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京都市北区

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リレー学区紹介-鳳徳学区

ページ番号56222

2009年2月1日

鳳徳:お年よりにやさしいまち

新大宮コミュニティ道路の写真

(市民しんぶん北区版「いきいき北区」 平成11年1月15日号より転載)
市政協力委員会会長の黒田清太郎さんと社会福祉協議会会長の島本譲さんにお話をお聞きしました。

紫野・貴族の遊覧の地に
 鳳徳学区は,かつて貴族の遊猟,遊覧や御霊会の地として都人に親しまれていた「紫野」に位置します。明治以降になると,周辺地域との合併により同5年に東紫竹大門村,同22年に大宮村となり,大正7年には京都市に編入されました。この当時,賀茂川の支流が堀川通の西側を流れ,市中に入ってからは堀川となり,いくつもの水車が懸かるなど,のどかな田園風景が一面に広がっていました。 区画整理事業で大いに発展 旧大宮通の周辺には,すでに住居がありましたが,住宅街として発展したのは,区画整理事業の進展に伴うものでした。 昭和4年の測量図を見ると,すでに区画整理が完了し,整然と住宅地が並ぶ地域や,現在の北大路堀川の北東にかけて広がる田園を貫いて,北大路通や堀川通,新町通などの幹線が計画路線として描かれています。こうした事業に対する住民の期待は大きく,柳児童公園にある「區劃整理之碑」には,今日の発展を予期するように「殷賑期シテ待ツ可シ」と刻まれています。更に,昭和5,6年にかけて北大路通に市電が開通し,ますます交通は便利になりました。 現在の学区は,東は新町通,南は北大路通,西は大徳寺,北は今宮北通の北側に囲まれたほぼ正方形の形をしてます。 学区内には,行者の修行の場で「行者堀」と呼ばれた宝泉院,紫野障害者授産所などの入った京都市北合同福祉センター,新大宮商店街などがあります。なかでも,昭和52年には,設置要望の強かった集会所が,区民の方々の募金活動を元に「鳳徳会館」としてオープンし,その後,財団法人化され,広く区民の文化活動に利用されています。

由緒正しき「鳳徳」の名
 昭和6年,第三待鳳尋常小学校として創設された鳳徳小学校は,同16年,待鳳の「鳳」と大徳寺の「徳」の文字をつないで「鳳徳」と地域にふさわしい校名に改称されました。 交通量が増加した昭和40年代には,通学をはじめ住民の安全確保のため,小学校に面した堀川通に,市内でも最も早い時期に横断歩道橋が架けられました。開校50周年となる同56年には,『鳳徳五十年史』も発行されました。 最近では,地域との交流を深めるためのグリーンベルト事業が実施されるとともに,来年4月には,少子化により空いた教室を活用した「デイサービスセンター」も開館する予定です。

先進的な高齢者福祉
 鳳徳学区では,社会福祉協議会を中心に各種団体が独自の活動を他学区に先駆けて実施されています。 なかでも,今年10周年を迎えたボランティアサークルによる配食事業など,お年寄りに対する取組は,区内はもちろん全市的にも先進的なものとなっています。従来から,生活の便利さ,環境のよさから,お年寄りに住みよいまちであった同学区では,65歳以上の高齢者が2千人(比率25%)おられ,北区全体(同18%)を大きく上回っています。更に,70歳以上の方が千 400人,また,90歳以上の方も百人近くおられ,いわゆる後期高齢者の比率が高くなっています。 今後,更に高齢化が進むことが予想されるなか,お二人の会長も,「お年寄りはもちろん,児童や青少年に対する活動も積極的に取り組んで行きたい」と話しておられました。
(写真:新大宮コミュニティ道路)