三条大橋の歴史(江戸時代)
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2021年12月3日
三条大橋の管理は洪水との戦いの歴史
江戸時代,徳川幕府は三条大橋を東海道五十三次の終点と位置づけ,維持管理を行いました。しかし,三条大橋は二百数十年間で20回を越える洪水被害を受け,その一部が流出しています。
また,当時の三条大橋の工事や入札の記録によると,17世紀半ばから幕末にかけて35回の改修工事が行われています。これは鴨川の洪水が,それだけ激しかったのと三条大橋が重要視されていた証拠であるといえます。
下図は,18世紀末に出版された「都名所図会」の三条大橋ですが,橋脚の保護のために,河床一面が敷石で固められています。(3)都名所図会 三条大橋 国際日本文化研究センター所蔵
左図の拡大図(赤囲み部分)
<参考文献>
(1)田端泰子「京の鴨川と橋 その歴史と生活-橋と寺社・関所の修造事業」
(2)朝尾直弘「京の鴨川と橋 その歴史と生活-公儀橋から町衆の橋まで」
(3)松村博「京の橋ものがたり」
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