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京都市北区

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リレー学区紹介-紫竹学区

ページ番号56209

2009年2月1日

紫竹:静かな環境・生活に便利なまち

加茂街道の並木の写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成10年12月15日号より転載)
市政協力委員会会長の藤原貞夫さんと紫竹小同窓会の片岡音也さんにお話をお聞きしました。

「大宮の森」の中心に
 室町時代,山城ノ国愛宕郡大宮郷の一村であった紫竹地域は,大徳寺の北東に位置しました。「紫竹」という名は,黒紫竹が群生していたからという説や,紫野近くの竹の多いところから付いたという説などあるとのことです。
 その後,周辺地域との合併により明治5年には東紫竹大門村,同22年に大宮村となり,大正7年には京都市に編入されました。
 学区内には上賀茂神社の摂社である久我神社のほか,貴船神社や小森社,また,多くの町内にお地蔵さんがまつられ,上緑町では18体もまつられています。とりわけ「大宮の森の鎮守様」と親しまれている久我神社は,直径2mの欅(樹齢 600年)の切り株が残され,11月1日に例祭,3日には神幸祭が行われ,大宮~待鳳~紫竹~元町の旧大宮郷をみこしが巡行し,今年は紫竹小学校の校長先生も,地域の人々とともに参加されていました。また,上緑町には「天宝10年(1839)の鐘」が宝物として大切に保存されるなど,歴史的にも由緒ある地域であります。

比叡を仰いで
 昭和になると区画整理事業により道路が整備されるとともに,竹林が住宅地に開発されるなど急速に市街化が進みました。
 現在では,堀川通,北山通,大宮通などの幹線道路が通り,市バス路線も網羅され,上鴨警察署や北郵便局はじめ官公庁や新大宮商店街もあり,生活の便利さは抜群の地域となりました。また,朝鮮文化を伝える高麗美術館は,開館10周年を迎えました。
 一方,学区の北側は,御土居や加茂川に囲まれ,吉井勇の作詞による紫竹小学校校歌にも歌われるように,比叡山を仰ぎ見るたいへん恵まれた環境に,約3千世帯,6千 800人の方々が暮らしておられます。 紫竹小学校は,当初,第5待鳳小学校として計画され,一時は御薗小学校という名称で開校する話もあったそうですが,結局,由緒ある「紫竹」に決まりました。北区では比較的新しい昭和16年の開校ですが,当時はグラウンドの一部も竹笹で覆われていました。
 平成3年には紫竹小学校の創立50周年を迎え,記念誌『紫竹五十年のあゆみ』が発行され,同時に同窓会総会が発足しました。また,卒業生には俳優の北大路欣也さんもおられ,体育館には同氏寄贈の絵が掲げられています。

学区名物「紫竹まつり」
 少子,高齢化の時代を迎え,紫竹学区の各種団体は,住みよい福祉の街づくりを目指し活発な活動を続けています。紫竹学区団体連絡協議会(会長戸田政治氏)では,平成6年に同会を設立し,団体間の調和と連携を図り連帯意識の向上に努めています。なかでも,紫竹まつりは学区民が一同に集まる最大のイベントで,11回目となる今年は,お年寄りの方も参加しやすいように夏から秋に変更し,10月24日盛大に行われました。地域女性会の「ハワイアンフラダンス・サークル」の多彩な踊り,上鴨警察署,北消防署の応援出演,各種団体の趣向を凝らした出店,新鮮野菜の即売会に約千 500人の方々が参加されました。
 昨年は,凶悪な犯罪から地域の皆さんや子供たちの登下校の安全を確保するため,5月から半年間にわたり各種団体とPTAが防犯パトロールを実施しました。
 今後とも,より一層安全で住みよい学区となるよう,伝統を守りながら,新しい時代を先取りする活動に取り組まれます。

(写真:賀茂街道の並木)