三条大橋の歴史(室町時代~安土桃山時代)
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2021年12月3日
室町時代に架橋の記述あり
三条大橋が歴史に登場するのは,古くは,室町時代までさかのぼります。「応永30(1423)年,三条橋の造営料を幕府は廷臣(朝廷に仕える臣下)に課したので,広橋兼宣(ひろはしかねのぶ)が公方御倉(将軍家の財産を預かる土倉)禅住坊に納めている。」との記載がありました。
造営料が公方御倉に納入されている点からみて,この架橋は幕府主導でなされたものと考えられます。幕臣としての地頭御家人だけではなく,廷臣にも納入させていることからも,応永末には幕府が公共的機能を担って橋を架ける姿が伺えます。(1)
※下図の赤囲み部分が当時の三条橋です。
洛中洛外図屏風(歴博甲本)国立歴史民俗博物館所蔵
秀吉が架けた日本初の石柱橋
天正18(1590)年,豊臣秀吉が増田長盛に命じ,三条大橋を架橋しました。これまでは仮橋中心であった鴨川の橋にあって,三条大橋は,織田信長・豊臣秀吉が推し進めた都市改造に伴うインフラ整備の一環として架橋されました。これより三条大橋は,公的交通路の基軸を担うことになり,境界よりも向こう岸で連続する通路の性格が強くなりました。
三条大橋の擬宝珠(ぎぼし)に刻まれた銘によると,「基礎は地中に五尋(いつひろ,約9.1m)に埋め込まれ,切石の柱は63本ある。まさに日本の石柱橋としては最初のものだろう。」とあり,強固な長大橋の架設が,豊臣秀吉の支配権の象徴であるといえます。(2)
※ 石柱橋:石製の橋脚をもった橋。
<参考文献>
(1)田端泰子「京の鴨川と橋 その歴史と生活-橋と寺社・関所の修造事業」
(2)朝尾直弘「京の鴨川と橋 その歴史と生活-公儀橋から町衆の橋まで」
(3)松村博「京の橋ものがたり」
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