やましなを歩く東海道6山科駅前~四宮
ページ番号11952
2007年11月7日

四宮地蔵前の街道と町並み
護国寺
山科駅前の景観はすっかり変わったが、江戸時代の姿をうかがえるものとして、「竹ヶ鼻護国寺」(下図)がある。この図会には、右下に東海道、現在の山科京極あたりのところには広い境内が描かれている。
寛永20年(1643年)日勇により創建された護国寺は、京都六檀林(日蓮宗の学問所)の1つ「山科檀林」。談義所・談所・学校とも呼ばれ、多くは洛中から洛外へ通じる街道沿いに建てられた。
南には妙心寺僧盤珪(1693年没)が再興した地蔵寺があったが、明治初期に廃寺。町名にのみその跡を残している。寺には東岩倉(粟田口大日山)の寺にあったと伝えられる「足利尊氏坐像」や「尊氏塔」が安置されていた。

竹ヶ鼻護国寺 捨遺都名所図会(1787年)
諸羽神社・人康親王山荘跡碑
毘沙門堂を案内する道標を越え、さらに東へ向かう。四宮地蔵の手前あたりから北へ目を向けると貞観4年(862年)創建、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祭る諸羽神社の鳥居と参道が見える。
諸羽山のふもとには、仁明天皇第四皇子・人康親王(872年没)の山荘があったと伝えられ、境内には「人康親王山荘跡」碑が建てられている。
『伊勢物語』にも「山科の禅師のみこおはします、その山科の宮に水はしらせなどしておもしろくつくられたる」とあり、本殿西側にはその山荘にあったと伝えられる「琵琶石」がある。
四宮地蔵・十禅寺
六地蔵巡りでよく知られる四宮地蔵は、平安時代の優美な地蔵尊。地蔵堂正面の額には、「山城国宇治郡四ノ宮村」「六ツの辻四ツのちまたの地蔵そん道ひきたまへみだの浄土江」とある。前には、元禄16年(1703年)に、沢村道範が建立した道標がある。
ここから北、京津線を越えるとすぐに十禅寺が見える。人康親王が出家し、隠棲した山荘跡と伝えられ、墓は東側にある。後世、親王は芸能集団の祖神(天夜尊 あまよのみこと)として崇められてきた。
中世荒廃していた寺を江戸時代初期に、紅玉真慶(こうぎょくしんけい)が復興、明正天皇(女帝)が帰依し、伽藍が整えられた。

四宮地蔵
志賀直哉旧居跡碑
三条通から外環状線を南へ、竹鼻立原町の四宮川沿いの桜の大木の下に碑がある。
大正12年から約2年間、小説家志賀直哉が居住。
山科での経験を基にした作品『山科の記憶』『瑣事』などがある。

志賀直哉旧居跡
関連コンテンツ
やましなを歩く もくじ
お問い合わせ先
京都市 山科区役所地域力推進室総務・防災担当
電話:庶務担当:(1)075-592-3065 地域防災担当:(2) 075-592-3066 調査担当:(3)~(4) 075-592-3066 企画担当:(5)~(6) 075-592-3066
ファックス:075-502-8881