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京都市北区

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リレー学区紹介-大将軍学区

ページ番号56217

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2009年2月1日

大将軍:ボランティアの心あふれる閑静なまち

府立体育館の写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成10年10月15日号より転載)
社会福祉協議会会長の倉高久吉さんにお話をお聞きしました。

北区の南端・静かな住宅街
 大将軍学区の歴史は昭和6年「第二衣笠校」の開校に併せて始まります。学区は北区の南端に位置し,北側こそ衣笠学区に隣接していますが,東は紙屋川を挟んで上京区に,南は中京区,西は右京区と3区に接しています。また,平安京の右京北辺に当たり,寝殿造の原型と考えられる建物跡が発掘されています。また,宇多院が和歌を残すとともに,豊臣秀吉の寄進とされる「五色の八重散椿」(現在は二代目)で有名な椿寺(地蔵院)もひっそりとたたずむなど歴史的にも由緒ある地域となっています。 明治22年の市制・町村制施行により衣笠村となった後,大正7年には上京区に編入されました。北区が生まれた昭和30年9月には,大将軍一条町,川端町,坂田町及び西町の4か町で,35年には大将軍西鷹司町,東鷹司町及び南条町が新たに設けられました。現在では,大将軍7町と北野2町,等持院1町の10町からなり,サラリーマン世帯を中心に2千 800世帯,6千人近い方々が住んでおられます。西大路通,馬代通,一条通といった幹線道路が学区内にありますが,一歩小路に入ると閑静な住宅が整然と並んでいます。 府立体育館や山城高校(旧府立三中)も学区の特色となっています。学校創立60周年に当たった平成3年には,待望の大将軍会館が開設されるとともに,22年に1度という時代祭の「延暦文官参朝列」の当番区にもなり,多くの参列者が時代行列に加わりました。

学び舎ぞ「大将軍」
 「大将軍」とは,太白(金星)の精のことで,陰陽道にいう西方の神を意味します。この地域が王城の西北に当たるため,吉凶をつかさどる方除けの神として大将軍八神社(上京区)が祭られ,地元からも大いに崇敬されました。その名が大将軍の地名の由来となっています。 小学校も,昭和16年には大将軍国民学校と改称,戦後22年には,現在の大将軍小学校となりました。校名変更時には,地元の強い要望があって「大将軍」の名が付いたとされています。 開校当時 (昭和6年) は池や茶畑が点在し,馬車が行き交うのどかな風景が広がっていました。児童数もピーク時には 900人近くまで増えましたが,高齢化や少子化傾向に伴い,現在,約 230人の児童が,学区のほぼ中心にある小学校に通学しています。

ボランテイアが支えるまち
 学区内の主な行事は,18の各種団体からなる社会福祉協議会が中心となって行っています。他学区にない特色としては,18人の各種団体の長と地元有志27人で構成する「ボランティア」が事業実施の中心となっています。例えば,子どもからお年寄りまで楽しみにしている学区最大の行事「カーニバル」,自主防災訓練での食料確保の訓練も兼ねた「うどんの炊出し」,もちつき大会など率先して活躍されています。 現在71歳以上約 700人,90歳以上47人おられるお年寄りにもやさしく,独居老人お食事会の開催や今年の敬老の日には,90歳になられる16人の方に布団を配布されました。ボランティアの方々はこれら以外にも,例えば,障害者の方がキャンプに参加される時なども,できる限りのお手伝いをされています。役員の皆さんも「ボランティアの人数も限られ,今後,どこまで対応していけるか」と話しておられました。 放置自転車対策や定期的な清掃活動といった課題もありますが,普段から地域の皆さんが気を付けられており,特に大きな問題にまで至っていません。 今後も,皆さんが協力しあって住みよいまちづくりを進められることが大いに期待できそうです。

(写真:府立体育館)