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京都市北区

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リレー学区紹介-楽只学区

ページ番号56206

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2009年2月1日

楽只:人権尊重のまち

ツラッティ千本の写真

(写真:ツラッティ千本 ホームページはこちら

 

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成11年3月15日号より転載)
市政協力委員連絡協議会会長の大林博さんと同副会長の日下部亨さんにお話をお聞きしました。

「蓮台野」
 楽只学区は,かつては,紫野など京の七野の一つである蓮台野と呼ばれ,大徳寺と上品蓮台寺(通称十二坊)の寺領でした。 明治8年,蓮台野村は西紫竹大門村と合併,その後鷹ケ峯村と改称しました。同25年には,野口村として鷹ケ峯村から分離し,大正7年,京都市編入時に,鷹野町となりました。 昭和になると,竹やぶや御土居が切り開かれて,千本通,北大路通に市電が開通するとともに,区画整理事業により都市化が進展しました。昭和33年からの同和対策の一環として改良住宅の建設が始まるとともに,北山通建設に伴う千本北大路周辺の拡幅整備により,過日の様相を大きく変えました。

市内一番の高所
 東西は船岡山西麓から紙屋川,南北は鞍馬口通から佛教大学までの面積約0.26㎞と,北区内19学区のうち2番目に小さい学区内に,約千 400世帯,3千人の方々が住んでおられます。多くはサラリーマン世帯ですが,少なくなったとはいえ,西陣織の機音も響いています。以前の市電千本北大路停留所は,東寺の塔と同じ高さで,市内一番の高所といわれていました。近年は,学生マンションが増え,深夜まで営業する店もでき「学生のまち」の一面もみせています。

人権のまち
 楽只学区は,同和地区を中心として成り立ち,発展してきました。
 ツラッティ(一緒に連れ立って)千本では,解放運動の先覚者益井一族の資料や昔の部落の生活を伝える写真などが豊富に展示され,啓発・学習の拠点となっています。また周辺には,府立盲学校,京都ライトハウス,朝鮮第三初級学校などがあり,人権を考えるうえで,大切な地域となっています。

「たのしきかなくんし 楽只君子」
 楽只小学校は,慶応3年(1867)に,人間解放の先駆者益井茂平氏が始めた私塾が母体となり,明治6年の学制発布により蓮台野校として開校し,同氏が初代校長となりました。 明治18年,二代目校長井上靖氏は,「楽只君子」の一節を含む『詩経』から,「困難を乗り越え,楽しくてたまらない学校にしよう」との願いを込め,「楽只」校と改められ,大正13年には,現在地に移転しました。

「ふれあい」大切に
 楽只学区では,社会福祉協議会(会長後藤重義さん)が中心となり,「共に語り合い,支え合うこと」を運営の柱として,各種団体と連携しながら自治活動を展開しています。 同和問題を「地域ぐるみの課題」とするとともに,「人権が大切にされるまちづくり」を進めるため,昭和47年から行われている「北研集会」では,鷹峯社会福祉協議会ともども中心的な役割を担っています。また,他学区にない取組として,毎年1月15日に学区成人式が行われ,今年40年目を迎えました。親子二代での参加者もあり,その歴史を感じさせます。 お年寄りに対する「ふれあいサービス事業」も,ボランティアグループを先頭に積極的に行われています。70歳以上で一人暮らしの方に対する配食サービスは,学区を3ブロックに分けて年3回ずつ計9回行われるとともに,運動会にも招待し,楽しいひとときを過しておられます。こうした活動は,学区民の皆さんがお互いに支え合うことを目標に進められています。 ひとり一人が「わたしたちのまち ゆたかなふれあいのまち やさしさのまち」にしていこうとの心意気にあふれた学区となっています。