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京都市北区

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リレー学区紹介-待鳳学区

ページ番号56215

2009年2月1日

待鳳:「住んでよかった」と言われるまち

今宮神社の写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成10年11月15日号より転載)
市政協力委員会会長の村岡勇哲さんと社会福祉協議会会長の河村儀一さんにお話をお聞きしました。

牛若丸の生まれ里
 待鳳学区の歴史は古く,明治22年の町村制施行時に東紫竹大門村と西賀茂村の合併により誕生した大宮村のぅち,大正7年,旧御土居以南が京都市に編入した時に始まります。
 当時の待鳳は,小山,大宮,紫竹,紫野,柏野の5地域で,東は新町通,西は鷹峯街道,船岡山,紙屋川,北は御土居,南は上京区に接するほど広く,農業を中心に上野町辺りでは機音が響き始めました。
 その後,新大宮通,北大路通,北山通の整備がされ,市電北大路線の開通や区画整理事業も行われるなど都市化に拍車がかかり,小売商,機業家も増加し,宅地化が進むにつれ,人口も急増していきました。
 これに伴い,大正14年紫野,昭和6年鳳徳,昭和14年柏野,更に昭和16年には紫竹の各小学校が順次設立されました。待鳳学区も,東は新大宮通と猪熊通の中間,西は鷹峯街道,北は玄以通,南は大徳寺に囲まれた現在の地域(約1.1㎞)となりました。 
 学区内には,今宮神社,大徳寺,常徳寺などの社寺,常盤御前が安産を祈願した木像の常盤地蔵尊や「牛若丸産湯の井戸」といった伝説を秘めた史跡があり,4月には京の祭始めと言われる「やすらい祭」が行われます。枕草子にも「野は紫野」と歌われるなど文化と歴史の薫る地域となっています。

「おおとり(鳳)の如く」
 待鳳小学校は,明治6年東紫竹小学校として開校,同12年には,当時の槙村京都府知事から「おおとり」のような大人物が輩出するよう『待鳳館』と書かれた額が送られたのを機に待鳳小学校と改称されました。
 児童の増加に伴い,同45年現在地に移転した後,前述のとおり5小学校を設立分離してきました。昭和48年には,創立 100周年を記念して「待鳳 100年の歩み」を刊行, 125周年を迎える今年は,10月18日,記念バザーが盛大に行われました。地域との交流を深めるため,学校の壁を取り除くグリーンベルト事業も北山通側で工事が進められています。

活発な自治活動
 現在約4千 200世帯,約1万1千 500人が住む待鳳学区では,待鳳学区自治連合会が中心となって,18の各種団体が独自の事業を実施しています。           
 グラウンドゴルフをはじめ「発想・企画・行動」をモットーに自主的活動を展開している長寿クラブ連合会,他学区にはない標語コンクールを実施している交通安全推進会,新体操やジャズダンスなど活発なサークル活動をしている地域女性会,京都市で初めて女性が入団した消防分団など,各団体が意欲的に自治活動を進めています。
 昨年の北区総合防災訓練の際も 800人を超える学区民が積極的に参加し,団結力の強さを示しました。

心通うふれあいのまち
 こうした取組のほか,待鳳学区では「ふれあいを大切に」を合言葉に,特にお年寄りに対するいろいろな事業にも力を入れています。              
 現在約40人からなる福祉ボランティア会「あけぼの」では,約 250人おられる独居老人へのお世話として,会食会や配食サービスなどを実施しています。また,ふれあい訪問を中心とする在宅サービスの充実も検討しています。これまで,ちょっとした用事などお年寄りが直接ボランティアの方に頼まれていたものを,ボランティア会の会員がそれぞれ活動できる日時を登録し,組織化することによって,もっと気軽にいつでもお世話できるようにするものです。
 更に,お年寄りを交通事故から守るのに役立てる 「交通安全マップ」 を作成していくなど,今後ますます住み良い学区になっていくことが期待されます。
 お二人の会長も「住み良いまち,住んで良かったと言っていただけるまちづくりを目指していきたい」と話しておられました。
(写真:今宮神社)