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京都市山科区

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やましなを歩く花山周辺

ページ番号12087

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2007年11月7日

JR東海道線東山トンネル東口と石額む「山紫水明」「古今相照」

JR東海道線東山トンネル東口と石額む「山紫水明」「古今相照」

周辺地図

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元慶寺

 

 渋谷街道を西に向かい、旧安祥寺川を越えると、北側民家との間に竜宮造の門が見える。この元慶寺は西国三十三所番外札所として参拝者も多い。

 

 六歌仙の一人として知られる僧正遍昭(へんしょう)の発願で、元慶元年(877年)、陽成天皇の母藤原高子(たかいこ)が建立した。江戸中期に再建された本堂には、本尊薬師如来と共に、遍昭・花山法皇の像が安置されている。


 平安時代中期、藤原道長の父兼家が、娘詮子の産んだ懐仁親王(後の一条天皇)の即位を望み、当寺で若い花山天皇を強引に出家させた事件がある。『栄花物語』には、出家落飾した天皇の姿を、「山々寺々に手を分かちて求め奉るにさらにおはしまさず。夏の夜もはかなくあけて、中納言や惟成の弁など花山に尋ね参りにけり。そこに目もつゞらかなる小法師にてゐさせたまへるものか」と描いている。


 境内には、遍昭の「天津風 くものかよひぢ ふきとぢよ 乙女のすがた しばしとゞめん」の歌碑がある。遍昭の墓はこの寺より南方約300メートルにある。


 北隣は華山寺。後水尾天皇の帰依を受けた妙心寺の名僧愚堂(1661年没)が、万治元年(1658年)に建立。門前の碑には「愚堂国師入定之地」とある。

 

元慶寺山門

元慶寺山門

 

 

北花山水路記念碑

 

 渋谷街道に戻り、西へと向かう。花山交番からさらに西へ100メートル程進んだ道路脇に、北花山水路記念碑がある。これは山科西北部各村の農業用水を得るため、多くの人々の尽力により明治25年開通した用水路を記念して、明治29年建立された。

 

  交番から北へ少し歩くと、JRの東山トンネルが見える。入口に「山紫水明」「古今相照」の石額があることはあまり知られていない。

 

 

花山洞

 

 国道1号線の坂をのぼり、東山トンネルに至る。北側には並行して、明治36年開通の「花山トンネル」が通っている。

 

 滝井孝作の小説『結婚まで』(昭和2年)には、この辺りの当時の風景が描かれている。

 

 「森の中から出て、ずっと下り坂路で足許は下って居た。岨路(そばみち)に日が射した。稚児ヶ淵と云ふ潴水池(ちょすいち)二ツの傍を通った。(中略)すぐ路は広い往来に合はさった。『花山洞』のトンネルを出た往来だった。駄菓子置いた茶店、牛車、行商人など、急に鄙びた風物だった。往来から手の下には、山科の村里が點々(てんてん)と指された。」

 

北花山 捨遺都名所図会(1787年)

北花山 捨遺都名所図会(1787年)

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