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やましなを歩く山科本願寺跡とその周辺

ページ番号12089

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2013年5月27日

蓮如上人御廊所

蓮如上人御廊所

周辺地図

周辺地図

 

 

山科本願寺跡

 

 山科本願寺の遺跡は、山科の中心部西野一帯に、国道1号線を挟むように存在する。蓮如が文明10年(1478年)建設に着手。寺院を中心に寺内町を形成し、周囲を幾重にも土塁と堀で囲んだもので、東西800メートル、南北1キロメートルに及んだ。当時の様子は、「寺中広大無辺、荘厳ただ仏国のごとし」(『二水記』)と記されている。

 

 現在、緑の巨木が望まれる所には土塁や堀が残っていることが多く、中央公園にある大きな土塁は当時の姿をよくとどめている。天文元年(1532年)武士・法華衆徒に攻められ焼亡。遺跡はたびたび発掘調査されているが、残念なことに住宅建設等で失われつつある。「西宗寺」は遺跡の西端に位置し、この地を寄進した野村郷の名主である海老名五郎左衛門(浄乗)が創建した。

 

 

蓮如上人御廟所

 

 山階小学校から北へ歩くと、蓮如上人の御廟所が、門と築地に囲まれた木立の中にひっそりとたたずんでいる。蓮如(1499年没)は本願寺八代として各地で活発な布教活動を行い、衰微していた本願寺を再興。巨大教団発展への基礎を築き山科にて没した。この御廟所を挟んで、江戸時代中期に東・西本願寺山科別院が建立された。

 

 また、外環状線と国道1号線の交差点から東南へ300メートル程歩くと、九代実如・十代証如の墓もある。

 

山科本願寺跡 都名所図会(1780年)部分

山科本願寺跡 都名所図会(1780年)部分

山科本願寺土塁・堀跡 (平成11年)

山科本願寺土塁・堀跡(平成11年)

 

 

南殿旧跡光照寺

 

 南殿旧跡光照寺は、音羽伊勢宿町にあり、蓮如の隠居所として山科本願寺の東方に営まれた。堀や土塁で囲まれていたが、山科本願寺と同時に焼亡、後に光照寺として復興。当時の庭園・土塁はよく残されている。光照寺から300メートル程西には「蓮如上人御指図井」がある。

 

 

仏光寺旧址碑 

 

 外環状線を南に下り、妙見道から西へと向かう。醍醐街道との北西角には「仏光寺旧址」碑。仏光寺は現在下京区にあるが、起源が山科にあると言われている。七代了源の時代には真宗寺院として興隆、本願寺を凌ぐ勢いがあった。

 

 ここから少し西、西雲寺門前には自然石の「表徳碑」が立つ。京都鳩居堂の主人であった熊谷直恭(蓮心・1859年没)が、このあたりに老牛馬の放牧場を設けたり、洪水・窮乏から村を救ったことを顕彰するため、明治21年建碑。

 

 さらに西に進み東野公園北には「三之宮神社」がある。鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・醍醐天皇・後水尾天皇を祭る。江戸時代造営の本殿があり、その南に幹周5メートルを越える欅(けやき)の大木がある。

 

 

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