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第3回御池通沿道のマップづくりワークショップの記録

ページ番号4831

2010年11月19日

 

日  時:平成17年2月6日(日)13時~17時
場  所:元龍池小学校1階会議室
参加者数:計31人(市民 16人,スタッフ 15人)

 

第3回マップづくりワークショップのようす

 

内容:

1 開会のあいさつと前回の振り返り(都市づくり推進課:江田担当課長)

・ 寒い中,日曜日にもかかわらず多数お越しいただきありがとうございます。
・ 今回は,これまでに話し合ったことを基に実際にまちを歩いて見てみようということで開催しています。前回も各グループでいろいろなご意見をちょうだいすることができました。
・ 新しく地域に住まれた方が,地元を理解できるようなマップにしようというご意見や,「ここに住んでいてよかった」と思えるマップにしようというご意見がありました。
・ 1200年もの歴史は何層にも重ね合わせることで整理しなければいけないというご意見もありました。
・ "水"をテーマにまちあるきをしようという意見が出されていたグループもありました。
・ 範囲が広いのでゾーン別にしてはどうかということもおっしゃっていただきました。
・ 御池通の由来を大切にしようということもおっしゃっておられましたし,身近な歴史や個人の思い出,建物などを紹介したい,将来に向けて何があればいいか話し合うマップになど,様々なご意見が出されていたと思います。
・ 今日はまちで皆さんが気づかれたことをたくさん持ち帰ってください。

 

2 まちあるき

 3つのゾーンに分かれてまちを歩きました。<千本~堀川><堀川~烏丸><烏丸~鴨川>

 

3 発表(発表順)

<3班:千本~堀川>
・ 私は御池通の東の方に住んでいるのですが,今回は興味があって西の方を歩きたいと思い,この班に参加しました。
・ 東側は高層マンション街ですが,西側にはほとんど高い建物がなく,対照的に感じました。
・ まちにごみが落ちていなくてきれいで,お地蔵さんの手入れもされていて,住んでいる人の人情や温かさを感じました。
・ この地域の特徴は,二条城があり,その南側に神泉苑があること,水が豊富なこと,染屋や薪などの燃料屋が多いことです。二条の駅に昔貨物がたくさん集まってきたので,そこから燃料屋が発達したのではないかということでした。
・ 一緒に歩いたこの地域の方はおそろいの紫色の裃を着ておられますが,こういう取組を通じて人間関係を築いておられるのだと思いました。自分の住んでいるまちのことも振り返って考えたいと思いました。
・ 堀川通を境に道路幅が違い,堀川から西側は通りの両側の距離が近く,コミュニケーションがとりやすいと思います。東側の12m幅の歩道と違い,まちおこしがしやすいのではと思いました。
・ 通りから中に入ってみると「こんなところがあったのか」と京都に住んでいても,違う京都を見た気分でした。
・ 祇園祭の神輿会には「三若」と「錦」と「四若」とありますが,そのうち,一番西側の「三若」の建物がここにあります。若衆が300人ほどおられるそうです。
・ 途中,神泉苑でお茶の接待を受けました。今日のまちあるきのために用意していただいたと聞き,地域の方のチームワークを感じました。
・ 黒門通の北側に町家を復元されているところがありました。まだ建築中で,普段は住んでおられないのですが,見学ができるようになるということでした。
・ 神泉苑の北側には「ばあばサービス」というシルバーサービスがあります。小さい子どもを預かってもらったり,若い人が高齢者を一時預けたりするところです。
・ 銀杏並木もとてもきれいです。
・ 地域の方でつくられた道の案内がありました。間伐材を使って手作りでつくっておられます。観光客にも目印になって良いと思います。
・ 他にも地図に各通りの説明を書いたものをつくっておられます。
・ 今日はこういういろいろな取組を見せていただいて,私の住んでいるところでもがんばりたいと思いました。


 

<2班:堀川~烏丸>
・ 今回歩いたのは,御池通から一本北の押小路通から,一本南の姉小路通の間です。
・ 烏丸から西は,強制疎開で広がる前は西洞院まで6mの幅の道でした。そこから少し南にふれて6~7mの幅の道があり,またそこから少し南にふれるという形をしていました。
・ 戦前はいろいろな店があり,小型の市バスが二条駅から三条京阪を走っていて満員でした。
・ 強制疎開され,区画整理されて現在の姿になったので,史跡はどうなったかと調べました。
・ 国際ホテルのところは昔,福井藩邸跡でした。勤王の志士であり,安政の大獄で惨殺された橋本左内の邸宅跡や,堀川院跡ということで堀川天皇の屋敷跡の石碑,徳川の大老土井利勝の住居跡,秀吉がつくった妙顕寺城跡もありました。
・ 閑院内裏跡や東三条院跡など,屋敷跡がたくさんありました。
・ 他にも妹之辻子(いもとのずし)という小道があったり,橘逸勢(たちばなはやなり)さんという日本三筆の一人の住居跡があったり,この地区では有名な源水というお菓子屋がありました。室町のところにも京都らしいお菓子屋がありました。
・ 御池通の南側には,高松神明神社があり,義経の父である義朝が出陣の場所だということで,今年の大河ドラマの放映にも使われるようです。
・ 真田幸村の関係した黒山にあった石を持ってきて,子どもの頭が賢くなるように奉っている祠があります。
・ 柿本人麻呂にちなんだ柿本町という町内があり,年に2回,歌会などをしたり祭をしているそうです。この地に人麻呂の屋敷跡があり,仏像が代々引き継がれているという場所だそうです。古文書がたくさん残っているのですが,見せてもらっても読めなかったので,今後の宿題として解読したいと思っています。みなさんで読める方があれば知恵を貸してください。
・ 明治維新のときに活躍した長州藩の森寛斎という藩士の屋敷が残っています。蔵に4畳ほどの隠し部屋があるらしいのですが,今回は拝見していません。
・ 御池にちなんだ「御池跡」という井戸が残っています。文献によると,東は堺町,西は衣棚あたりまでの池があったと書かれていますが,神泉苑の御池とどのように関係あるのかはよくわかりませんでした。
・ 龍池小学校の場所は二条殿跡でした。また,金吹町ということで,金座,銀座の跡だという石碑も残っています。
・ 烏丸の辺りには梅田雲濱という勤王の志士がいたそうで,この地域には三人の勤王の志士の宅跡があったということになります。
・ いろいろな時代のものが重なり合って混ざっているので,よく理解するためには時代の整理をしなければいけないと思います。今後,どのように時代を整理して次の世代に引き継ぐかを考えたいと思います。
・ その方法の一つとして,御池通界わいの各町内の名前で歴史をにおわすものがたくさんあるので,調べてみてはどうかと思います。次のときまでにこの地域については町名の由来を調べておきたいと思っています。


 

<1班:烏丸~鴨川>
・ 先ほどの班と同じく,御池通は疎開で広がっています。この区間は南側が疎開で広がっていますので,北側は昔の家が残っています。かつては6mぐらいの細い通りだったのですが,寺町通で行き止まりになっていて,そこに市場があったそうです。
・ 現在の市役所前広場はなくて,道が少し北にふれて,市役所の前の車寄せの辺りからまた東へ道が抜けていたようです。今とは面影が違っていて,市役所前は姿が変わっています。
・ 市役所の裏側に妙満寺というお寺があったので,押小路は東に抜けていませんでした。通りだけでなくまちも変わりました。
・ 今回は御池通の北側と南側を見ました。烏丸から西側も同じだと思いますが,住んでいる人がほとんどいないのが特徴です。マンションはありますが,いわゆる「地の人」と呼ばれるところは,烏丸から寺町辺りをみると6軒しかありません。南側は1軒だけです。烏丸から西側もほぼ同じ状況だろうと思います。
・ 前回もご指摘があったかもしれませんが,御池通への意識を考えたとき,商店などビルに入っている人に話を聞いても何も帰ってこないと思います。「地域の人」といっても住んでいる人がいません。
・ こういう話し合いを持ってどういうゴールを目指すのか,どういう地図をつくろうとするのか,みんなの意識を結集してどういう御池通を目指すのかが見えてきません。そこがわからなければ,こういう場ではものが言いにくいと感じています。
・ 第1回に宗田先生がまとめられたように,現在の御池通にはほとんど残っているものはないが,その背後にいろいろなものがあり,それらを一体的にハードの問題だけでなく,ソフトをどうするのか考えた方がいいというご指摘は正しいと思いますが,住んでいる人がいない中でどうしていけばよいのだろうと思います。
・ 例えば,「門はき」を考えると,お住まいの方か小さい店でなければされていません。
・ マンションや大きいビルの前には,先日降った雪がずっと残っていました。
・ 目指すものが見えない中で,この作業を通じて誰に何をどう働きかけるかがわからないという意見が出ていました。

 

第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす
第3回マップづくりワークショップのようす

 

4 今回のまとめ(宗田先生)

・ 皆さんの発表を聞かせていただいて,これで御池通は完全に千本通りまでつながったなという気がしました。
・ 活性化やまちづくりというものは,人が伝えるものです。まちの歴史も人がいて初めて伝わるのです。言ってくれないと分からないことが多くありますが,声に出して言うと皆さんの記憶に残ります。
・ そういうお話を聞くと,聞いている方はこれまでにドラマや小説で見たことを思い出しながら,「あの人物がここを走ったのか」とか「うちの先祖はそのときに門の影に隠れていたかもしれないな」などと身近に感じるわけです。
・ ご指摘がありましたように,堀川から西は別として,東側には住んでいる人があまりおられません。
・ シンボルロード,ゼスト御池,御池中学…といろいろな取組を行ってきましたが,なかなか皆さんと一緒にまちをつくっていくことができていません。
・ 御池沿道関係者協議会でも御池通をこういう風にしたいということを話し合いましたが,この場でもう一度,例え御池通に面して住んでいる人がいなくても,沿道の学区の方や御池通に関心を持っておられる方々にお世話になって話し合い,過去を丁寧に点検することで未来を考えようという取組をしてきたのだと思っています。
・ ようやく形になって少しずつ蓄積されてきたので,もう少しこの作業を続けていただけないかとお願いしたいと思います。
・ 歴史をどう伝えるかということもありますが,どう共有するかということも大切です。
・ 「門はき」の話も出ていましたが,これほど企業が多くなるとそれぞれの会社にもご協力いただかないといけません。御池沿道関係者協議会でもいろいろな企業がおられ,門はきぐらいはさせてもらうと,しきりにおっしゃっていました。
・ 会社は御池通のビジョンを考えるところまではしてくれないかもしれませんが,門はきやイベントの支援ぐらいはしてくれるのではないでしょうか。未来を考えるのは皆さんが中心で,それを実行する際に,会社にも応分の負担をしてもらうのが良いのではないでしょうか。
・ また,会社の人も毎日そこで暮らしている人です。門はきぐらいはしたいだろうし,歴史を知りたいだろうし,会社の人も御池の住民だと考えると,マンションや会社の人も暮らしている人だという輪が広がるのではないでしょうか。
・ 観光客に呼び掛ける前に,マンションにお住まいの方や会社の従業員に手伝ってもらえるよう呼び掛けて来てもらうと,おいしいお弁当や安い喫茶店を知っておられるかもしれません。一緒に歩くことができると,また別の楽しい物語が登場するのかなと感じました。
・ 御池はそういう通りですので,今後も皆さんと歩いていきたいと思っています。


 

第3回マップづくりワークショップのようす

 

5 次回の進め方(司会:岩城課長補佐)

・ 私も一緒にみなさんとまちを歩かせていただきましたが,新たに気づくことも多く,みなさんの熱い思いを感じた一日でした。
・ 次回は今日のまちあるきで得たことをどうまとめ,伝えるか,また活用していくかを考えていきたいと思います。
● 日時 平成17年2月25日(金)19時~21時
● 場所 元龍池小学校1階会議室

お問い合わせ先

京都市 都市計画局まち再生・創造推進室

電話:075-222-3503

ファックス:075-222-3478

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