伏見区の歴史 : 近代産業への飛躍/明治・大正・昭和へ
ページ番号13327
2018年7月12日
近代 産業都市への飛躍/明治・大正・昭和へ
疏水とインクライン
明治23年(1890)に完成した琵琶湖第一疏水に続いて,明治27年に鴨川運河が完成,人や物資を乗せた船は鴨川夷川から鴨川東岸を南下,伏見堀詰町で伏見城の外堀(濠川)とつながりました。明治28年には墨染インクラインを完成させ,高低差(水位)のある鴨川運河と外堀を結びました。また,淀川と結ぶため三栖閘門を建設しました。疏水は当初,船運の充実,水車動力による工業の振興,上水道の整備を目的にしていましたが, さらに水力発電をくわえ,経済振興策として建設されたものです。
墨染インクライン付近
日本で最初のチンチン電車
伏見は明治のはじめ頃までは水上交通の要地としての地位を保っていました。しかし,明治10年(1877)に神戸・京都間に東海道線が開通,13年に稲荷,山科を経て大津へ延び,22年に東京まで達すると,水運はにわかに衰退をはじめます。こうしたことから,京都・伏見間の鉄道を建設し,明治28年(1895)に完成しました。同じ年,京都岡崎公園一帯で開かれた第4回内国博覧会への見物客を輸送するため,大阪からの客を伏見に迎え,油掛町から京都七条までチンチン電車で運びました。これが日本でいちばん最初に走った電車といわれています。
市電発祥の地石碑
陸軍の進出
明治31年(1898)歩兵38連隊,第19旅団司令部,京都連隊区司令部が深草に進出,明治41年にはこれらを統括する第16師団司令部が現在の聖母女学院におかれました。のどかな田園地帯は兵舎や連兵場に変わっていきました。
京都駅から司令部を結ぶ師団街道は当時では珍しい二車線道路でこれと交差する第一軍道,第2軍道,第3軍道がつくられました。昭和2年(1927)に奈良電鉄が陸軍の指導で,地下鉄化の計画がもちあがりましたが,伏見の地場産業である酒造りに必要な地下水が出なくなると伏見の酒造家が猛反対し,高架にしたと伝えられています。
聖母女学院(元第16師団司令部)
伏見区誕生
大正時代に入り,酒造業が大幅な成長を遂げ,町の経済が拡大すると,明治30年頃から芽生えていた伏見市昇格への要望が高まりました。大正7年(1918)には深草村と上鳥羽村の一部が京都市と合併,大正11年には深草村が町制施行,続いて昭和4年(1929)4月,伏見町が市政施行を京都府に申請し,京都府もこれを受け入れ,内務大臣の認可を経て伏見市が誕生しました。しかし,この伏見市誕生には京都市への合併を認めるという条件がついていました。伏見市側は京都市との合併にも有利であるとの認識から,市となる道を選んだのでした。2年後の昭和6年4月伏見市は京都市と合併,深草町,醍醐村なども同時に合併し,京都市最大の行政区である現在の伏見区が産声を上げたのでした。
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