伏見区の歴史 : 平安時代 貴族文化と伏見
ページ番号13307
2018年7月12日
平安時代 貴族文化と伏見
貴族の別荘地
「巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田井に雁渡るらし」と、万葉集第9に詠まれた風光明媚な伏見桃山(指月の丘)に 橘 俊綱が延久年間(1069~74)に山荘を営んだ頃から伏見の名が知られるようになり,奈良と平安京との中間点に位置するため,その後の文献にもたびたび登場しています。宇治の平等院を建立した藤原頼通を父に持ち伏見長者と呼ばれた俊綱が造営した豪壮な別荘,それが伏見山荘でした。地下鉄竹田駅の西側一帯には平安後期の院政時代に,白河法皇の壮大な鳥羽離宮が造営され,離宮は鴨川,宇治川,淀川,桂川に通じ,近くに巨椋池が湾入する水郷地でした。
指月の丘
深草北陵
嘉祥3年(850)仁明天皇が深草陵に祀られると,深草は皇室とかかわりの深い地となっていきました。深草北陵は後深草天皇をはじめとする十二柱の天皇を祀っています。嘉祥寺は仁明天皇の菩提寺として建立されたもので,隣接して貞観寺,極楽寺といった大寺院が藤原氏によって建立されるようになりました。江戸時代にこの付近の車塚古墳からは皇朝十二銭のひとつ『長年大宝』が発見されています。貞観寺は藤原良房が孫の惟仁親王(後の清和天皇)の加護のため,また,極楽寺は藤原時平が建立した寺院でした。このように深草と皇室と藤原摂関家との結びつきから深草は禁裏御料所・九条家領となっていきました。
鳥羽離宮造営
応徳3年(1086)に藤原季綱より鳥羽の地を譲り受けた白河天皇は皇位を堀川天皇に譲ったのち,院政の府として壮大な離宮造営をはじめました。その様子は「さながら都遷りの如し」と表現されています。南殿には証金剛院(九体堂),北殿には勝光明院,東殿にはのちに御陵となる安楽寿院と浄菩提院, 田中殿には金剛心院が隣接し,中央には総鎮守社の城南明神(城南宮)がありました。白河上皇によりはじまった鳥羽離宮造営は,鳥羽天皇にも引き継がれ,壮大な院御所に発展,貴族たちの往還のため,陸路や水路の整備も行われました。
安楽寿院
醍醐天皇と醍醐寺
伏見の東部を占める醍醐,日野は平安時代に創建された醍醐寺と法界寺を中心に発展しました。醍醐寺は貞観16年(874)聖宝が上醍醐に創建、10世紀のはじめに醍醐天皇の勅願寺となったことから隆盛を極め,山下にも堂塔伽藍の造営が行われ,下醍醐が形づくられました。五重塔は10世紀半ばの創建当時のもので、京都市内最古の木造建築物です。院政時代に建立された三宝院は、15世紀に活躍した門跡の満済が3代将軍足利義満の猶子となったことから将軍家の信仰を厚くし、以降、三宝院門跡が醍醐寺座主となり寺の中核的存在となりました。
醍醐寺五重塔
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