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第2回御池通沿道のマップづくりワークショップの記録

ページ番号4823

2010年11月19日

 

日  時:平成17年1月25日(火)19時~21時
場  所:元龍池小学校1階会議室
参加者数:計30人(市民 17人,スタッフ 13人)

 

内容:

 

1 開会のあいさつ(都市づくり推進課:江田担当課長)

・ 今回は,2回目ということで御池通やその周辺の界わいの魅力をどのように伝えていくか考えたいと思います。
・ マップで誰を対象に,どのようなことを伝えていくかということも含めて皆さんで話し合っていただければと思います。
・ 前回は,貴重なご意見を多数頂戴しました。皆様の思いや地域の誇りを感じさせていただきました。
・ 今回も皆様の様々なアイディアをちょうだいできればと期待しています。

 

2 前回の振り返り(宗田好史先生)

・ 前回ご出席の方半分ぐらい,初めてお越しの方が半分ぐらいいらっしゃるようですので,話し合っていただいたことを振り返ることから始めたいと思います。
・ 「マップ」ということをテーマにすると,「御池通のにぎわいを」という観光マップのようなものをつくると思われる方がいらっしゃると思います。
・ 前回は,地域の人がまず地域の人に思いや御池通の課題などをしっかり伝えるということが大切だというお話がありました。
・ 御池通には悲しい思い出があり,こういう通りになる前には,強制疎開で家を失って悲しそうな顔をされている方がたくさんおられたわけです。
・ その後,道が広がる中で辺りが畑だった時期やテニスコートがあった時期,地下鉄が通ったり,ゼストができたりと長い歴史の積み重ねがありました。
・ 複雑な歴史を,地域の若い人たちに語り伝えるためにもう一度整理しようというのが前回の最大の合意点でした。
・ 平安時代,江戸時代という歴史を伝えるのでなく,皆さんがご存知の身近な御池の歴史を語る中で,皆さんの思いを大切に伝えることから「御池らしいにぎわいとは」と考えることが必要だと思います。
・ 「御池沿道関係者協議会」でもこういうワークショップをしました。期待を込めてこうなればという思いを話された方もあれば,にぎやかな通りは必要ないという意見もありました。いろいろな思いをみなさんで共有しあいながらお話を進めていただければと思います。
・ また,範囲をシンボルロードの部分だけでなく,御池通が続く西の方まで広げようというご意見もありましたので,今日の地図は鴨川から千本通りまで用意されています。
・ 次回,実際にまちを歩いてみてはどうかと考えていますが,みなさんの意見がありましたら併せてご提案していただけると良いと思います。

 

3 グループで考えよう!

 4班に分かれて話し合いました。

 

4 発表(発表順)

<3班>
・ 御池通の由来は神泉苑に御池があったからという「由来」を大切にしましょうというご意見がありました。
・ 伝えたい「歴史」としては,織田信長の二条城が龍池小学校のところにあったとか,江戸時代の銀座があった。中村蔵之助がいたとか,本能寺の井筒が今も立派に残っているという話が出ました。
・ 「個人の思い出」としては,昔の御池通にはセミがいたとか,戦争中に土地が没収されたとか,強制疎開で家がつぶされたとか,祇園祭で子どもと記念写真を撮ったとか,京都ホテルのとりこわしのときに東山が見えたとか,雪の日に御池通がきれいだったという話が出ました。
・ プラモデル屋やキャバレー,劇場,シャンゼリゼパーキングなど御池通にあったけれど無くなったものも多いという話もありました。
・ 今の話では,歩道にコケが生えていて京都らしいとか,二条城の付近には刀鍛冶関係の方がまだおられるという話がありました。
・ 「人物」としては,ふたば家具のご主人が近衛師団におられたという話や,鳩居堂のご主人が昔の話にくわしいという話が出ました。
・ また,昔の資料なら府立資料館にたくさんあるという話も出ました。
・ 「建物」では,二条城やギンモンドホテル,町家ショップの「繭」,高松神命神社,京都市役所も立派だという話や柊屋の板塀が立派だという話が出ました。
・ 藤田ホテルの横にあるみそそぎ川は蛍が出て有名ですが,その蛍を育てられた方が班におられましたので,ご紹介します。
<小吹和男さん>
・ 私は去年まで二条木屋町で酒屋をしていました。
・ 銅駝学区にはみそそぎ川という,高瀬川に鴨川から水を引くための川があります。昔から蛍がちらほらいたのですが,改修して蛍がいなくなってしまいました。市に申し入れをしたこともありましたが,なんとか沿線に蛍が戻るようにと思い,銅駝学区の有志で蛍を増やす取組をしています。
・ 10年ぐらい前から店の中で卵から育て,川に放していましたが,3年ぐらい前から乱舞するようになってきました。状況が少し変わるとだめな年もあり,難しいと感じています。
・ 他にされる方はなかなかないのですが,皆さんに喜んでいただいていますし,貢献できるのはうれしいと思っています。


 

<1班>
・ 地域に新しく住まれた方が地元を理解できるようなものが大切ではと話し合いました。
・ 御池通には生活もあれば歴史もあります。生活が見えるようなマップで案内ができればと思います。
・ この地図を見て,「ここに住んでいてよかった」と思えるマップになったらと思っています。
・ 御池通の南側は道路が広がった後にできた新しい建物が多くありますが,二条駅の方には古いものが残っていますし,まちを歩いて探してみようという話になりました。
・ まちを歩きやすいマップにするには,公衆便所の場所なども表すと良いと思います。
・ 広い通りで暗く感じますが,明るくして歩きやすくなればと思います。


 

<2班>
・ 前回のキーワードの「御池通の界わいをもっと暮らしやすくするために」という項目だけ探し出せなかったのですが,他のキーワードを考えていくうちに見つかるのかなと話し合いました。
・ 現在までの1200年の歴史を1枚の地図にするのは無理な話で,何層にも分けたものを重ね合わせることで整理できるのだろうと思います。
・ 石碑など現在目で見られるものもありますので,「時間」で整理するということができると思います。地図を補足するための本が一冊あればより良いと思います。
・ まちを一度歩いてみようということで,キーワードを考えました。神泉苑に御池があったり,お酒づくりや染めにかかわっているところが多いということで「水」をテーマにしようと考えています。
・ 歴史を知っている人にも同行してほしいと話しています。
・ 古い住宅地図が参考になると思うので,あわせて持って歩けたらと思います。
・ 八坂のみこしをかついでいるところが近くにあるのでそこの人や,天理教の人にも話を聞いてみて,一緒に歩けるといいなと思います。
・ 歴史が無ければ今が無いので,もう一度歴史を見直そうということになりました。
・ 「今」の地図をつくるには範囲が広いのでゾーン別にするのが良いのではないかと思います。鴨川から堀川までのシンボルロードに位置づけられているゾーンと,堀川から二条を伝統ゾーン,二条以西の新しく開発されているところは文化ゾーンという風に考えると良いのではないでしょうか。


 

<4班>
・ 前回もこの話をしましたが,「何を目標にするのか」ということがよくわからないので,もう一度話し合いました。
・ 御池通は強制疎開によって広くなった通りで,この班にそこに住んでおられた方もおられました。
・ 歴史を残さないと意味がないと思います。戦後は畑ばかりのところでした。道ができてからは,自動車が通るようになり南北100mほどはほこりだらけになりました。
・ 10~20年かけて御池通が日々変わり,車線や歩道が変わってきました。これまでに何があったかということを残しておきたいと思います。
・ 目標は,「将来に向けて何があればいいかを話し合うための地図」だと思っています。
・ 例えば,夕方5時から6時ごろは真っ暗で向こうから来ている人の顔が見えません。明るくしてほしいと言うが,京都市に基準は満たしていると言われました。
・ 明るくなければ人が集まらないと思いますので,明るくしてほしいということが一つと,人が座れるようベンチがほしいと思います。明るくすると上の方に住む人から明るすぎて寝られないと文句が出るかもしれませんし,ベンチをつくるとそこに住み着く人もいるかもしれませんが。
・ 桜並木にするなど春夏秋冬をつうじて花がいっぱいの通りになればと思います。
・ 御池通の南側は強制疎開があったため,通りに間口が面しておらず東西向きに長い家が建っています。間口が狭くて奥行きが長いため,通りの南側には通りに2軒しか面していません。三条通には細かい間口の店がたくさん並んでいますが,そうはならないのです。
・ まちの構造が人を呼べるようになっていないので,現在の状態を生かしてやっていかなければと思います。御池通は憩いの通りにするのが良いと思っています。
・ 戦前に蹴上の方から仁王門通を広げて三条通りにつなぐという話があったのですが,終戦と同時に計画が止まりました。
・ 堀川から西側に御池通が続くのですが,押小路が広いので御池通とまちがわれるという話がありました。神泉苑が御池通の名前の由来にも関係するので,今回の範囲に含めて一緒に考えたいという意見が出ました。
・ 歩く範囲は千本から鴨川までの御池通としたいと思います。
・ 「マップ」といっていますが,それに展望を入れて,将来に向けて発信するマップにしようと話し合いました。

 

第2回マップづくりワークショップのようす

 

 

5 今回のまとめ(宗田先生)

・ 大変上手に,おもしろくまとめていただきました。
・ 地図はそのときの状況を書いたものはつくれますが,1200年の歴史を1枚にするのは不可能です。ご意見にありましたが,古いものを重ねながら今のまちが見えてくるというのはそのとおりだと思います。
・ 「地図」はそんなに古くからはありません。ローマ時代や平安時代にはありませんでした。せいぜい戦国時代からです。戦国時代は城下町があり,豪族が荘園を管理していました。地図は自分の領地や財産を管理し,どこから税金をとるか考えるためにつくられたのです。
・ 江戸時代はまちが安定して商売が発展してきたので,みなさんが今でも良く使われるような,お店の名前が書かれた町内の地図ができてきます。切り絵図といって,一つのまちに一枚ありました。町民が作ったもので,殿様が作ったものではありません。
・ 江戸時代の京図絵というのを見ると2つの系列があるのが分かります。
・ 一つは,私たちが良く知っている京都の地図で北が上で御所が中心にあり,烏丸がずっと北に延びています。
・ もう一つは,北が右側,南が左側にあり,正面の一番奥に二条城があるものです。徳川の方が京都に出張したときに東海道を上ってきて二条城を目指す地図で,二条城が中心になっています。
・ 京都の天皇から見た御所が中心の地図と,徳川幕府からみた二条城が中心の地図など,それぞれ使う人によってマップにはいろんな書き方があるわけです。
・ 町内に歴史があるように,京都にも歴史があって,住んでいる地域の歴史は記憶を受け継ぎ,集積されていると思います。
・ 御池通は平安時代からありますが,今の形態になったのはたかだか60年前からで,皆さんの語り伝えが不十分な新しい最近の通りです。豊臣秀吉が街区を南北に分断した通りでさえ新しいといわれる京都ですので,強制疎開でできた今の御池通が新しくて1200年の歴史で語ることがすくないのは当然のことだと思います。
・ 今,私たちがつくろうとしているのは,そういう歴史が伝えられていない御池通に地図をつくろうということです。
・ 天皇でも将軍でもない今の平和な時代に私たちが書く地図は,誰の視点でどういう気持ちを伝えたいかということを考えると良いと思います。御池通をみなさんが一緒にイメージするゼロからのスタートだと考えてください。
・ 観光客にどう見せようかとすることとはまったく違っています。
・ 将来のことを語ろうという話は,今日もいろいろなテーブルで話されていました。過去ではなく未来をという話がよく出てきますが,過去と未来は矛盾する話ではありません。
・ 「まちは記憶を失ってはいけない」といわれることがありますが,人間も明日生きるためには記憶を失ってはいけません。日々の生活は記憶があるからできるのです。
・ まちの過去を確認し丁寧に語るから,この先にこういう未来がほしいという話ができるのです。
・ 御池通の歴史をマップに書きたいと現在の私たちが思うのは,いいまちをつくりたいと思っていることの表れだと思います。
・ 皆さんが歩かれるときは,過去を暖かく,あるいはちょっと悲しく語ってください。その気持ちが将来こういうまちにしたいということに反映されることだと思います。


 

6 次回の進め方(司会:岩城課長補佐)

・ 本日も大変貴重なご意見をたくさんいただき,ありがとうございました。
・ 次回は,本日いただきましたご意見をもとに,実際にまち歩きをしながらマップづくりの作業をご一緒にさせていただきたいと思います。
・ 車の通行が少ない日曜日の午後が良いだろうと思いますので,2月6日の日曜日の午後を考えております。また,ご案内をいたしますので,次回もぜひご参加いただきますよう,よろしくお願いいたします。


 

お問い合わせ先

京都市 都市計画局まち再生・創造推進室

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