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京都市北区

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リレー学区紹介-雲ケ畑学区

ページ番号56205

2009年2月1日

雲ケ畑:賀茂川源流 緑のふるさと

賀茂川源流の近くの写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成11年9月15日号より転載)
自治会長で市政協力委員連絡協議会会長を兼ねられている久保常次さんと社会福祉協議会会長の波多野忠一さん,地元の歴史に詳しい波多野文雄さんにお話をお聞きしました。

山間の要所
 北区の最高峰・桟敷ケ岳( 896m)に源を発する賀茂川の流れ。その源流域に沿う旧出谷・中畑・中津川の三村からなる雲ケ畑は,近世まで主殿寮・仙洞御料として「菖蒲役」を勤めるとともに,薪炭や鮎などを朝廷に献上する供御人の活動地として知られています。また,西賀茂から雲ケ畑川に沿う道や満樹峠から市ノ瀬,岩屋谷経由で尾桟敷を越える道など,都と丹波を結ぶ交通の要所でもありました。 17世紀末には葛野郡から愛宕郡となり,明治7年,三つの村は合併して雲ケ畑村となったのち,昭和24年京都市に編入されました。

「紫雲」たなびく
 雲ケ畑の名は,出雲氏の作った集落「出雲ケ畑」の「出」が取れたとする説や,岩屋山志明院ゆかりの薬王菩薩が,疫病退散のため植えた薬草のたなびく様子が「紫雲」のようであったからとも言われています。 小野篁や惟喬親王にまつわる福蔵院や高雲寺,惟喬社などもあり,毎年8月24日には「松上げ」の炎が夜空を照らす魅力あふれる伝承の残された由緒ある地域です。

賀茂川の水を守り続けて
 雲ケ畑は,賀茂川の水源地となっています。このため,上流が汚染されると下流の京都のまち全体にも影響が及ぶことから,地元の皆さんは,昔から「賀茂川の源流を守り続ける」強い意識をもっておられます。地元農協の女性部では,「手作り廃油石鹸」の使用を奨励し,少しでも生活排水をきれいに保つよう努力されています。 ハイキングにもたくさんの人が訪れます。しかし,コース沿いの民家や小学校には早朝からトイレを借りる人の列ができたり,散乱ごみの後片付けなど,地元の皆さんは頭を抱えられています。 かつては,一日中魚取りをした清流にもオオサンショウウオの姿を見かけるなど,近年,自然環境に微妙な変化が現れているという地元の皆さんの警鐘に,私たちも真剣に耳を傾けるべきでしょう。

定住できる環境づくりを
 人口の減少,とりわけ若い世代の流失は深刻で,数年後には小学校の新入生がゼロになることも予想されています。また,かつては山仕事の専門家として優れた技術力を誇っていた林業に携わる人も,今では,専業世帯が数戸になりました。地域の活性化には,まず,都会に居住している世帯に帰ってきてもらいたい,そのためには,恵まれた自然を守りながら,上下水道や道路の整備など,安心して定住できる条件整備が必要と話しておられます。 小人数のメリットを生かしたマンツーマン教育に慣れた子供たちも,都会の子供たちとの交流を深め,よりたくましく育ってほしいと望んでおられます。

健康・自主の意識高く
 雲ケ畑学区では,自治会が地域活動の中心となって,体育振興会や消防団,少年補導など各種団体の取組をサポートしています。 最近では,社会福祉協議会の活動に関心が高まりつつありますが,学区内には,いわゆる寝たきりの方はおられず,福祉や「ケア」に対する受け止め方も個人で異なるため,今のところ,他学区で見られるようなケアサービスは行われていません。皆さん健康で,いきいきと暮らしておられる証しでしょう。 将来,緑のふるさととして自然環境を守りながらも,「人が増えてにぎやかに」なるよう,これからの活動が期待されます。
(写真:賀茂川の源流近く)