岡峠
ページ番号11877
2007年11月7日
日岡峠から鏡山を望む
日岡峠
京都市大津間で逢坂山、日岡峠の二つの難所を持つ東海道は山科盆地の北を通り、街道沿いには、天智天皇陵をはじめ多くの史跡が存在している。
日岡峠は、日岡から粟田口、蹴上へと通じる峠、『都名所図会』(1780年)の絵図には「木食寺」「日ノ岡」「姥ヶ懐」「けあげの水」等峠の風景が描かれている。峠道もしばしば大改修を受け、新しい道が開かれるなど、大きくその姿を変えた。
峠へは、天智天皇陵参道の入り口斜め向かいの細い道を西に向かう。現在の峠道は、車一台がやっと通れる程の狭い道として残っている。
三条通から大石道を南へ300メートル程で旧街道に出会うが、すでに坂道の途中となり、左へ下がった平坦な所にかつては一里塚があった。
粟田山・日岡峠 都名所図会(1780)
亀の水(梅香庵跡)~旧東海道碑
急な坂道を数分登ると、左側に「亀の水」遺跡が見えてくる。『都名所図会』には「木食寺」として描かれ、木食正禅(養阿 1687年~1763年)が、峠道の管理と旅人の休息所として設けたとある。旅人ののどを潤すために設けられたこの石刻の亀の口からは、現在も清水が出ている。敷地内には湯茶接待用石のカマドが置かれ、側面には銘文(下記)が刻まれている。少し進むと「右明見道」「右かさんいなり道」と記した2本の道標がある。「明見道」の道標は、大塚の妙見寺への道案内に建てられたと思われる。
さらに街道は光照寺の石段の下を通る。『東海道分間延絵図』(江戸末期)では、光照寺の北側辺りに「義経千本松」「高札場」『毘沙門堂』が記されているが、現在その跡はない。両側に民家が並ぶ道を進むと、脇に「旧東海道」の碑が眼に入ってくる。
<カマド側面の銘文>
南無阿弥陀佛
此の攝待量救水を
もって貴賤の往来に
そなへまた牛馬等も
喉口を潤し往来
無障ため通行有
之やうに相企つ是
梅香院守真省方
尼公の志願につき
猶又永代退転無之
様に量救水に加
修覆奉供養者也
木食養阿
宝暦二壬申年(1752年)
十一月二十九日
湯茶接待用石のカマド
一里塚跡の辺りから見た峠道
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